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京都大学理学部、工学部の女子枠増設に思うこと【女子学生を増やすことに安易さは厳禁ではと思う理由】

京都大学の理学部と工学部に2026年度入試から女子枠が設けられるとのこと。

このニュースについて、女性が優遇されることへの是非論が出ています。

大学入試そのものにおいて、女性が不利な立場に置かれているということはありませんから、そのような意見が出るのは当然ともいえます。

京大が導入の根拠としているのは、

適切なジェンダーバランスは国際的な研究大学として必須とし「女性には潜在的に能力がありながら、挑戦する機会、研究へのアクセスを許容してこなかった社会背景は大きい。制度として展開することに意味がある」と語った。

記事より

ということですが、理工系で学んだ私としては、随分と違和感のある見解です。
それは、どうしても私自身の経験がそのような主張にひっかかりを覚えるからでしょう。

東京工業大学が女子枠を導入したとき、↓の記事を書きました。
(今回の引用にあたり、タイトル、文章表現など若干の修正をしています)

私は、理工系学部に女子学生が少ない現実は、入り口の問題よりも、入った後の学ぶ環境の問題であったり、出口(就職)の問題なのだろうと思っています。

数十年にわたって男社会だった環境によって、固定化してしまった価値観や風習は、女子学生から敬遠されることになっているのではと思っています。

私が見た女子学生は、その点で苦労し、ある意味絶望し、医療系に進学しなかったことを後悔していたからです。

この点を教える側が自覚し、改善する意思があるのかは、制度導入にあたり、東工大もそうですが、言及がないのが一番の違和感です。

また、議論のある制度を導入するのであれば、自分たちの身辺整理があってしかるべきと思います。

隗より始めよの視点があるのか、現時点では大変疑問です。そのため、この女子枠増設が、安易な対応になっているように見える点も社会に受け入れにくい背景にあるのかなと思います。

男社会の打破というのであれば、女性教員を増やすことは、女子学生を増やすことと同時並行でやるべきことでしょう。

教える環境は、男社会のままで、学生の入り口の対応だけ対応を変えても、意識改革などはちゃんとできるのか疑問でもある。

現在でも↓のような問題が発生する素地はあるからです。

大学内部の問題を何とか折り合いつけて、世間にアピールという段階なのでしょうが、内向きになりがちな象牙の塔での常識が社会の進展についていけていない部分があるのではと思えてなりません。

大学は徐々に管理体制が強化されている時代なので、しっかりとした制度設計で改革案を世に出さないと、

「これだから大学教員は視野が狭い。だから当局主導で改革をせねばならない」となり、さらに大学自治が脅かされる可能性もある。

個人的には、京大として、もう少し議論を深めて世に出すべきだったのではと感じています。このままでは、京大、大丈夫?という点が目立ってしまっているのかなとか思っています。

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