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認知症の母の苦悩

認知症になったら

認知症になったら、どんな気持ちになるのでしょう。
私が今考えている世界からは、想像もできないことなのでしょうか。

「何か自由に書いてみて?」
ある日、難聴の母に姉が言いました。
タブレットで、会話が少し成り立っていた当時のことです。

書いたのがこちら↓

母がタブレットに書いた文章

幸せか

最初、何て書いてあるのか分からなくて、時間をかけて解読してみました。
何度も読んで。

「幸せか
家に引っ込むのが いいのか いやなのか
自分がわからない」

このように解釈しました。
この解釈に辿り着いた時、なんとも言えない気持ちになりました。

もう少し要約すると

自分は幸せなのか?
家(=施設?)で生活している自分で良いのか、
嫌なのか?
分からない

全部を忘れる訳ではない

認知症になったら、全てのことを忘れてしまう訳ではなく、長年の習慣や、昔のこと、感情などの根っこの部分は覚えていると聞きます。

認知症になった今、
自分が分からなくなっていることは、分かる
といったところでしょうか。

母は、ぼやーっとしているように見えて、若い頃から
『人間の役割とは』
などという難しいことを考えるような人です。

もしかすると、施設で生活しながら、
自分はこれでいいのだろうか?
と、いつも考えているのかもしれませんね。

でも、考えても分からない。
分からないということは、分かる。

常に葛藤しているのかも

「何か書いてみて?」という問いに、サラッと書いたのがこの文章だったそうで。
うーん、と考えて書いた訳ではなさそうです。
もしかすると、頭の中で常にこんなことを考えているのかもしれませんね。

理解しようと思っても、なかなか理解できない認知症。
認知症のことを考えると、私も混乱してしまいそうです。
本人なら尚更ですよね。

母の頭の中が、こんな葛藤や苦悩ばかりではなく、
「嬉しい」「楽しい」が少しでも残りますように・・・
願わずにはいられません。

お読みいただき、ありがとうございました。

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