見出し画像

認知症に気づかなかった自分


ゆっくりと進んでいた

昨日、母が15年ほど生活を共にしていたパートナーと食事をしました。
母がいなくなってからのパートナーは、げっそりと痩せてしまい、覇気がありません。
それはそれで、かなり心配なのですが。
パートナーと母の話をする中で、5年ほど前から異変はあったと言い出しました。
そんな話は聞いたことがなかったので、今更?とびっくりしたのですが・・・。
実際には、かなり前から症状が出ていたのかもしれませんね。

気づいた瞬間

母が認知症だとはっきりと気づいた瞬間があります。
それまで通っていた「銭湯に行かない」と言い出した時です。
コロナ禍で唯一、外部とのコミュニケーションが取れる場所だったのに。
銭湯でイジメられている、という理由で行かなくなりました。
この言葉を聞いた時点では、母の言うことを信じるあまり「認知症かどうか」は半信半疑でした。
しかし、イジメの内容を詳しく聞いていくうちにだんだんと分かってきました。
話の内容の辻褄が合わないのです。
しかも、普段から難聴で会話のやりとりさえ厳しいのに、遠くの人が話している悪口が聞こえるだなんて、おかしな話です。
このことをきっかけに、母の言動をさぐるようになりました。

始まりはいつだったのだろう

「銭湯にいかない」事件前の記憶を遡ってみます。
もともと耳が遠かった母ですが、難聴が進みコミュニケーションが取りにくい状態でした。
私が何を言っても自分の思い込みが勝ってしまい、勝手に怒ったり決めつけたりすることが多かったように感じます。

当時の母は頻繁に、
「東京駅の銀行にお金を預けている。気になるので全額下ろしたい。」
と、私に訴えるようになりました。
「どこの銀行なの?通帳は? どこの銀行かわからないと連れて行けないよ。」
私の問いに母は、
「私が行けば、すぐにお金を出してくれるの。東京駅の地下からエレベーターで昇っていったところにある銀行だから、行けばわかるの。」
と、なんとも不明確なことを言います。
どこの銀行が分からないと連れて行けない、と言っても全く理解してくれません。

「少しおかしいかも?」と思った瞬間はココかもしれません。

「認知症になるはずがない」という思い込みが発見の遅れ

考えてみると、誰しも好き好んで子供に世話になりたいだなんて思っていないはずです。
平均年齢が上がり認知症発症率が増えたせいもありますが、最初から子供に世話になるという前提で長く生きたいという親はいないと思うのです。
認知症が発症してからでは、自分で考えて行動するということがどんどん難しくなってきます。
さらに、施設決定の見学や手続きにも時間を要するため、手続き最中にも認知症が進行していきます。
・どこで判断するのか
・どのタイミングで行動するのか
とても重要だということがよくわかりました。

思い込みや感情で左右されてはいけません。

気づいてからの早めの動き出し

今となっては「認知症は小さなところから発見できる」ことは、自分の中で理解できます。
しかし、発見してからの動き出しが一番難しいです。
認知症に関係する書籍を沢山読んできましたが、行政サービスへの誘導が一番大きな一歩です。
この一歩が、とてつもなく遠かった。
子どもとしては、認めたくない、関わりたくない感情が先行してしまい、ついつい先延ばしになる。
そして、一人っ子の場合はもちろん、兄弟や姉妹がいたとしても実質動く人は限定される場合が多いです。

心細いです。辛いです。

でも、放置すればするほど、認知機能はどんどん衰え、本人が心地よく生活できる時間が減っていきます。

今、身近な方が「もしかして認知症かも」と疑われる方がいましたら、ぜひ早めに一歩を踏み出してくださいね。

今回は、一気に認知症が進んでしまった母に対する、私の経験からのお話でした。
最後までありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?