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海外在住への扉を開いた初めての海外旅行

「ヤッホー」
シドニーから、ふじこです。

今日は今年で海外在住30年目の私の「初めての海外旅行はいつ?どこに?」というお話しです♪

それは大学4年の夏休みに行った「4週間のロスでのホームステイ」でした。その時の写真を入れたいと思ったのですが日本の実家にあるので入れられず(次回帰国したときに見つけてきて入れます)。


今はロスにも知り合いが数人出来たので是非また行きたいです

私は今年でシドニー在住が26年目、ここに来る前は上海で2年、その前はシンガポールの方で2年働いていましたが、あの4週間のロス旅行に行かなかったら、今私が海外に住んでいることにはきっとならなかったと思ってます。

私は海外旅行に特に行きたいと思っていたわけでは無かったし、英語も全然好きではなかったし(大学受験の最後の模試で20点だったのを今も覚えてますー笑)、海外のことに興味も全くなかったんです。

そんな私が大学4年生の夏休み前のある日、マンションの一室に寝転がり、郵便受けに入っていたリクルートからの無料雑誌を「こんなのに行く人がいるんだ~」とパラパラと眺めていました。

そしたら急にふと「!?ちょっと待って。来年4月から就職して仕事が始めたらこんな風に数週間海外に行くなんてこと、出来ないよね???」って思ったんです。
その頃の私は思いつくと「これだ!」ってすぐ動く人でした。

アメリカ人のお宅にホームステイしながら、昼間は英語学校に行くプログラムで、4週間で45万。私の貯金にあるのは20万だけ(中型バイクを買いたくて)。25万足りない。どうする?⇒ お母さーん!
というわけで数日後にその頃は名古屋に住んでいた両親のところに行き、母に借金を頼みました。母は全く反対もせず、ポンと出してくれました。後から思えばあのお金は母のへそくりだったのだと思います。本当に感謝しています。

そうして行った初めての海外旅行。行きの飛行機の中からもうすんごく楽しかった!ひたすら楽しかった!
総勢30人くらいのツアーで、その時に知りあった1人とは39年経った今でもご縁が続いていて、大阪に行くと会ってキャッチアップをしています。

ホームステイさせて頂いたご家族は、小さな男の子が二人いて、お母さんは確か看護師をされていました。英語が殆ど話せなかった私なのですが、それはそれは良くして頂いて、帰る日にはもう別れが辛くて号泣したのを覚えています。
「いつでも帰ってきてね」と家の鍵をくれて、今でも持っています。

今は二人とも40代後半。連絡先がもう分からないのが残念です。今のようにメールもスマホもなかった時代。

そのホームステイ先のおうちは私を滞在させるためのお金をもらっていなくて、全部ボランテイアでやっていると聞き、その理由をつたない英語で聞いてみました。
「世の中には色んな人がいるんだということを子供達が知るのにとてもいい経験だと思って」ということでした。私はその時には21歳だったので、子供を持つ親の心という立場では分かりませんでしたが、素晴らしい考え方だなと思いました。

滞在中にグランドキャニオンとラスベガスへのオプショナルツアーにも参加。一緒に行った私以外の人達が21歳になっていなかったので、カジノに行くことはできなかったので、ぬいぐるみが景品のゲームで遊んだりしました。


広大に続くこの景色。本当に感動しました。

ナッツベリーファーム(Knott's Berry Farm)という遊園地に行ったときに「Orange Juice,please」って言っても、私の発音が悪くて通じなかったときには、けっこう落ち込みました(笑)Rがね、ちゃんと発音できなかったからかと(泣)

そんなこんなで楽しいことばかりの4週間はあっという間に過ぎました。

それ以来「ああ、いつか、春夏秋冬と1年通して外国で過ごしてみたいな」という思いが芽生えたのです。

初めての海外旅行で嫌な経験をしたり、ちっとも楽しくなかったら、きっとそんな風に思う事はなかったと思うのですが、私が将来日本を出ていくことになった「最初の扉」は、あの旅行で開かれました。
39年前。21歳の夏のことです。

人生は選択の連続。どのドアを選ぶかで、その先にある未来が変わりますよね。

今、つくづくと思う事。
「これ!」ってピンときた直感で決めて動いた時には、物事はいい結果になる!

次に起きた「これ!ピン」はまた書きますね。
今日も読んでくださり、ありがとうございます。
一日一生❤一日多笑


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