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アラフィフからのアイドリッシュセブン34 終わるとか終わらないとかいう話

形を変えるアイドル

いきなり別界隈の話をしてしまいますが、
私の推しているアイドル(Mesemoa.というインディーズアイドルです)が、形を変えることになりました。
9人のグループのうち、3人が卒業、1人が活動休止、5人がグループ活動を続ける
という発表でした。

アイナナは終わるんじゃないか
というマネージャーの不安に私は
大丈夫じゃないか、と声をかけたりしていますが、
現実にはアイドルはこうして形を変えていく

Mesemoa.を推し始めて3年経ってないのと、コロナ禍でライブに行けずに来てしまったので、(CD購入や配信ライブ視聴はして来ました)寂しいです。
活動は10年されていたのですが知らない時期が長くて、
悔しい思いはあります。
好きになるタイミングはその時だったのだと分かってはいますがね。

2次元だから終わりはないだろう
ずっと続けてくれるだろう
そんな夢をアイナナや他のアイドルものに求めてしまうだけに、
最新5部でのあまりにも綺麗な伏線の回収、
16 IDOL ALBUMという、誕生日ガシャで引いたカードでしか読めないものですが、幼少期のエピソードや、好きだったのに死を持って別れることになった人物の顔が明らかになるなど、
7年目にして謎な部分や凝りが綺麗に拭い去られつつあるのを見るだけに、
「いつでも終われるコンテンツになったんだな」
という気持ちはやっぱり芽生えて来ました。
同じことを書いているブロガーさんもいらっしゃるので、
こう思うのは間違いじゃないだろうなと
思います。

終わることへの畏れ

アイナナのメインターゲットは20代30代くらいだと思うのですが、
アイドルが終わる様を散々見てきた自分たちアラフィフとはものの考え方が違うのは当たり前、
終わらないでと思ってて当たり前だし、
そう思ってて欲しいという気持ちもあります。

私などは肉親との別れを経験してもなお、
終わることへの拒否反応が無くなることはないし、
最近になって老親との別れを考えないといけないのかと思うようになったばかりで

例えば20代くらいの方から、
全てのものは終わるもの、
だから今を大事にしようということを腑に落として生活していますと言われたら、
もう悟りを開いたのではとか、
50年くらいかけて私が仕方なくでも納得して来た話なのに勘弁してくれ
と思うと思います😭

それくらいには人生の究極の話だと思いますし、
年齢を重ねたから分かるという話でもありません。

「ダンマカ」はアイナナの縮図

アイナナイベント「ダンスマカブル」のストーリーというのは、
死ぬか永遠を生きるかという、
そんな選択すら、人に任される可能性はあるのだ、
そしてその選択は誰にも邪魔をされるものではないのだ、
という話だと思っています。

⚠️ここからはネタバレになるので要注意

ストーリーは最後に分岐があって、
まさに上に書いた通りの選択を突きつけられるわけですがその先には、
私たちが望む「永遠」は過酷なもの
「死」というものは全ての終わりではない
という、パラダイムチェンジと言いますか、
価値観を揺るがす展開が待ち受けていました。


古参マネの私の娘は「永遠」を選択したわけですが、
何しろそれがイベント終了時刻のほんの間際だったこともあり、
選ばなかったもう1つの選択がどういう話なのかは
1年後の復刻を待たないといけませんでした。

20代だし、曾祖父母との別れを小さい時に経験しただけに命が失われることを畏れているからこの選択なのだろうと思っていましたが、
1年後に、「こっちの方が良かったやん」と言ってました。
最推しの演じた役が生きてる!てなりましたしね。

私は、人は死ぬものだという老獪な考えで死という選択をしました。

とても悲しいはずの大事な人の死を受け入れ、
悲しみを乗り越えた人間の逞しさが語られた。しかも尺が長めなので、
こっちの選択をすれば良かったかとなった方も多かったようです。

これは勘違いしたくないのですが、
亡くなるはずだった人間が生き返って愛しい仲間の元に戻り、一緒に敵と戦いながら笑いあった時期もあったはずで、もう1つの方で語られた話も全くなかった訳ではないと思っています。が、

それまで永遠を生きていた人間と、共に生きられるのではないかという望みも絶たれ、多くの仲間たちとの時を長く過ごすのも許されず、
死なないで生きるという究極の永遠を過ごすことになった。
これは悲劇なのかと問われたら、
やっぱり悲劇かもしれないと思わざるを得なかった人は多いと思います。

今から思い起こすと、これはアイナナだから出来た話、アイナナが永遠を望みながら同時にそれは有り得ないと分かっている私たちが存在する世界というものを、ずっと書いて来たからこそ世に出せた話かもしれません。
見た人間がこれについて考える素養が出来ていて、そのニュアンスも判断できるからこそ投げられた選択だと思います。
しんど過ぎて読めなかった方は、また何年かしたら読んでみると違った感想を持つかもしれません。また復刻を願います。

それにしても、外国のゲームを配信ドラマ化した(という設定)というのは今のドラマ視聴としてはタイムリーだし、オンデマンドで分岐を選べるドラマも外国では現に存在するそうなので、この手があったかと改めて驚かされます。

大・大・大人気の4グループのメンバーが生死をかけて戦う、心をえぐるような演技もさることながら、視聴者的には作中で死により退場する推しが出て来てしまうという展開
配信ドラマという、ある意味アングラな形態だからこそ出来たのではないかと思います。
個人的にはMEZZO"はユニットの中では最推しなので…
ロスってこういうことかと改めて思いましたね…

ただそれはやっぱり、近しい人の実際の死とは違う感覚ではあります…

終わりは始まり、始まりは終わり

最初に書いた「Mesemoa.」というグループは元々ニコニコ動画の踊ってみた出身のユニットで、出身も生い立ちもバラバラ、社会人を経ている人間も多く、呼吸器系の持病を持つ者も居れば御曹司?と言われている者、アイドルになるのを咎められて家を出た者、
もちろん歌やダンス、演技が上手い者揃いで、
IDOLiSH7とも通ずるものがあります。

年齢は公表していませんが30歳過ぎのメンバーがほとんどです。コロナ禍で思うように活動が出来なくなったのも、これからを考えるきっかけになったようです。

コロナ禍が無ければファンにとって良かったのかというと分かりません。

ただ、何かを終わらせないと何かは始まらないのだという、当たり前なんだけど認めにくい事実があるということです。

自分たちのやりたいことに真っ直ぐで、だからこそ半端な気持ちは許さない、
理想の生き方というのを見せて貰った気がします。

武道館公演が2023年の3月にありますが、それをずっと目標にしていました。そこが区切りとなるようです。

人間は、終わりが見えないとなかなか腰を上げない生き物で、
だから終わりを勝手に見つけて騒いだりします。

ただ、終わりがあるから今を生きようとするのも人間だと思います。

正直、HELLO CALLiNGで歌われている来世まで生きたいかというと、それは疲れるなあと思ってしまう50代ですが、

終わりは本当の終わりではないと言ってくれるのは私たちには福音なはずで、
終わるために生きているのではないんだと、
そう考えて生きられるといいなあと
思ったりします。

しかし、ここまで考えさせてくれるとは。
恐るべしアイナナ。

5章の新章が2022年6月27日に配信。
予告ではいきなりクライマックスと言う触れ込み。実際に5部の最終章のようです。
先々までアイナナのコンテンツとしては色々決まっていますし、メインは5部で終わりではないでしょうが、
どうやって5部を終わらせるか、
それが非常に興味があります。

終わりは多分始まりの合図。

【追記】
5部、最終章まで読ませて頂きました。
まさに終わりは始まり。
見事に表現して下さいました。
理想と言うよりは奇跡的な展開に
号泣しない訳にはいきませんでした。
未読の方は、ぜひお読みください。


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