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アラフィフからのアイドリッシュセブン26 二階堂大和のことしか話さないスペースnote版

アニメ「アイドリッシュセブン Third BEAT!」1クール目前半の主役はIDOLiSH7リーダー二階堂大和だったのだが、その時に自分が開いたTwitterスペース
#二階堂大和のことしか話さないスペース
で話したことをまとめます。今回もかなり長めですがよろしくお願い致します。

二階堂大和はアイドルグループIDOLiSH7のリーダー。22歳。B型。好きな物は楽できること。
と言いながら、内面はめちゃめちゃ熱い、メンバーのためなら泥を被れると言い放つお兄さん。

なぜそんな二面性を持っているかというと、彼の生い立ちに寄るところが大きい。大物俳優の隠し子。世間的には居ないはずの子だ。
そんな身の上だと知った時から、人を信じなくなる。もちろん芸能人には蔑んだ目を向ける。アイドルになったのは自分の立場を利用して父親と自分のことを暴露して父親に復讐するため

だったのだが一生懸命アイドルという職業に取り組む仲間の存在とアイドルという職業の楽しさを徐々に知るようになる。復讐のためにアイドルを始めたという自分の動機を恥ずかしく思うようになり、そのことは心にしまい込む。
ところがその動機が広く知られる危険にさらされる。ライバル事務所がIDOLiSH7や他のアイドルグループを陥れ、事務所の立場を大きくするために大和の暴露を利用しようとしている。

大和はIDOLiSH7の中では最年長で父的ポジション。だが自分の生い立ち、復讐のために立場を利用しようとしていたことが知られるのを危惧し、類が及ばないように実績を築き上げたグループ=「家族」から離れようとする。そして残された「子どもたち」はご飯すらまともに作れず途方にくれる、というのが現在放映中のアニメの最初の流れ。

この話になるまでに、IDOLiSH7結成からまる1年が経っている。CV.白井悠介氏の言葉でいう「長い潜伏期間」の終わり。

親という幻想

親子の話になるのだが、子どもは親に幻想を抱くというのが今の私の持論。親は子どもに理想を描く。違いは、今の存在を否定し、全く違った存在を求めることにある。親は子どもは「自分の中を通して出てきた」存在なので自分と同じで居て欲しいという理想が先に立つ。

復讐という形で親を否定しようとしたのが大和という男の子

実は親が子に出来ることなんてそんなにない。生きていく上の環境を整えて、食べさせて、必要なら金や物を与える。
大和の父は自分の存在の代わりにその行動を顕著にした。
大和がメンバーが困っているからと金を出す場面、父親とそっくりの行動として捉えられるが、実は世の中の親の行動でもあるのだ。

三月が残された寮の子たちのために渡したのがご飯のレシピで、大和が渡したのはお金。どちらも子どもには有益な行動。

(お金かよと思う人が意外にいるようだがどちらがいいという話ではない。人の役割を横取りするのは人間関係では最悪。大和は三月と同じことをしてはいけない。)

親子はやっぱり似るものなのだ。

人は、自分は汚れていると自覚した時、好きな相手からは距離を置こうとする。
相手も汚れてしまうからと。

それでも一緒に居たいという子たち。

先輩との出逢い

自分のした事を恥じ、自分の息子と対峙出来なかった父親、帰ってきてと乞うメンバーは昔の父と子のそれと同じ。
大和は、「父親にそっくり」と言われて激高する。自分の過去を知る先輩グループ「Re:valeの千(ユキ)」という人間に。

Re:valeのメンバー、千(ユキ)と、百(モモ)。2人とも、大事な存在を無くし、そして痛みを知ることで人の痛みも知った。2人とも順調に大人になった訳では無い。好きな人に嫌われること、離れていくことが耐えられず、自分を追い込んだ過去がある。

千は大和と昔に会っている。千も人を信じられない青春時代を送っていた。作っていた歌を正当に評価されないという理由で。しかし人との出会いで千は変わる。
その時は大和が後輩グループの一員としてデビューするとは露とも思わなかっただろうが、先輩として関わることになり、大和が変わるきっかけとなる自分を意識的に作ってきたと言っていいかもしれない。

千と大和2人のダブル主演映画「mission」の主題歌「NO DOUGT」。まるで自分のことを書かれたような歌詞に、大和はこれまでの言動を恥ずかしく思ったかもしれない。しかし、この曲を聴いた大和は「自分の浅はかさを知った」、「お礼を言っても言い足りない」という言葉を発する。5年前なら人を思いやることはなかった2人。人は甘え甘えられて成長するのだろう。

ここでMVを。Re:valeの百が映画での大和の役を演じているように描かれている。しかし、百も1人で戦って来た一人。百への思いも含まれたダブルミーニングな楽曲。


離れる、そして失くす

離れていったものを渇望しながら人は生きる。その対象は大事な家族かも愛した他人かも好きな推しかも命かもしれない。

愛したものから愛されない、突き放されたと意識した時、自分は自分を無くしていく。それが幻想だったとしても。
もう大和は「いらない子」じゃない。でもそれに気付けないでいた。

もし、親の存在を本当に「無いもの」にするなら、一番いい方法は、精神的に離れること。復讐という形では、離れられない。それが大和の考えうる最善だったとしても。
親との別離にも痛みが伴う。やはり大事な存在だからだ。

離れるにはまず己の内面を知る必要がある。怒り、寂しさ、期待、裏切られたと思いこんだ気持ち、
そして親と自分は似ているということ、
すべて認めてはじめて離れられる。

恐れているもの

アイドリッシュセブンには、大切な人を無くした人物が多く登場する、親、きょうだい、才能に溢れた人物、自分を救ってくれた恩人
失った悲しみとまたそれに執着する自分の間で迷う。
そして恐れている。「さよなら」を。

それは自分の声でしかないのだけれど、この恐れは人間全てが抱えるものではないだろうか。

人との繋がりは辛いものでも自分から近付いていかないといけない。それが「愛される努力」だと思う。それを怠ってはやはり愛されない。
自分がされたいことは自分から差し出すと叶う。
優しい言葉を使って歩み寄って来た先輩に、大和は「優しくして」と言う。

それは欲しくて欲しくて仕方なかった言葉。

何もコトバを発せずに自分を護って来た大和だが、その時間は恋焦がれたものに近づくために必要だったのかもしれない。
自分は汚れているかもしれない。でも自分の中にあるものは決して汚してこなかったのだと知る。

そして親から貰ったものが自分にはあり、人を感動させられるのだと知るために必要だった時間。

映画クランクアップの時には大和は晴れやかな表情を見せた。

チャンスのタイミング

人間というのは残念ながら、切羽詰まったり酷い目に合わないと腰を上げないように出来ているらしい。自分が怒りに打ち震えたり、人を詰ったり、涙にくれたり、そうして心が動かされないといけないらしい。

必要なのは、出会いと気付きとタイミング

大切な人がいい言葉をかけてくれたとしても、それに気付けないタイミングだってある。でもそれは何かのアラームだ。きっと何度もそのチャンスは訪れて、やがてなるようになっていく。

そのチャンスが来るのを信じるかどうか。

信じるって大した話ではなくて明日も生きてるだろう明日も仕事はしんどいだろう週末はゆっくり過ごせるだろうそんなもんじゃないだろうか。
なら、信じてみたらいいんじゃないのかな、今の自分と違った未来を、と思ったりする。

それもまあ、すごく勇気がいることだったりする。愛されるのを信じられない人は愛されるのが怖い。

居場所というのはやっぱり自分の中にあるのだけど、それがあると信じさせてくれるのはやっぱり愛なんじゃないかと思う。
愛はあるかと問われたら、あるって言ったらあるし、ないと思ったらない。どっちだったら幸せかという話。

大和くんが愛を信じたからこそナギの言葉は胸に響く。

「あなた今、幸せですね?」

「おめでとう。」

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