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世界の広がり(幼少期編2)

いよいよ5歳に差しかかった頃に両親が私を迎えに山梨の家に来た。失礼なことに親を相手に人見知りし、祖母の後ろに隠れてしまった記憶が鮮明に残っている。私にとっては自我が目覚めてからなので、実質的に初対面なのだ。電話や写真などでは決して超えられない知らない人と同義なのだ。

どうやら数日は実家に滞在するようで、すっかりその間に懐いてしまっていた。血がそうさせるのか、子供の順応力の高さなのか私は後者だと思っている。

東京に行く当日は泣きながら子供らしい主張で拒否をした。この家から離れたくない、知らないところに行くのが怖い等。そこで知らされるのだが私は東京で生まれて3歳まで暮らしていた。家を新築したので厳密には違うけど故郷に帰るのだと諭され尚更に混乱した記憶がある。泣きながら祖父母と別れた記憶が、今となってはただただ切ない。あとは入院して亡くなるまでの思い出しかないからだ。

山梨からそのまま東京の大田区の馬込に到着した。山や林など見える気配などない。何もかもが異国の風習の違う文化に触れたような衝撃だった。3DKのポツンとした新築一戸建て。有って無いような申し訳程度の庭。都内の典型的な住宅街らしく家の壁の1m先に隣に家の壁があり、隣人の家など数分歩く必要はない。さらに通行人の顔が知らない人ばかり。今だから理解出来るが山梨の家は土地で1000坪弱、10LLDKはあったド田舎なので大人でもそのギャップは受けると思う。
しかし子供の私にとっては物理的な狭さは何も問題とせず、私の意識の世界は圧倒的に広がったことを喜んだ。何故なら同世代の子供が沢山歩いていたからだ。遊び相手は虫や野良犬や猫じゃなくて沢山の人に遊んで貰える、それだけで良かった。

他人行儀な優しい両親と、この場所で暮らすこととなる。当然そんなものは数日で終わりを告げるのだが。

メンヘラで引きこもり生活困窮者です、生活保護を申請中です。ガスも止めてスポーツジムで最低限の筋トレとお風呂生活をしています。少しでも食費の足しにしたいのが本音です。生恥を重ねるようで情けないのですがお慰みを切にお願いします。