映画【茶飲友達】観た話

※ネタバレ前提で書いてます。

日頃そんなに映画を見ないのに、去年あたりから割と邦画を見るようになっている。
今年最初に見たのは【エゴイスト】、次が【茶飲友達】だ。

どちらもフックは強烈だ。
最初はクィア映画であり、次は高齢者の性という、どちらも観る人を選ぶ作品だと正直思う。
結論から言えば、私にとっては両方観て良かった作品。まだ3月だというのに、邦画でこの2作品を超えられるものに出会える気がしていない。
2つ共通に言えるのは、フックそのものを勿論含むけれど、その後ろにあるものが重要だということだ。

遡ること云十年前、「火垂るの墓」「となりのトトロ」が同時上映された。
火垂るの墓→となりのトトロの順で見て、本当に良かったと思ったものだ。(大人になってから見るとまた感想が違うだろうけど)
今回、公開時期が近い映画でエゴイスト→茶飲友達の順で観てしまい、順番間違えた!!となっている。
【エゴイスト】の感想がエゴを含む愛と救済だったのに対し、【茶飲友達】はエゴを含む正義と蜘蛛の糸のような細い希望もぶった切る絶望だった。

主人公のマナは親との関係が拗れており、自ら風俗で働いていた経歴を持つ女性。全員の背景は明確に描かれていないものの、訳アリらしい高齢女性達がコールガールとして働く組織を運営している。
運営スタッフはマナと同世代かやや下くらい、弁護士もおり、これまた癖が強い。運営スタッフといえども全員が同じ方向を向いているわけではなく、どこか吹き溜まり感が伝わってくる。それでもミーティングをしている時やお祝いで集合写真を撮る時などは皆幸せそうに見える。
予期せぬ妊娠をしたスタッフの千佳を皆で助けようとするところなどは、本当の家族のようにも見えてくる。

その”幸せそうな”疑似家族は、コールガールの松子が客の男性の自殺を見て見ぬふりをしたところから警察沙汰となり、徹底的に崩壊する。
(あの、松子と男性が目が合うシーン、物凄い印象に残っている)

蜘蛛の子を散らすように逃げていく”家族”。
吹き溜まりの埃に、そこはかとなく絆や愛がぼんやり見えてきた矢先に埃は埃なのだと言わんばかりに散っていく。
ここがもう本当に残酷で、人は本当に辛いシーンを見ると涙も出てこないのだと痛感した。
そして疑似親子のようになっていた松子がマナに何故あのような発言をしたのか。元々松子が持っていたであろう希死念慮が自暴自棄にさせたのか(コールガールになった後でもおにぎりを万引きしていることを想起させるシーンが挟み込まれている)、マナを突き放すことによって疑似は疑似でしかないことを伝えたかったのか、高齢者に多い(この言い方は良くないかもしれないが、高齢者相手の仕事をしているとキレイごとではない諸々を毎日見ているので)身勝手さがそうさせたのか。最後に刑事に「利用されていてもそれでよかった」と言っているのであれば尚更、ここにはちょっと疑問が残る。
私の考察不足で、本当はもっと違う意味があるのかもしれない。あってほしい。そして誰か「こんな解釈どう?」的に教えて欲しい。

個人的にこの映画のクライマックスは最後の取り調べのシーンである。
勿論ディレクションの元演技されているのだと思うが、あの女性刑事に対しては嫌悪感しかなかった。
そして、私は数年前までこの女性刑事側として生きてきた人間である。
「自分の寂しさを人の孤独で埋めてはいけない」
マナに対するあの言葉を口にする人間だった。今は間違ってもそう言わないけれど、自然と千佳にある疑惑を持つ人間であること(詳しくは書かないことにする)をあの女性刑事が思い出させてくれた。現在進行形の古傷を無理やりこじ開けられた感じである。

そしてマナの母親が面会に来るシーン。
何故来たのかというマナの問いに対して「家族だから」と答える母親。
「家族って何」
というマナの言葉に完全に私は屍になった。

公式サイトでは「結末に一筋のやわらかい光を願える外山の視点」と監督について書いている。
私には一筋の柔らかい光もなかった。
寧ろ絶望の上塗りだった。
決して異を唱えているわけではない。多少の諍いはあれど親との関係が普通だった多くの人にとってこのシーンは救いなのかもしれない。
私にはこのシーンは最後のマナの矜持を叩き潰すシーンに見えた。マナが自分の寂しさ(エゴ)によって「町のセーフティネットになる」ことを本気で目指したのだったら、その方法が間違い(女性刑事の言うルール違反)だったとしても、もっと寂しくなるのだとしても、マナ自身が間違いじゃなかったと思わせてあげられなかったのだろうか。
「家族だから」と最後に母親に言わせるのは、マナが違うと感じていた家族像への勝利宣言のように見えてしまった。

ここら辺は色んな人が色んなことを感じればいいと思う。
だからこそこの映画は多くの人に見てもらいたいと思う。少子高齢化だけでなく、若者の貧困、孤独、そういった問題を真正面から受け止めて。

去年見て未だに邦画トップ3に入る「PLAN75」がユートピアに思えてくる作品だった。

そして役者さん達が凄い。
高齢の役者さん達の文字通り体当たりの演技も凄いし、主役の岡本玲さんが本当にマナとして生きておられた。演技もお上手でいらっしゃるんだろうけど、何だろう、マナとして見ていた。素晴らしいものを見せて頂き、視聴者としては有難かった。

さて、次は何を観ましょう。
今度は何も考えない楽しめるお話の方がいい気がしますが、ついつい癖で自分の頭と感性をフル稼働してしまうものを選びがち。自業自得。





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