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先生もどき

3月末、3年間続けた塾講師のアルバイトを辞めた。

理由は自分の担当していた受験生がそれぞれ進路を決めた事と、取らなければならない大学の授業も減って日中に働く時間を確保できるようになった事くらいだ。

思えば僕が塾講師として働き始めたのは、大学に入って間もなく出会った先輩に紹介してもらったのがきっかけだった。

塾講師として働き始めたばかりの頃は、自分の業務を抜け目なく終わらせることばかりに気を取られて、生徒とおしゃべりしたり、生徒のことをよく知るためのコミュニケーションを取ったりすることなんて全くできなかった。

余裕ができてようやく生徒のことを深掘りするための雑談ができるようになったのは、3年生に上がってからの1年間くらいだ。

月謝がいくらかについては全然知らないが、自分がその金額に見合った指導をしていたのかは、最後まで自信がない。


塾講師でアルバイトをするという事は、「先生もどき」になるという事だ。

教員免許も持っていないし、生徒に大仰なアドバイスを送れるような人生経験だって積んでいない。

自分のかつての勉強の手垢だけで勉強を教える。

そんな自分が「先生」と呼ばれながら生徒たちと接する事に、ずっとどこかむず痒さというか、居心地の悪さがあった。


だから、僕は生徒と接する時に1つだけ気をつけていることがあった。
指導方針とか、ポリシーとか、こだわりとか、みたいなかっこいいものではないけれど。

それは、「偉そうにならないこと」だ。

生徒が約束していた宿題をやってこなかった時。
授業時間に遅刻してきた時。
英単語の小テストを勉強不足でクリアできなかった時。

注意しなければならない時こそ、頭ごなしに怒らない事を心がけていた。

これはあくまで自己満足で、僕の授業を受けていた生徒たちからしたら「どの口が言ってんだ」と鼻で笑われるような戯言かもしれない。

でも、生徒たちが無条件に「先生」と自分のことを呼んでくるからこそ、その立場にあぐらをかいて偉そうな振る舞いをしないように気をつけていた。

自分が学生時代に嫌いだった先生たちの姿を思い描きながら、「あんな風にはなるまい」と時々振り返っていた。

自分が生徒だった場合に、嫌悪感を抱く言動はしない。

僕が気をつけられた事といったらその程度くらいだ。
それでも先生と呼ばれた3年間は、なんやかんや楽しく過ごせた。

「先生もどき」の肩書きも失い、もはや学生たちの若々しいパワーに触れられる機会も無くなった。

かりそめの先生気分に浸らせてくれた塾と、大して歳も変わらない僕を先生と呼んでくれた生徒たちには、とても感謝している。

みんなが将来、なりたいものになってくれたら。

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