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どうしてカンボジアで児童福祉にかかわることになったのか①

避けて通ることのできない質問

わたしがその運営に関わっている児童養護施設「スナーダイ・クマエ」(カンボジア人の手によるもの)には、年間約300人の日本人訪問者がいます。今は世界的なコロナウィルス感染拡大の中にあり、2020年3月以降訪問者はゼロですが、以前は毎月訪問予約が入っていました。

シェムリアップの中心部からさほど距離もなく訪問しやすい立地であることは間違いないので、スタディツアー、ゼミ旅行、学生団体の訪問など大学生を中心とした若者のグループを受け入れることが多くなっています。これまで何度か出演したテレビ番組を見たと言って訪問予約をしてくれる人も少なくありません。ここ数年の傾向としては、中高生の学校単位での研修旅行も増えていました。ともかくそういう人達を迎え入れ、施設の歴史や教育方針から始まり、近年のカンボジアにおける児童福祉に関する情報などをお話ししつつ、敷地内を案内して回ることもわたしの大切な役割となっています。

「どうしてカンボジアにこういった施設を作ろうと思ったんですか?」

訪問者の多くから何度も尋ねられてきました。わたしの答えはいつもひとつだけです。

「わたしが結婚した相手が施設を立ち上げた人だったから。」

活動を始めたのはわたしではないし、正直な気持ちを言うとわたしはなにか大きな志や情熱を持ってカンボジアに来たわけではありませんでした。子どもは嫌いではなかったけど、無邪気に大好き!と言えるほどでもないし、国際支援活動に興味があったわけでもありません。ないないづくしで書いていて笑ってしまいました。でもこれがわたしの一番正直な回答なんですよね。

高校生の頃は、どうしても就きたいと思う職業というのはなかったけれど大学進学はするだろうなという漫然とした思いだけはあり、それなりに勉強だけはしていました。ただその先に思い描く具体的な将来像は何もなかったんです。

プロフィール記事にも書いたように、カンボジアに来て結婚相手に出会い、その後結婚してこの地で暮らし始めました。当時配偶者の運営していた施設を手伝うということはごく自然な流れでした。ただ2010年に離婚したあとも、わたしが責任者として施設運営を引き継ぐ決断をしたのには理由があります。

それはまた次の記事に書きたいと思います。


【写真】
2000年@シェムリアップ・スナーダイクマエ
写っているのは卒業生のラーヴォ(現在スナーダイ・クマエ代表)
破れた衣類をミシンで修繕する様子

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