メアス博子~snadaikhmer

カンボジア・シェムリアップ在住(1999年から)/ カンボジア内務省・社会福祉省登録 …

メアス博子~snadaikhmer

カンボジア・シェムリアップ在住(1999年から)/ カンボジア内務省・社会福祉省登録 児童養護施設スナーダイ・クマエ事務局長 / 移住前のことやカンボジア生活で思うことなどを綴ります

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最近の記事

敵はお前や

この数年、わたしがずっと戦い続けてきた相手。 敵はどんどん力をつけてきて、わたしの無力感がつのる。 円安。 施設運営していく中でいろんな山は越えてきたつもりやけど、自分が原因で起きた問題でもなく、自分の力で何とかなるわけでもないこんな敵っておるか…。 そろそろ勘弁してくれへんかな。 しんど。

    • 人は人、自分は自分

      わたしは1人でいることイコール孤独と思ったことはない。 たとえ大勢の人に囲まれていても、それが何の関係性も築いてない大勢だとしたら、そこにこそ孤独が存在する。 ずっと1人だとさみしいでしょう? 離婚歴のあるわたしにこんなことを言ってくる人もたまーにいます。 悪気なく言ってるのは承知してるけど、大人ならむしろ悪気があってくれとすら思う。 無邪気にさみしいと決めつけられると、どんなに言葉を尽くしても理解してもらえないだろうと諦める。 否定しても強がってる、そんなわけないと

      • 邂逅 〜海の街で

        4月のカンボジア正月三が日返上でずっと仕事してて、今もまだ続いてます。 去年のクリスマスからやまない副業フィーバー。 そんな中、ちょっと無理して旅行してました。 いや、そんな余裕なかろうっていうときでも楽しそうなことは外したくない。 普段、十分すぎるくらい引きこもってるけども、自分から動き出すのはほんまに行きたい証拠やねんな。 仕事あっても何でも行きたかったのは、卒業生の披露宴。 彼はシェムリアップ 出身やけど、お嫁さんが海の街シアヌークビル出身ということで披露宴会場は彼

        • ぜんぶつながったおはなし

          「ばーちゃんがおらんくなるはずないと思ってな。僕、何回も押し入れ開けて見ててん。」 東京で一人暮らしをしている息子の口からこんな話が飛び出したのは数年前のこと。 色々と疑問はあるがまあちょっと置いといて…。 日本生まれカンボジア育ちの彼は、トリリンガル(英語、日本語、クメール語、その他言語ちょこちょこ)。さらに日本語は標準語と関西弁のバイリンガル。わたしと話すときは関西弁60%標準語40%といったところでしょうか。 誰にも聞かれてないけどわたし自身に関して言うと、普段は

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        • 2024
          8本
        • Snadai Khmer わたしの記録
          9本
        • 2023
          42本
        • Snadai Khmer 子どもたちの日常
          14本
        • カンボジア料理
          5本

        記事

          自分用は初めてかも

          25年前に首都プノンペンに移住。 当時の暮らしは下記をご参照ください。 ヤフコメでコテンパンにやっつけられた懐かしき記事です。 翌年、アンコールワットの町シェムリアップ に引っ越して今にいたります。 施設の子どもたちと作る日常食やたまにふるまうカレーや豚汁、ハンバーグなどの特別な食事の食材購入はローカルの市場に行くんですが、自炊用の食材はついついスーパーで調達しがち。 市場は駐車が大変で敬遠してました。 あと、リンク先の記事にもあるようにカンボジア生活のスタートは助

          自分用は初めてかも

          おんなじやった

          昔うちの施設で暮らしてたけど、親の都合で家に戻った子(今はおじさん笑)がいてる。 彼とは長年会ってなかったけど、ここ数年よく施設を訪ねてくれるようになり、親交が深まっている。 施設を出てから数年して、ある旅行会社でガイドをしていたのは知っていた。 なぜならわたしの友人がそこで働いていたから。 元気にしてるんやなと遠くから見守っているような気持ちやった。 先日、その子(おじさんやけど笑)と食事をした。 そのときに、友人の話になった。 お母さん(とわたしは呼ばれている)の友

          ひっそりラジオ

          ゆっくりするためにカンボジアに来たのに、1月に帰ってきてから昨日までほぼ休みなしで走ってました。 今日は仕事はしないと決めて、冷蔵庫の整理と洗濯をして、Netflixで韓国ドラマを見ながら自作のカレーうどんに舌鼓を打つという至高の時間を過ごしておりました。 前回も書いたけど、元旦にネットラジオを始めています。 既存のSNSではまったく告知してないので、ひっそり細々やってるんです。 まだ聞いてくださる方はほんの少しではあるものの、ラジオを始めていなければ知ってもらうこともな

          2024も続けていけそうな

          三日坊主なんですよ、たいていのことは。 去年の年明けにしばらく放置してたnoteを再稼働しようと思ってから、1年で42回投稿したみたいです。 ちょっと仕事が立て込んでたときは再放置してたんやけど、あんまりきっちりやろうと思うと続かへんので、気の向いたときに今年もボチボチ続けていこうと新年の宣言をしておこうと思います。 元旦は、帰省してきた息子と近所の神社に初詣してきました。 2人並んで氏神様に一年のお礼を伝えられる幸せを素朴に感じ、引いたおみくじは仲良く2人とも中吉で。

          2024も続けていけそうな

          帳尻は合わせるもの

          20日ごろから副業依頼が入り始め、なんやかんやで合計8件。 前にも書いたけど、インタビュー音源を文字に起こす仕事、いわゆるテープ起こしというやつです。 誰もが知ってるような有名人や一生会うことなさそうな大学の先生からいろんな業界で面白い取り組みをしてはる人、大企業で働く人たちなど、とにかく取材対象になる人は多岐にわたることもあり、自分もインタビューの現場にいるかのように楽しんでやらせてもらってます。 この仕事をする前にもってたイメージは、ヘッドホンで音源聞きながら爆速で

          帳尻は合わせるもの

          謎の勢力が…

          神戸でミッション完了してから数日、ヒマでヒマでしかたなかった。 お勝手口にある棚の整理したり、庭の手入れしてくれた植木屋さんに元気よくありがとう!言うて過ごしてました。 そしたらきましたよ、副業依頼。 副業については下の記事読んでください。 しかも1人の編集者さんから6本。 別の依頼が数日後にくることは事前に決まってたから合計7本。 やることなさすぎたからうれしくもあったけど、結局クリスマス返上でずっとやってました。 この副業に関しては、ほんまに自分に合ってるなと思

          この子は大丈夫

          今年の1月になんとしても守ると宣言したパキラが逝きました。 2月末から5月半ばくらいまでカンボジアにいる間、姉に水やりを頼んでたけど 絶対にやってない、水 帰国してパキラにあいさつしよう思てみたら瀕死やん。 姉に、水やりしてくれてた?と聞いたら、ちょっと食い気味に やったよ うーそーつーけーーーー笑笑笑笑笑 絶対やってない。 そういうとこがかわいいよなぁ。 昔から変わってない。 姉よ、わたしには分かるのだよ。   とはいえ、わたしのパキラであるかぎり姉に責任転

          ミッションこんぷりーてぃっど

          この投稿は、2つ前に書いた投稿の続編です。 大学の部活の先生のお祝いの席、直前でハプニングはあったものの少し余裕をもって会場に到着したわたし。 もはや何年ぶりかも分からない再会に心躍らせながら皆さんとしばし歓談。 大先輩による乾杯の音頭とともに手にしたグラスを同じテーブルの皆さんに向けたそのとき… ニョキッ と割り込んでくるやいなや、 大前(旧姓)かい! 大きな声とグラスを重ねるチーンという音。 それはまさに不躾に視界に入ってくるミッションインポッシブル氏やった

          ミッションこんぷりーてぃっど

          後輩を戸惑わせた話

          やらかした。 わたしは大学時代に器械体操部のマネージャーをさせてもらっていた。 部の顧問だった先生のとあるお祝いの席にお声がけいただき、出席することになったのが先週のこと。 会場はホテルオークラ神戸。 神戸に向かう途中、仲良しの後輩と大阪駅で待ち合わせて神戸行きの新快速に飛び乗った。 わたしだけ。 飛び乗ると同時に上からロープみたいなやつ(ホームドア)が降りてきてわたしの頭頂をかすめた。 背後からは「無理です」という後輩の声。 振り返ると同時に無常にも閉まった電車の

          後輩を戸惑わせた話

          27年目の告白

          この話、言ったことありましたっけ?、と。 日曜日の夜、ハーゲンダッツをパクパク食べながらLINEしてたときに後輩からの突然の告白。 大学時代、3年くらい付き合ってた彼氏がいたんですけど、わたしと別れた直後くらいにその後輩がしつこく映画に誘われて、仕方なく一緒に行った、と。 何で今ごろその話やねんと爆笑。 その後輩とは学生時代から気が合う感じで、今でも出不精のわたしがランチするために大阪まで出ていくくらい仲良くしてるんやけど、長年荷物背負わせてたんやな、と。 言うてス

          孤児院ではなく児童養護施設として ①

          今回は、2000年当時の孤児院運営から現在の児童養護施設運営となるまでの変遷を記したいと思います。 長くなりそうなので何度かに分けて書くことにします。 日本で耳にしたことのない経済孤児という言葉。わたしがそれを知ったのは、現在事務局長を務めるカンボジア・シェムリアップにある児童養護施設スナーダイ・クマエの運営に関わるようになってからです。 当時、施設で暮らしていた子どもたちのほとんどはシェムリアップ郊外の貧困農村に両親がいました。わたしがそのことを知ったのは施設で暮らし始

          孤児院ではなく児童養護施設として ①

          やりたいこと

          ないんですよ、わたし。 夢とかやりたいこととか。 ないの。 だから、やりたいことに向かってがんばってる人のこと、めちゃくちゃ尊敬するねん。 そして、応援したくなる。 あ、でもこれは相手によるけど笑 振り返ってみたら、やってきた習い事で今でもちゃんとできることなんてなんもない。 水泳とピアノはほんま習ってたん?って自分につっこみたくなるレベルやし、茶道、華道、習字はちょっと知ってます程度やし。 しかも、その全てに今後も続けてやりたいほとの熱量もないという…。 ただ、それを