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★旅の記録★ 佐賀の旅(偉人モニュメント・佐賀城本丸・大隈重信記念館) 

1月末の週末に吉野ヶ里遺跡訪問にあわせて、初めての佐賀市内の観光もしてきた。

★佐賀の偉人モニュメント
JR佐賀駅から佐賀城方面への大通りの両側に佐賀の偉人25人のモニュメントが建てられている。大隈重信や、江藤新平といった”佐賀出身”をよく認識していた人もいる一方、あーこの人も佐賀の出身なんだと初めて認識した人たちも。森永製菓の創業者・森永太一郎や江崎グリコの創業者・江崎利一などがそう。やはり教育の優れた土地柄だったのだと改めて認識した。
(佐賀の偉人25)
鍋島直正: 1814年~1871年 佐賀藩10代藩主
古賀穀堂:1777年~1836年 藩校「弘道館」の教授 意見書「済急封事」
鍋島茂義:1800年~1862年 江戸時代後期の佐賀藩武雄領主 佐賀藩の近代化の礎を築いた
大隈重信:1838年~1922年 弘道館出身 1898(明治31)年 と1914(大正3)年に総理大臣
副島種臣:1828年~1905年 弘道館出身 明治政府で外務卿
枝吉神陽:1822年~1862年 弘道館出身 弘道館で教鞭 尊王思想
島義勇:1822年~1874年 弘道館出身 北海道開拓の父
佐野常民:1822年~1902年 弘道館出身 博愛社を創設
江藤新平:1834年~1874年 弘道館出身 明治政府の初代司法卿
大木喬任:1832年~1899年 弘道館出身 初代文部卿
辰野金吾:1854年~1919年 日本人初の建築家の一人 日本銀行本店、東京駅などを設計
曾禰達蔵:1852年~1937年 日本人初の建築家の一人 慶應義塾創立五十年記念図書館などを設計
中林梧竹:1827年~1913年 六朝書体や墨絵の技法を学び、芸術性豊かな書風を確立
田澤義鋪:1885年~1944年 社会教育家 「青年団の父」
下村湖人:1884年~1955年 教育者、社会教育家、小説家 『次郎物語』
志田林三郎:1855年~1892年 日本の電気工学の祖
黒田チカ:1884年~1968年 女性の化学分野での日本初の理学博士
森永太一郎:1865年~1937年 森永製菓の創業者
江崎利一:1882年~1980年 江崎グリコの創業者
伊東玄朴:1800年~1871年 蘭方医 近代医学の祖 種痘を広めた
相良知安:1836年~1906年 蘭方医 日本にドイツ医学を導入した医学者
石井亮一:1867年~1937年 社会事業家 日本初の知的障がい児教育
石井筆子:1861年~1944年 近代女子教育者 19歳の時にフランス留学 知的障がい児教育
中冨三郎:1876年~1957年 久光兄弟合名会社(後の久光製薬)初代社長
市村清:1900年~1968年 リコー三愛グループの創業者

森永太一郎
江崎利一

★佐賀城本丸歴史館
佐賀城本丸が再現されていて、中では幕末佐賀の偉人たちが学んだ「弘道館」に関する展示がとても興味深かった。この藩校では、幕末期には藩士の子弟すべてが学ぶことができ、17歳ころには全寮制に。さらに成績優秀者は江戸や大坂に留学できたという。当時の生徒と同じように、論語を読むことができるコーナーも(下写真)。こういう所謂リベラルアーツ(教養)教育が基礎となり、優秀な人が巣立っていったのだと思う。

論語を読むコーナー
戊辰戦争で新政府軍の強力な武器となったアームストロング砲(模型)

★大隈重信記念館
(大隈重信)
「1838.2.16~1922.1.10 明治・大正期の政治家。佐賀藩士の家に生まれる。幕末期尊王攘夷急進派として活躍,新政権では徴士・参与・外国官副知事・会計官副知事などを務め,1870年(明治3)参議に就任,財政通として近代産業の育成に努めた。81年開拓使官有物払下げや国会開設問題で伊藤博文らと対立,参議罷免(明治14年の政変)。翌年立憲改進党を創立,東京専門学校(現,早稲田大学)を創設。88年外務大臣となり条約改正交渉に臨むが,外国人裁判官任用問題で辞職。96年進歩党,98年憲政党を結成,同年日本初の政党内閣を組織するも,4カ月余で退陣。一時政界を離れ大日本文明協会の設立など文化運動に尽力した。1914年(大正3)第2次大隈内閣を組織。16年退陣,政界から引退した。」(山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」より引用)
この記念館は、大隈重信の生誕125年を記念し、昭和41年11月に落成。佐賀市が管理。大隈重信に関する歴史資料を展示するほか、大隈の生家が保存されている。

大隈重信生家

★おまけ
佐賀市中心部のマンホール(地下埋設管の蓋)はムツゴロウ!

【感想】初めての佐賀への旅。前日に吉野ヶ里遺跡、翌日は、佐賀市内の散策と美術館・博物館巡り。美術館は別記事でたっぷりと報告。今回は金曜日の夜に東京から飛行機で福岡へ。深夜着のため福岡で一泊し、翌日、宗像大社へお参りして、佐賀へ。二日間たっぷりと佐賀を楽しむことができた。駅前は想像以上にすっきりした感じだったが、さすが教育熱心な佐賀藩の土地柄なのか、美術館や博物館も素晴らしかった。改めて幕末日本の教育水準の高さが、欧米列強からの侵略を防ぐ力になったのだと感じた。



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