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竜馬がゆくを読んで

こんにちは。

戦闘ごっこをして激しく暴れまくったあと、「赤ちゃんが起きるから戦闘ごっこやめとこ。起きたらお母さんと僕怒られるしな。もう戦闘ごっこやめとこな」と独り言つぶやく息子。
おい!
なんでお母さんも怒られるんだい??

さて。。。
今さらですが、自分自身、戦国時代や幕末をあまり知らないな、と常々思っていました。

とっつきにくく感じるのは、登場人物が多すぎることと、どことどこが手を結んでいるのか覚えられないことです。

西郷隆盛や勝海舟、板垣退助、桂小五郎など、聞いたことはあるけど、何をした人かは、はて。。。?といった感じでした。

今、『竜馬がゆく(司馬遼太郎著)』を読んで時代の流れが分かってきて楽しいです。

試験のために名前や記号だけ覚えても全く残らないので、史実と違うところがあるかもしれないけど、楽しく流れが分かった方が歴史に親しむ取っ掛かりとしては良いな、と思います。

誰からも好かれる坂本竜馬という人物。作者も惚れてるんだろうな、と思いました。大きい器と視野、300年続いた上下関係におかしいと思い、人を平等に見るところや、好奇心旺盛なところも素敵です。

武市半平太と竜馬とでは徐々に目指すところが違っていくのですが、そのときも、
竜馬は、議論しない。
議論などは、よほど重大なときでないかぎり、してはならぬ、と自分にいいきかせている。
もし議論に勝ったとせよ。
相手の名誉を奪うだけのことである。通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、負けたあと、持つのは、負けた恨みだけである

と書いてあります(竜馬がゆく3巻)。
武市半平太は議論好きで、しかも相手にトドメを刺すまで止めない。言い方もきつい。
私もどちらかというと半平太タイプです。
そりゃ、友達が少ないはずです。
この年になると、もう性格なのでなかなか変えることは難しいのですが、そんな言い方だと嫌われるぞ!と意識はしようと思いました。

竜馬がゆく4巻にも
清河は人を引っぱってゆくときに、人の心理をつかんでいない。だから、事成るという寸前に同志からほっぽりだされ、つねに失敗してきている。

卓抜すぎるほどの批評家で、同志の無能を憎み、相手の慎重を怯懦とし、しかもそれを攻撃する論理、表現はアイクチのようにするどく、相手が参ったといってもやめず、つねにトドメを刺すところまで言及した。
のこるのは、恨みだけである。
よほど大事の瀬戸ぎわでないかぎり、座興の議論などに勝っても仕様がないものだと竜馬はおもっている。相手は決して負けたとはおもわず、名誉を奪われたとおもう。いつか別のかたちで復讐するだろう。】


【相手を説得するばあい、はげしい言葉をつかってはならぬ、と竜馬はおもっている。結局は恨まれるだけで物事が成就できない】

これ、してしまいがちです・・・。

8巻でも永井主水正尚志との対話で、
【竜馬は議論の勝ち負けということをさほど意に介していないたちであるようだった。むしろ議論に勝つということは相手から名誉を奪い、恨みを残し、実際面で逆効果になることがしばしばある。
すでに議論で七分どおり、当方のいうことに相手は服している。あとの三分まで勝とうとすれば、相手はひらきなおるだろう】

こてんぱんにするのは、している方は気持ちいいし、100%言いくるめて勝ちきりたい!!と思ってしまうけれども、冷静に状況を見て、ここらで鉾をおさめた方が良いと判断して、自分を律する(自分をコントロールできる)人が1番対人スキルが高いよなぁ、と思いました。

幕末は佐幕か勤王かでわれています。
【人間、恵まれた環境ならば現状がいいのにきまっているからだ】
という言葉があり、
所属している会社の上層部を見て、本当にそうだよなぁ・・・と思います。

蛤御門の変で長州を破り、薩摩藩が優勢になったけれど、周囲の風が冷たいことに対して、竜馬が西郷隆盛に
【人間、不人気ではなにも出来ませんな。いかに正義を行おうと、ことごとく悪意にとられ、ついにはみずから事を捨てざるをえなくなります】と言います。

神戸軍艦操練所が幕府から解散の命令を受けた時に、竜馬が陸奥陽之助に金庫にある金を塾生全員に分配するよう言い、陸奥がこれからお金がかかるから置いておいた方が良いと言うと、
【竜馬についてくる1割ほどの人数が金を独り占めした、と評判がたてられてたまるか。
浪人会社をおこすにはこのさき金が頼りだが、金よりも大事なものに評判というものがある。世間で大仕事をなすのにこれほど大事なものはない。金なんぞは評判のあるところに自然と集まってくるさ】

というのも、真理だよな、と深く頷きました。

司馬遼太郎さんはちょいちょいいいタイミングで男女の色恋のことも書いているのですが、それが本当に艶めかしくて、女性の機微も上手に捉えていて、そうそう!!と頷いてしまいます。

6巻でおりょうが、竜馬の行動に対して
【つきあいきれないと思うのだ。】
【もともとおりょうはお針も煮たきもできない女で、どちらかといえば行動的性格にできている。おとなしく家庭をまもるたちではないくせに、かといってこうも変転きわまりない暮らしのなかに揉みに揉まれていると、ふと人並な暮らしの楽しみに思いこがれるのである。人間とはなんと奇怪で物欲し屋で、あくことのない幸福への空腹感をもちつづけている動物であろう】

とあります。

竜馬のような男に惚れて、この人についていく!!振り回されることも厭わない!!と思っても、それが常態化すると、隣の芝生が青く見える。この女の心理、分かるわ~と膝を叩きました。
愛するよりも愛される方が刺激は少ないけど、心の安定は保てる気がします。

そして、最後に、
司馬遼太郎さんが
【私心を去って自分をむなしくしておかなければ人は集まらない。人が集まることによって知恵と力が持ち寄られてくる。仕事をする人間というものの条件の一つなのであろう。
これは龍馬にも西郷にも当てはまる】

と書いてありました。
人は私欲にまみれがちだけど、それを限りなく少なくできる人が、
時代を動かすほどの事をなせる人なのだなと思いました。

時代を動かすなんて全く考えてはないけれど、私、絶賛、金(欲)のことばかり考えていました。。。

「金は天下の回りもの」。私の母がよく言うことばです。

お金より大事なもの(評判)を守ることに注力した方が、人生幸せだよな、と思う体験も最近続いたので、改めて反省しました。

『竜馬がゆく』。面白かったです。


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