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X-Pro2 - Beloved.

こんなに好きになれたカメラが、他にあっただろうか。

FUJIFILM Xシリーズはそれまで2年ほど使っていた。X-E1に始まり、X-T10、X-Pro1と、いろいろな機種を使ってきていた。X-Pro2を使う直前にX-Pro1を使っていたから、X-Proがどんなラインなのかも知っていたし、どう使えばいいかもわかっていた。

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初めてこのカメラに触った2016年1月、「ああ、やっと探していたカメラに出会った」と直感で思った。色や画質の進化は当然だけど、より写真機として洗練された、その"佇まい"に惚れ込んだ。このカメラを手にすれば、抱き続けているフィルム全盛期への憧れに、それに限りなく近い体験ができると思ったから。高価なカメラだったので直ぐに手を出すことはできなかったが、同年5月の末、ようやく手に入れることができた。カメラ屋さん近くのスターバックスで、手元にX-Pro2の箱があるのが半ば信じられず、放心状態になっていたのを覚えている。

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購入する前にお店で何度も触った。それでも、箱から開けたときの感動は言葉にならなかった。手に吸い付くような塗装、ファインダー、シャッター音の感動は、お店で触るのと自宅で触るのとでは段違いだった。

ただただ、写真を撮りたかった。画質の良さとか、シャープさとか、そういうのは言ってしまえばどうでも良くて、ただただ無心にシャッターを切っていたい、そんなカメラだった。

このカメラと一緒にいると、旅の行き先とか、練りに練ったプランとか、そういうのがどうでも良いというか、必要性を感じなくなった。ふと行きたいと思った場所に行く、それが自分自身の旅のスタイルとして定着した。X-Pro2と共に行った場所は数えきれない。都内、秋田、山形、青森、仙台、長野、新潟、京都、大阪、広島、富山、金沢…。撮った写真も数え切れない程で、整理するのが大変だった。それでも、一枚一枚が大切なものだし、自分の記憶の延長にあるその写真は、その時の空気や匂い、温度を思い出させてくれる。旅した街も大好きになった。

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一昨年イギリスへ留学した時も、X-Pro2は心強いパートナーだった。最初友達がいない時は、このカメラと街を歩いてイギリスの事を知ろうとしたし、後にこれがきっかけで声をかけられ、友達もでき、更には写真の楽しさを伝えることもできた。ファインダー然り、シャッター音然り、純粋な「写真機」として撮ることの楽しさを共有できるのは、このカメラの一番の魅力だと思う。

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先日、次世代型となるX-Pro3が発表された。あるべき場所に液晶画面がなく、代わりに設定を表示できる小さい画面が、往年のメモホルダーのように鎮座している。その姿は、良くも悪くも大きな波紋を呼んでいる。

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ライカのパクリかどうかは置いておくとして、「写真を撮る楽しさ」を推し進めるX-Proは、便利なチルト液晶や手振れ補正よりもこのスタイルを貫いていくべきだと思うし、いずれそうなって欲しいと内心そう思っていた。こんなに早く実現されるとは思っていなかったので、早く触りたくて気が気でない。

しかし、だからと言ってX-Pro2が型遅れとして無用の長物になるとは思えない。X-Pro3にも引き継がれてはいると思うけれど、こだわり抜いたファインダーやシャッター音、半艶塗装は、もうすぐ4年が経つ今でも色あせることはない。

一度手放してしまい、もう一度手にしたX-Pro2。傷はまだあまりないし、これからもいろんな所に連れて行きたくて仕方がない。

最後に、フォトヨドバシの言葉を引用して、この記事を締めくくりたい。

「次はどこへ行こうか。いや、このカメラがある限りそんな問いは必要ないだろう。どこへ行こうが、何を写そうが、変わらぬ本質というものがある。その本質に最短で到達できるカメラ、それがX-Pro2なのだ。」

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