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【神奈川県鎌倉市】鎌倉梅散歩 護良親王の鎌倉宮に参拝 24.02.17_12:45

 永福寺跡から鎌倉宮へは近接移動。

 鎌倉宮はお騒がせ後醍醐天皇の皇子、天台宗座主で征夷大将軍、護良親王を祀る神社。

 護良親王の通称である大塔宮と地元では呼ばれる。

 創建は明治2年。武家社会の終焉から、建武中興に尽くした護良親王を祀ったもの。
 なので、鎌倉的には新しい施設だ。

 建武の中興というよりは、わがまま放題の父親に翻弄された人生の方を尊ぶべきだと思うけど。

 歴戦の勇士も優柔不断な父の保身のために政敵である足利尊氏に引き渡されて鎌倉のこの地で9ヶ月に及ぶ幽閉生活。

 最後は鎌倉を襲った北条残党による中先代の乱の混乱の中、尊氏の弟、直義の家臣に殺害されるという運命。

 ここで護良親王を称えると、後醍醐天皇を蔑むというジレンマ。

 保身のためにあっちに嘘つきこっちを騙しみたいな、Mr.朝令暮改な人物なのに、後醍醐は天皇であるがためのわがまま放題。新田義貞にしろ、楠木正成にしろ付き添う側は大変だ。

 そんな大塔宮は鎌倉二階堂の地に鎮座している。

 巨大なコンクリートの鳥居はいただけないけど、一段高いところにある拝殿、本殿はいい雰囲気。

 駅からの路線バスがここまで運んでくれるから、観光客も多い。

 護良親王がどういう人かも知らない人たちがたくさん参拝しているのを見ると不思議な気持ちになる。

 護良親王が捉えられていたという土牢も残っている。(参拝は300円と有料だけど)

 土牢への参拝口が以前から変わっていて、少し迷った。

 本殿裏の土牢が落ち着いた感じって・・・ことは、つまり若干おどろおどろしいのだけれど。

 参拝客は拝殿と本殿を通してこの土牢を拝んでいる形になる。

 こんなところで何ヶ月も・・・人権もへったくれも・・・そんなものそもそもないのか・・・

 脇には、護良親王が首を落とされた石とかが残されていて・・・

 明治に鎌倉宮ができるまでの何百年という時間、この場所はどういう扱いだったんだろう?

 なにか庵でもあったのだろうか?

 鎌倉でこれだけの土地が空いていたって・・・考えられないのだけれど。



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