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甲州、武田信玄と桜 オジ散歩2Days 1日目その2 武田家滅亡の景徳院 21.04.03 08:15


週末は山梨にいます。
2021年の山梨桜見物の旅。最初は景徳院から。


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2021年は武田信玄生誕500年の年なのだそうだ。
山梨ではイベント盛りだくさんなのだけれども、コロナ禍でどこまで開催できるのやら?
そう言えば、日蓮も生誕800年とか先日行った身延山に書いてあった。
山梨にとっては色々と記念の年だというのに・・・。


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そんな武田信玄の記念の年の桜見物を武田家滅亡の景徳院から始めるって・・・失礼かな(笑)


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戦国最強を歌った武田信玄が、西上作戦の途中で命を断って。
遺言により三年間死が伏せられて、息子勝頼の時代になったら・・・。


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最近では色々見直しが入って、武田勝頼も武田家最大の領土拡張に成功し名君だったとか言われだしている。
名君なら滅亡しないだろうとも思うし、誰彼構わず喧嘩を売って、最大領土を獲得しても気がつけば周りは敵ばかりで結局どこも支えきれずに内部崩壊って・・・言いたくはないが、やっぱり大した殿様じゃなかったのではなかろうか?


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そんな武田勝頼が、家臣の小山田信繁をたよって逃亡途中に裏切りにあい自ら命を落としたのがここ天目山の地。
後にその場所に徳川家康の命で建立されたのが景徳院。由緒は正しいです。


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最後の最後に家臣に裏切られる武将と、最後の最後まで家臣と共に戦い籠城や野戦で死んでいく武将って何が違ったんだろう?
例えば戦国の三国同盟でも、武田氏と今川氏は最後は裏切り合いだったけれども、北条氏は城を枕に腹を切るまで抵抗(実際はろくな抵抗してないけれども)する武将。
街道一の弓取りも戦国最強も形容詞は立派なんだけれども・・・。
なんだか難しいね。


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そんな武田家滅亡の景徳院が見事な桜に飾られていた。
勝頼が自決をしたのが3月11日。旧暦だから季節感は全然違うが。
最後に桜を見られなかったのは残念だろうけれども・・・っていうか、当時はソメイヨシノなんて咲いてないか・・・(爆)



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