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「思考が現実になる」の体感実験

実現するのとしないのがある謎

この、「思考が現実になる」って言葉を実感するにはある程度段階のようなものがあると思っている。ただその段階には目安が無くてとてもわかりづらい。実現する・しないの差はなんなのかがずっとわからず、モヤモヤしていた。

先日思い切って15年ぶりくらいに海外旅行に行って体感としてわかったことは、「〜したいなぁ…」くらいではダメで、「〜したい」の言葉の裏に「何がなんでも絶対〜する!」ってくらいの強さがあるかないかで、実現する・しないが分かれるみたいだ…ということだった。

例えば「いつか〜に行ってみたい…」だとその「いつか」がはっきりしてないから、いつまでも叶わない。
こないだ行ったその海外旅行は推し活旅行だったのだが、私は「かてぃんさんがアメリカデビューする時には必ず遠征する!」と彼のスケジュールが決まる前から強く決意し、ウィッシュリストにも書き出していた。

実行できたのは環境やタイミングが全て合った偶然もあるのだが、でも出発の約2ヶ月前に発症し直前になっても治る気配のない肋間神経痛に苛まれていて、諦めるかどうかの瀬戸際だった。それでも「不安は幻想!たとえここで人生終わっても絶対に行く!」…とやや大袈裟だが、そのくらい強く決めて、度々自分を奮い立たせながらも敢行してしまった。
ここまで無謀なのはオススメできないが、強く決めたことは叶う、と少しその感覚がわかった気がした。

この"決める"が大事なんだと思う。


「思考」よりも「決意」

思考が現実になる…も確かにあると思うが、放っておくとネガティブ思考になりがちな自分は、「思考」という段階だとネガティブばかりが実現してしまいがちだ。
本当に叶えたいことは「絶対に揺るがない決意!」くらいの強さで脳内インプットしないと、私の場合は「思考」を越えられないと思った。

私はこれまでずっと自分のやりたいことが何かがわからず、それこそ10代の頃からずーっと、ずーーーっと考えてきた。
でも、この"考えて"も間違っていたと思う。

本当にやりたいことは、考えて、こじつけて見つけるものではない。
考えて見つけたものは大抵、それで生活できるのかとか世間体とかを考慮してしまい、それが邪魔をして自分の心の奥底に封印しているほんとのほんとにやりたいと思っていることまで辿りつかない。
ほんとのほんとにやりたいことは、役に立つ立たないとか、お金になるかどうかとかを完全度外視したところにある。
ただ、日頃社会に馴染むように自分を一生懸命適応させて生活してると、このように振り切るのは相当の勇気がいる。

小さい頃、なんのしがらみもなかった純粋無垢だった時期に「〜になりたい」って思ってたことを思い出して…ともよく読んだり聞いたりしたけど、私の場合はそこに行きつくまでもすごく大変だった。
小学生の頃にはすでに親の希望が自分のやりたいことなんだと思い込み、無意識に願望が親のものとすり替わってしまっていたから。
それ以前のことなんて、覚えていないか、その時に思ってたことが自分のやりたいことに結びつくとは信じられなくて、無視するか軽視していた。
自分の奥底に眠る本心を無視して、頭で考えてこじつけた「好きなこと」をどこかピンと来ないまま続けながら、ここまでずっと生きてきてしまったのだ。

例えば、音楽。
音楽は好きだし大学でそれなりに勉強してきたのだが、「その経歴があってなんで音楽やらないの?」などと会社の面接や初めての場所で自己紹介するたびに聞かれるのがなんとも居心地悪かった。
好きだと思ってやっていた音楽に関わるお仕事(配信、制作、プロモーター、ライター…等々)のうちいくつかは携わったことがあるが、どれも途中で体調が悪くなり辞めるハメになる。
自分の潜在意識は「なんか違うよ、それ…」と感じているのに、顕在意識の「私はこれがやりたいんだよ!」に自分が騙されていた状態だったと思う。
頭で考えている事と奥底の本心が一致してないのだから、そのまま続けると壊れて行くのは当たり前だったのかもしれない。

そこで、本当にやりたいことを見つける(思い出す)には、この頭で考えてこじつけて行き着いた"やりたい"を完全に払拭しなければならないのではないかと思った。
それには超直感的になる…ある意味バカになることが必要だ。
そして、「こんなことやっていったい何の役に立つんだろう…?」とか度々理性的な自分がツッコミを入れてきたとしても、たとえ周りにあれこれ否定的なことを言われようとも、揺らがない程度には開き直る必要がある。

私はたぶんそれが怖すぎて、本心からずっと目を背け、思考で捻り出したまやかしの"やりたいこと"をすることで帳尻を合わせようとしてきた。
そして自分自身を余計にわからなくしてきた。


突然腑に落ちた!?

だが、ここへ来て突然、何かが吹っ切れた感覚がある。

突然とは言っても、この5〜6年、人との交流を避けて引きこもり(人に会うエネルギーが枯渇していた)、自分自身とひたすら向き合う日々が続いていたので、その期間を経てやっと腑に落ちただけなのかもしれないが…、
「頭で考える事に縛られないってこういうことかも??」みたいな感覚がやっとわかってきた気がしたのだ。

そこでまず、私はピアノを弾く自分を諦めた。
ピアノ曲を聴くことはとても好き、でも自分で弾くこと、ましてや人前で弾くことはやっぱり好きじゃない。
これまで自分の学歴に縛られて、人目を気にしてある程度弾ける自分でいなくちゃかっこ悪い…みたいに思ってる節があった。もちろん私の学歴を見ただけでは、私はきっと演奏することが好きでそれを目標にしてたんだろう…と思われて無理もないと思う。そしてその期待(?)に答えられない自分は価値が無い…と思っていた。
だから、往生際悪くピアノをまた再開したり辞めたりを繰り返していたのだけど、やっぱり私は演奏者ではない。自分が弾かなくても、自分の愛するピアニストの演奏を聴いていられれば充分満足だ(そう思えるピアニストにやっと出会えたというのもあるが…)。
今までそれを潔く認めることができなかったけど、前向きな気持ちで諦めて、手放した。

そして特に頑張らなくても小さい頃から褒められていたことを思い出して、フォーカスしてみることにした。

絵も褒められた記憶があるが、やるのは腰が重い。それよりもやっぱり字を書く方が得意だと思った。
たぶんまだ幼稚園くらいの頃だと思うが、美大出身の母が私に与えた幾何学模様のデザインブックみたいのをぬりえ代わりに黙々と塗っていたのも大好きだったのだが、一方で、やれと言われなくてもひらがなの練習をしていたのはたぶん好きだったんだろうと思うし、実際小学生になってからも硬筆の授業が好きだった。

小学3年から授業で習字が始まるのをきっかけに書道教室に通うことになった。その教室は週4回開けてくれていて、月謝据え置きで開いてる週4のうち、いつ何度通っても良かった。私は週3回位は通っていて、周りにはしゃぐ子供達がいようと我関せずでただ黙々と正座で筆を動かしていた。教室で上手い人認定されていたから居心地も良かったんだと思う。

今振り返ると、ピアノよりよっぽど熱心にやっていたじゃないか!と思い出した。


私はその教室を17歳で辞めて以来20年以上は書道からは完全に離れていたのだが、5年ほど前、休職中に25〜6年ぶりに別の学校で書道を再開した。
習い事とは別の切り口で体系的に学んでみたかったので、書学院という学校の師範コースに入り、2年かけて資格を取得したのだが、卒業後も引き続き競書をやって段を上げたりすることや、大会に出品するとかには興味が持てなかった。
墨を出して、狭い部屋に広げることや、道具や紙にお金をかけることも負担に感じた。

書道の中にも色々なスタイルがある。特に書家・書道家を名乗るのに国家資格のようなものがある訳じゃないから、その在り方は実に様々だ。
私はもっと身近な道具や紙で、身軽に書きたいし、大きなド迫力の作品ではなく、圧迫感のない繊細な美しい作品がやりたいと思っていた。
仮名はテーブルでもできるがやはり料紙や装丁が美しいに限るし、そこにかける金額は上を見たらキリがない。また、私は行書や草書よりも楷書、仮名よりも漢字が好きだし、得意だ。

…それらの条件にぴったりだったのが写経だった。

最初の書道教室で、私が小学生の頃、いくつか年上のお姉さんが紺紙金泥の写経作品を展覧会向けに制作していた。間違えたら最初からやり直しなのですごく大変そうだったけど、ものすごく美しくて、かっこ良く見えて、憧れていたのを思い出した。
私はその当時は写経はやることがなかったが、再開した時には師範コースで必須になったため、初めて写経をやるようになった。

般若心経の写経1枚仕上げるのに最初は3時間くらいかかったが、書き終えた後の達成感と美しさがやはり好きだと思った。
墨も少し磨ればいいし、筆の良し悪しにもそこまでこだわらなくていい。何枚書いても、ちょっと良いことをした気持ちになるのも良い。
私はこの美しさをさらに作品化してみたいと思い始めていた。
でも、写経を装飾して作品化したり、それを商品化したりしていいのだろうか…?バチ当たりにはならないか?…という一抹の不安もあり、どうしたらいいのかわからないまましばらく時間が経っていた。

ところがつい先日、たまたまパラパラと立ち読みしていた美術誌で、平家納経の写真を見かけた。そして開催中の「やまと絵展」に現物の展示があるのを知り、早速見に行ってきた。
平家納経以外にもいくつか装飾を施された写経が展示されていて、こんなに華やかに装飾された写経が許されていて、存在してたんだ…と、不安は一気に解消され、道が開けた気がした。やってみたいと脳内に描いていた形が許された気がした。

そこで、私は「決める」にかなり近づいた。


決意へと後押ししてくれた決定打

書家、書道家、英語だとCalligrapher…そう掲げるのは気がひけるが、アートカリグラファーなら門戸が広がり、しっくり来る。
そこで、装飾写経を中心にしたアートカリグラファー…これ、良くない?!とその時は自分だけで盛り上がっていたのだが、まもなく決意に至る決定打があった。

先月、これまた推し活旅で香港を訪ねた際に、卒業以来実に23年ぶりに、大学留学時代の恩師(ピアノの先生)に再会することができた。
積もる話を一通りした後で、当然のごとく「将来は?」という話になった訳だが、その時私は思わず「アーティストになりたい」と言ってしまった。

先生は私の亡き母に似たとても気の強い女性なので、私はそんなふわっとした事を言ったら、何かまた否定的なことを言われるかもしれない…と若干危惧していた部分もあったのだが、先生は私の話を聞いてくれて、良いんじゃない?とまるっと受け入れてくれた。
練習した写経の写真を見せたら「これ、あなたが書いたの?とても美しいわ…!」と言ってくれた。
先生とはアメリカで出会っているが、彼女は北京出身の中国人。書の本場の国の方にそう言ってもらえたこともとても嬉しく、少し自信が持てた。
私はこの再会でとても強く背中を押してもらえた気がして、「もうこれでいいんだ、これで行こう!」と決意が固まった。


歯車は動き出すと早い…

一度決めてしまうと、不思議なもので物事が急速に動き始める。

偶然時を同じくして、音楽関係の方面からポッドキャストをやらないか?とお声掛けいただいた。自分の好きな曲について語る、曲も流せるとのこと。
どこかから頼まれて選曲するのではなく、自分の好きなものだけを紹介できるなら、また喋りだけじゃなく曲も使えるなら続けられるかもしれない…と思い、やってみたいと返事をした。
最初は数名のグループで一つの番組をやる想定だったのだが、色々と考えて、私は独自でやらせて欲しいと相談し、やってみることに決めた。

そもそも口が重い方だし、さらに長い引きこもり生活で人との交流を何年も経っていたので、元々良くない滑舌はさらに悪く、声もカスカスになっているが、あれこれ考える前にまずやってみる。
たった5分程度のトーク部分を何度も何度も録りなおし、アプリでノイズをカットしてみたり、ロゴも作ってみたりして、なんとか第1回を先日公開した。

タイトルは「midnight reflection」


さらに、ポッドキャストの番組公開にタイミングを合わせて、自分のホームページも新しく作り直した。


ポッドキャスターというにはまだ1回しかやってないし、アートカリグラファーというにもまだ世に出せる作品が無いので、非常に見切り発車感は否めないが、"決めて"さえしまえば、後はそこに向かってひたすら邁進すれば良い。
自分が何をしたらいいのかわからないで闇雲に漂っている状態から一歩抜け出せるだけで、随分生きるのがラクになるし、楽しくなる。


現実化のキーは「決める」こと

以上がここ最近の「思考の現実化」の体感実験の結果だ。
"決める"ということが現実化への非常に大事な鍵なのではないかと、今回はだいぶしっかりと実感することができた。
この要領で、これからもまだまだ我が身を使って体感実験を続けて行ってみようと思う。

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