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【展示会記録】来たる、ミニマリズム。:ガブリエル・シャネル展

どうも。一休誰絵です。これまで読書記録ばかりをつけていましたが、実は美術館の展示会に行くのも密かな趣味の一つなのです。というわけで、今回は美術館の展示会での記録を記事にしようと思います。

最初に言います。独断と偏見の感想文です。変な解釈をしていましたら、どうか温かい目で見てやってください。

来たる、シャネル

今回、東京駅からほど近い場所に位置する、三菱一号館美術館において「ガブリエル・シャネル展」の展示会に赴きました。

私は、美術館の展示といえど、西洋美術の展示会くらいしか行ったことがなく……こういったハイブランドの展示会は初めてでした。

一言でいうと、「シャネルのミニマリズム、すきぃぃ!

ざっくり概要

表面をさっと撫でた感想を書きます。まず、展示の仕方がカッコ良い。黒と白をベースにしていました。展示物の邪魔をせず、けれどシャネル色だしていくぞ!という意気込みを感じます。展示物が浮かび上がって見えました。そのおかげで作品に没入できる。

というのも、シャネルの作った衣装は、派手な色使いがあまり見られません。近くで見ると初めてわかるのですが、レースやビーズで質感の違い・立体感を演出しているようです。正直「遠くから引き寄せられる!」というよりかは「近くで見ると、めちゃめちゃ精巧な作り!見惚れる!」といった感想を抱くのではないかと思います。

というわけで、シャネルがデザインした服は、あまり派手なものではありません。一方、小物・アクセサリーを展示していたのですが、対照的に派手なのです。そのアクセサリー、本人が博物館で展示された中世ヨーロッパの宝飾品からインスピレーションを受けていた、とか(情報が間違えているかもしれません汗)。中には本物の宝石ではなく、人工で作られた宝石も装飾されていました。

「自分を煌びやかに見せるためだけに、わざわざ本物を選ばなくても良くない?」という声が聞こえてきそうです。

服はミニマリズム、けれど小物・アクセは大胆に。シャネルが考える服は、あくまで人間の皮膚の一部分、ファッションでの自己表現はアクセが役割を担うような感じでしょうか。

シャネルの人柄を垣間見る

過去、シャネルの一生について描かれた本を読んだことがあります。確か、「ココ・シャネルという生き方」という本だった気が。

読んだ当初は「清々しいほどの我の強さ」を感じたのです。かっこいいけど、私はこんな生き方はできないなぁなんて思ったような気がします。

この先入観を抱いた中での展示会でした。

展示物は、どれも「女性の社会進出、何が悪いの??」と言わんばかりの、機能性を探求した服の数々。一方で女性特有のラインも程よく見せていました。

「社会進出のため、けれどフェミニンも忘れずに」

というシャネルの女性に対する優しさも垣間見えたような気がしました。

アイデアは、自分の目で見たものを。

シャネルがデザインした数々は、これまで豪華絢爛な装飾の服こそ正義!という時代に逆らったミニマリズムが生きているため、「革新的な」と言われることが多々あります。しかし、今回の展示会を見てみてると、シャネルがインスピレーションを受けたものは、どれも天才的な思考、というよりかは自分の目で見たもの・感銘を受けたものを、できるだけ自己流にアレンジせずに、自身のデザインに落とし込んでいたのではないかと思ったのです。

要は、突然降ってくるアイデアでなくとも、自分が「いいな」と思ったものをそのまま採用する。

そう考えると、「オンリーワン」が重要視されるような、今の時代を生きる私たちもアイデア構想のヒントを得られそうです。

また、シャネルは他国の文化が持つファッションも容易に受け入れています。ロシアの民族衣装の他、日本の漆や着物にもインスピレーションを得ています。そこから作られた服を見ても、やはり「そのまま」を意識しているようでした。

「非常に我の強い女性」というシャネルのイメージ、展示会によって彼女の柔軟性を見ることができたのは大きかったです……

ここで展示会の感想は終了します。帰り、あまりに感動して、普段は買わない回顧録を買ってしまいました。毎日パラパラ眺めていますが、買ったことを後悔したことは一度もありません。

今日はここでおしまい。独断と偏見のオンパレードでしたが、最後までお読みいただきましてありがとうございました。



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