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横浜の話

神奈川県横浜市には日本三大ドヤ街と言われる中の一つがある。
それが寿町で、まさにダウンタウンと呼ぶに相応しい町だ。
開発に成功したオサレ観光スポットであるみなとみらいなどのアップタウンの光が強いほど、ダウンタウンの闇は深くなる。
そしてその悪名高き寿町の近所に「黄金町」がある。

市内でも有数の貧困地域。その程度の低さはゴミ捨て場に投げられた家具やそれに貼り付けられた「回収できません」と書かれた色褪せているシールなどが物語っている。
特に私が住んでいた方面は若者がほとんどおらず、死にかけの老人、まともじゃなさそうな中年、どうせ不法滞在の外国人などの愉快なメンバーで構成されていた。
隣の家は猫の飼育崩壊が起きていて、エサを求めた躾も何もされていない猫が町中を徘徊し昼夜問わず鳴きながらうんこを撒き散らしていく。

当時うつ病を患っていた私は、そのうちの1匹の首を折って玄関前に置いておこうと本気で考えていた。

よくTwitterなどでバズる一人暮らしの女性が体験した怖い悪徳セールスや新聞屋、宗教勧誘。
全く体験したことがないと言ったらそれら全ての業者が嫌がって近付かないのではと、当時の友人とギャハギャハやっていた。
私のアパートは基本無法地帯だったのでデタラメな客たちは居心地が良かったらしく、部屋の中で堂々とタバコを吸いながら漫画を読んだりYouTubeを見たりしていた。
親しかったKなどは「適当にくつろいでね」と言う前に人の布団でゴロゴロし始めた程だ。

壁が薄すぎて隣の爺さんのクシャミが聞こえ、磨りガラスと木の引き戸が残っていて、床だけリフォームしましたみたいな雰囲気が醸し出ていて、エアコンの暖房が壊れているから通販で買った見たこともないメーカーのストーブしか暖房器具が無くて、そのくせエアコンが古いせいで冷房だけはよく効いて、階下にはDVの中年カップルが同棲していてよく警察が来ていて、そんな201号室は私が20代前半の3年間近くという青春を捧げた場所だった。

あの頃はうつ病で毎日病んでいた。自殺未遂と自傷を繰り返し、精神が限界になると泣き叫んでいた。
傍から見れば私も立派な異常者だった。
自殺したい自殺したいと口癖のように繰り返し、
似たような訳の分からない人間が沢山家に来ていた。
泣きながら傷の舐め合いをしたり、怒鳴り合いながらお互いを否定したり、絵に書いたような自堕落な若者がそこにいた。

最近所用で横浜にいた時代によく遊んでいたエリアに行った。
置いてけぼりの若い頃の自分が、思うままに生活していた。
ドン・キホーテ、VIVRE、相鉄線の前の広場、マック、飲み屋。
改装が済んだダイエー跡地の廃墟はイオンになって、
様変わりという程でもないが少し変わっていた。
こうして、見慣れて遊び慣れた町は姿を変え、そのうち人間を入れ替え、いずれ見たこともない町になっていくのだろう。
おじさんが「すっかり綺麗になっちゃってもう分からないな」と言うように。

黄金町に開発が入るならあのアパートは間違いなく立ち退きの対象になるだろう。
築40年の治安が終わっている木造アパートは邪魔だからだ。
そして綺麗なデザイナーズマンションが入ったりするんだろう。

♪「うるせえ黙れこのハゲ」とか上司に言ったらクビだね
だからTwitterで呟く 心で中指立てる
言いたいこと言ってた「あの頃」には今更もう戻れないけど
なんだかんだ言いながら今も楽しく生きてるぜ
マイライフ

おわり

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