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<映画感想文> 「リリーのすべて」 ※ネタバレを含みます。

ずっと観たかった「リリーのすべて」を観て、いろいろ感じたことがあったので綴ります。

はじめに

私はこの映画を観る前から、セクシャリティについて自分がどう捉えて、どう考えているのか、分からずにいました。男性、女性、という枠組みについて、LGBTQについての知識はまだまだ足りないですが、じゃあ私は、一体何者か分からず不安定でした。だからこの映画を見て何かの答えが出ると思いました。答えは出ませんでした。でも新しい考え方も生まれました。今日は自分のために詳しく綴っていきたいと思います。

映画を観た感想

アイナーが内なるリリーに気がつく前の、ゲルダとの夫婦の関係はとても理想的なものに見えます。お互いがお互いを思い合い、助け合い、愛し合っている。愛されてることを自然に受け止め日々過ごしていたと思います。だから、ゲルダが絵を仕上げるために、アイナーに女性物のストッキングと靴を履かせ、胸に豪奢なドレスを当ててモデルを頼んだことも、夫婦にとっては自然なことだったのでしょう。だけどそんな日常に、非日常的な”リリー”が現れてしまった。リリーが周りから女性として見られるたびに、アイナーが薄れていく。それを生活を共にするゲルダが一番に変わっていく日常を実感する。ゲルダがとてもとても可哀想です。リリーが残酷に見えるほどに。だけどリリーはゲルダを必要としています。ゲルダが後悔や悲劇と感じてしまうあの”きっかけ”が、リリーにとっては幸運な出来事と感じている。だからリリーはゲルダを愛し慕っているのでしょう。それを受け止め、最期まで寄り添ったゲルダにとって、リリーが受けた性転換手術はゲルダの中のアイナーを葬り、完全なリリーとして愛するきっかけとして(あくまで映画の話ですが)必要だったと思います。
リリーもまた、勇敢な人です。危険な手術を世界で初めて行った人物としても、今と比べようも無いほど差別され、虐げられている時代に、女性として生きた人としてもです。リリーの後に、今に至るまで何人苦しんだでしょう。でも、リリーが前例を作ったことで少しでも救われた人もいると思います。あの時代と比べると、ずいぶん世論も変わりました。私が一番感情的になったシーンは、パニエやドレスのたくさんある衣裳部屋の鏡の前で、一人で、着てきた男物の服を脱ぎ、女性のように見えるようペニスを隠し、胸にドレスを当てて女性になる。アイナーの心の中でもう堪えきれずに溢れそうなリリーを解放する。どうしようもなく現れるリリーを手懐けるようなその行為が私にとっては、とても苦しい場面でした。人間には、心が体の上にあって、人間を支配するのは心なのに、その入れ物であるはずの体が隠してしまっている。女性の体に憧れて、引き裂かれるような心を想像すると痛みをともなうような辛い気持ちになります。リリーが手術を受けられたことはとても幸せなことだったと思います。
映画を観て、私の中の認識が変わったのは、女と男、というものが存在すると感じたことです。私は、体の性別としての女性、男性は失くせないものだけれど、心の性別としての女性と男性はどこからどこまでなのか分からなくて、人間は人それぞれではダメなのかなと思ったりもしました。それは、私自身が何者なのか分からなかったからでもあります。私は、外見を見ればいわゆる女性です。女性らしいとされてきた服を好んできますし、体の性別も女性です。だけれどそれは、女性に見られたくてしている格好ではなく、単に好きな格好でいるだけです。そして男性から、女性として見られることに抵抗があります。女性として生きたいと、私は思わないのです。そして男性になりたいとも思いません。だから心の性別は分けられなければいけないものなのかと疑問を抱いていました。でもこの映画は、女性として生きたいリリーが主人公でした。病院で妊婦に向ける眼差しは、女性になって母となりたいリリーの強い気持ちが込められていました。ゲルダは、男性だったアイナーと結婚し、私には夫が必要だとリリーに告げるシーンもありました。ゲルダのアイナーに対する愛情とリリーに対する愛情は、同じくらい尊い愛でも種類は違うものだと思います。それはゲルダの心は女性だからでしょうか。女性としていきたいと願う人や、女性として生きることに幸せを感じている人が、何を持って女性と判断しているのかは人それぞれだと思います。だけれど、差別的な意味を持たない、”女性”と”男性”の概念は存在するのだと気付かされました。おかげで自分自身のセクシャリティについての悩みはこの映画を観てから以前より混乱してしまいました。私の、つい考えすぎる性格が治ってほしいです。
最後に、リリーを演じたエディ・レッドメインがとても美しかったです。この映画を観る前に、これから観に行こうと思っているファンタスティックビーストのニュートがリリーに見えたらどうしようとか考えましたが、全くその心配はありませんね。「リリーのすべて」に映るエディは完全にリリーとして私の記憶に刻まれました。

最後に

乱文、長文なのに最後まで読んでくれた方がいらっしゃったらありがとうございます。この文章は、「リリーのすべて」を観た私の、個人的な解釈と感想です。文章の中のセクシャリティに関することも同じです。共感していただける方がいたら嬉しいですが、考え方は人それぞれだと思っているのでまた違う意見を持つ方もいらっしゃるでしょう。自分の意見を押し付ける意図は全くございません。まだ「リリーのすべて」を観てない方が、私の文章を読んで、この映画に興味を持ってくれたら嬉しいです。


ちょっとリリーをイメージして描きました。。。


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