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#17 ワラ細工

井ノ川勝一さん(83)は冬になると、ワラ細工に励んでいる。ワラは井ノ川さんの手によって、手籠(てご)や草履や長靴などに形を変えていく。葉タバコを栽培していたころ、葉を乾燥させていた部屋を作業場にした。

井ノ川勝一さん(83)

井ノ川さんは幼少期、冬場はワラ仕事をする祖父の横で育った。「今のように保育園もなかったですからね。いつも見よう見真似でね」とワラに触れるようになった。
 
物心つくころには、縄をなうコツを取得していたという。そして、小学生になるころには、「自分で履く草履は自分で作れ」と本格的に習うようになった。小学校4年生のとき、祖父が亡くなると、時代の変化とともにワラ細工から離れてしまった。そして、獣医になった。

獣医をしていたころ子牛の鼻先につけていた面綱(おもづな)。昔からある複雑な結び方を覚えたことで、ワラ細工への興味が再燃したという

27歳になったころ、仕事で鼻環のついていない子牛をスムースに移動させたりコンロールしたりするために鼻環の代わりに面綱(おもづな)という昔からある特殊で複雑なロープの結び方を覚えた。「やはり昔の技術は素晴らしいな」と思ったことがきっかけで、ワラ細工を再開した。
 
ワラ細工はすでに生活の必需品ではなくなっていたけれど、自分一代でもいいからこの技術を残そうかなという思いがあった。「ワラ細工は先人の工夫と努力の結晶なんです。この技術を絶やすのは勿体無い」と。人から習ったり、現物を細かく観察して作り方を推測してみたり。子どものころ習った基礎が大いに役にたったという。

長靴のような「すっぽん」(左奥)と近所へ行くときに履いたワラ履(わらぐつ、左手前)。右手前の「すっぺ」は井ノ川さんが装着している脛当てと共に履いた。長靴と比べ足首が動くので冬の重労働や長距離移動に使った
左が馬履(うまぐつ)。右が牛草履。蹄が1つしかない馬は足全体を覆うように。蹄が2つある牛は鼻緒がある草履のような形に。馬履は作り方を習い、牛草履は現物を観察しながら自分で作り上げたという


工房で作品を見せてもらうと履物だけでも何種類もある。足の裏全体を覆う草履や、足の指や踵が直接地面に触れて踏ん張りの効く足半草履(あしなかぞうり)。冬場にちょっとした移動で履くワラ履(わらぐつ)や重労働する時に履く「すっぺ」や長靴のような「すっぽん」。馬に履かせる馬靴(うまぐつ)に、牛に履かせる牛草履。牛は蹄が2つあるので鼻緒のある草履を履き、馬には蹄が1つしかないので靴を履かせるのだそうだ。また、さまざまな用途に合わせてなわれた縄もあった。

さまざま用途に合わせてなわれた縄
手籠。山仕事へ行くときに弁当を詰めたり、採った野菜を入れたり。

「ワラっていうのは、昔は農家の生活、牛、馬まで含めた生活すべてに必要だった。牛、馬にとって重要な餌でね。それが生活の中で必要なくなっちゃった。特に履き物の「すっぺ」や「すっぽん」はね。消雪パイプができてから絶対ダメ。あれは雪の上じゃなくちゃね。水の上じゃ絶対にダメなんだ」。

祖父が使っていた竹の型。黒く煤けているけれど未だ現役だ
こちらも祖父が使っていたワラ細工用の鋏。今ではもう手に入らない

 
井ノ川さんは現在、十日町市博物館で、単なる体験目的ではなく技術伝承のためのワラ細工の講師もされているという。いらなくなった物(技術)を残そうとしている物好きだと謙遜する井ノ川さん。

技術伝承のクラスで使う草履をあむ


人が暮らしのなかで便利さを追求していくことは決して間違ったことではない。その過程で必要のなくなるものがでてくるのも避けられない。ただ、そんな運命に少しだけ抗って、消えゆくものを後世に残してゆくことも、人が持つことを許された豊かさの形のひとつなのではないか、と井ノ川さんと話をして思うのだった。
 
ちなみに、井ノ川さんは農作業をしていた5年ほど前まで、山仕事へ行く道中は足半草履を履いていたのだという。「蒸れずに踏ん張りが効き、いいんですよ」。決してワラの草履が現代の履物より劣っているわけでもないようだ。

手籠(てご)に弁当を詰めて山仕事へ行くなんて、現代の感覚でもお洒落なのでは?

『究極の雪国とおかまち ―真説!豪雪地ものがたりー』 世界有数の豪雪地として知られる十日町市。ここには豪雪に育まれた「着もの・食べもの・建もの・まつり・美」のものがたりが揃っている。人々は雪と闘いながらもその恵みを活かして暮らし、雪の中に楽しみさえも見出してこの地に住み継いできた。ここは真の豪雪地ものがたりを体感できる究極の雪国である。

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