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ディアブロⅢから人生に大切なことを学んだ

#全力で推したいゲーム

ハクスラの代表作とされるディアブロⅢを遊んだ。とても面白く、気づけば何時間もテレビの前に座っていた。なぜ、こんなに人を夢中にさせるのだろうか、考察を深めてみると人生に対する示唆を発見したので書いてみる。

ディアブロについて

ディアブロというゲームでは、自分は主人公である戦士を操作し、悪魔を倒して世界を救っていく物語である。ハクスラの代表作ともいわれる通り、ダンジョンで敵を倒し、倒した敵から得られる戦利品により自分を強化し、さらに高難易度のダンジョンに挑むというシステムになっている。

”沼”という表現をされるが、その名の通り一度プレイをすると、ワラワラ寄ってくるモンスターをザクザクと倒す爽快感、そこで得られる武器やスキルによりさらに高火力の攻撃でどんどん敵を刈っていくサイクルが快感で辞め時がわからないほどである。

実際に数年前にリリースされたタイトルにも関わらず、いまだに遊び続けている人も多い。

常に新しい戦士や新しい高難易度のダンジョンがアップデートで追加され、どこまでも青天井に強くなれる自分と、それに相対する敵の存在、そこから得られる報酬によって、永遠にこのサイクルを回していられるのである。

世界を救うストーリーは序盤こそあれど、それ自体は30時間ほどでクリアすることができ、その後はとにかく高難易度のダンジョンを攻略するためだけにプレイする。

実際ストーリーモードのクリアまではチュートリアルであると言われるほどで、ストーリークリア後に何度もダンジョンをクリアすることこそこのゲームの醍醐味であると言われる。

確かに、僕はストーリーモードをクリア後、しばらく進めたが、自分を強化する要素はどんどん解放されるし、ダンジョンも青天井に存在しているので、本当にやりこみ要素が無限にある気がする。

ディアブロⅢを通して感じたこと

ディアブロというゲームの解説をすると、すごく長くなってしまうので、それはWeb上にたくさんある攻略記事を読んでもらうとして、僕がこのゲームから何を感じたかについて言及する。

まず、ディアブロⅢをある程度やりこんだ末、僕が感じたのは、「これ、今なにを目的にやってるんだっけ?」ということである。

世の中のゲームには往々にして、大目標になるゴール・報酬が存在していることが多い。

RPGのゲームでは「ストーリーを先に進めたい」という目的があるし、PvPのゲームでは「他のユーザーに勝つ」という目的があるし、恋愛シュミレーションゲームでは「この女の子と付き合う」という目的があるだろう。

そして、それぞれの目的のために、レベル上げやプレイングスキルの向上、はたまた課金という”痛みの伴う行動や作業”を支払うことによって、目的達成時の快感をゲームを通して得るのである。

しかし、ディアブロⅢではその「目的」を見失ってしまった。ストーリーを進めるため?ダンジョンを攻略するため?より強い武器を獲得するため?戦士のレベルを上げて色んな技を繰り出すため?

どれも正解であって、どれも正解でない気がする、特に明確な目的も無いのだが、ずっとこの”沼”と言われるサイクルを回していることが心地よいのである。

逆に言うと、”痛みの伴う行動や作業”というのが存在せず、無駄がないのである。常にゲーム上での作業や行動が心地よく、それに対する報酬(武器屋スキル)が魅力的で、さらにちょうどよい壁(ダンジョン)が前に現れるのである。

つまり、ディアブロⅢの素晴らしさは、一言でこれ、といえるものではなく、『気持ちのよい作業』の先に、適切な報酬が存在し、さらにその先に適切な壁が存在し、さらにその壁に対して向き合うことで『気持ちの良い作業』がさらに気持ちよくなっていく、という複雑系にこそ価値があるのである。

この『気持ちの良い作業』とは、スキルで敵をザクザクなぎ倒すときの爽快感であったり、装備を装着するときの一新感であったり、レベルアップするときの充足感だったり、すごく人間の本能的なピュアな欲求に紐づいているのである。

この学びを人生に転用する

ディアブロⅢからの学びは人生に重要な示唆を与えてくれると思う。

まず言えることは、「報酬が先立つべきではない」ということである。

・「学歴」のための苦痛な勉強
・「お金」のための苦痛な労働
・「社会的地位」のための苦痛な結婚
などかもしれない。

これらは、ゲーム的な学びとしては続かない。極端な話ではあるが、ゲームでも「豪華な装備」を手に入れる為に「20時間薬草を探す」必要があるとすればどうだろうか。速攻でそのゲームはメルカリ行きだろう。

「目的」を一時的に得ることができたとしても、常にその「目的」のために苦痛な行動を継続することは困難であるし、それはもはやクソゲーであると思うのである。

ここでの学びとして、先立つべきは「ピュアな動機に基づいた行動」であるべきだと考える。

これは、もちろん人それぞれではあると思うが、少なくとも「その行動をやること自体が気持ちいい」と思えることなんだろう。

また、これは「目的」や「報酬」自体を否定しているのではない。

おそらくディアブロⅢでも報酬となる装備やスキルなどがないとやり続けることは不可能であると思う。

「目的」や「報酬」において重要なのは、「適切」であることだと思う。

最初から敵が強すぎてもクソゲーだし、最初から最強の装備が手に入ってもクソゲーだと思う。

自分の活動に対して、「適切」な報酬がフィードバックされるし、「適切」な壁が提示されるから、「ピュアな動機に基づいた行動」が腐ることなくずっと気持ち良い状態で継続できるのだと思う。

「自分のピュアな欲求に基づく行動」を実行していれば、「適切な」報酬が手に入り、「適切な」壁がその前に現れ、さらにピュアな欲求を高いレベルで満たしていく、というサイクルを回すことができれば、その人生は良ゲーと言えるのだろう。

また、人生ではたくさんの活動がある。これらの1つ1つを相乗効果のあるサイクルの上でアラインさせ、自分の根源的なピュアな欲求の元に回るように設計できれば、それは最高な人生ではないだろうか。

「仕事と私どっちが大事なの?」という問い対して、どちらか1つを選ぶトレードオフの関係性の上に持って行ってしまっていることは既にイケてなくて、「仕事をやればやるほど君のことが好きになるし、君を好きになればなるほど仕事で成果が出るようになってるんだ」と言ってやりたい。

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