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日本の民主主義は幻だった

新型コロナが証明した日本の実態 その1

2020年初めから徐々に世界中で騒ぎが大きくなった新型コロナ感染。
その病の本質を私がとやかく言うことは避けなければならないだろうし、正確なことを伝えられるわけもない。
国内でもその対策で追われ始めてもう1年半になろうとしている。
ニュースなどでも「危機管理」という言葉が度々聞かれたが、新型コロナへの対策で最も正しい答えを持っている人はいなかったことだろう。
「単なる風邪だ」という人や「インフルエンザと変わらない」という人もいて、いろんな方面から「専門家」という人がメディアにも引っ張り出され、国の諮問機関にも集められた。

右往左往する中で専門家や政治家たちの言っていたことを、しばらく後に答え合わせをして私にも見えてきたものがいくつかある。

ずっと前から日本の状況でモヤモヤと疑っていたことが、新型コロナを通して明らかになってきたという方がわかりやすい。
それを遠慮なく4項目の箇条書きにしよう。

 1 日本の民主主義は幻だった
 2 日本の官僚は優秀ではなかった
 3 日本は科学に基づく判断をしてこなかった
 4 日本はすでに先進国ではなかった

日本の民主主義は与えられただけ

2020年、ドイツのメルケル首相の演説が非常に興味深かった。そしてそれは大いに評価された。
ドイツ連邦共和国大使館・総領事館のホームページより
https://japan.diplo.de/ja-ja/themen/politik/-/2331262
新型コロナウイルス感染症対策に関するメルケル首相のテレビ演説(2020年3月18日)
その一部抜粋

次の点はしかしぜひお伝えしたい。こうした制約は、渡航や移動の自由が苦難の末に勝ち取られた権利であるという経験をしてきた私のような人間にとり、絶対的な必要性がなければ正当化し得ないものなのです。民主主義においては、決して安易に決めてはならず、決めるのであればあくまでも一時的なものにとどめるべきです。しかし今は、命を救うためには避けられないことなのです。
(中略)
我が国は民主主義国家です。私たちの活力の源は強制ではなく、知識の共有と参加です。現在直面しているのは、まさに歴史的課題であり、結束してはじめて乗り越えていけるのです。

メルケルさんの理解する民主主義と私も含めて多くの日本人が理解する民主主義は「違う」ということがわかる。
私の「渡航や移動の自由」はドイツ国民のように苦難の末に勝ち取られた権利ではないこと。

1945年8月に太平洋戦争に破れた日本がアメリカから押し付けられた、ということになっている日本国憲法によって日本の民主主義は「与えられた」ものと私は捉えている。
民主主義は与えられただけでは何の意味も力もなく、その後に国民が一から育て上げなければならない。過去の日本国民は民主主義を手に入れるために太平洋戦争を戦ったのではないのだからより一層そうなのだ。

新型コロナの感染を爆発させないための措置として「国民の主権を制限することはできない」というようなセリフを何度も聞いた。
ではドイツやイギリスやアメリカは民主主義の国ではないのか?
確かに憲法はこうだからという理由はあるのだろうが、国会は肝心なときであっても平気で予定通りに閉会にされてしまう。

挙手

自分が選んだ議員が招いた結果

今年2021年7月に行われた東京都議選。
この都議選も投票率は42.39%で前回よりも低いという。
これほどコロナ、コロナと騒いで様々な意見がばら撒かれたにもかかわらず、都民の有権者の半数以上は投票に行かなかった。

行かなかった人に聞くと「行っても変わらない」ということらしい。
これまでのどんな選挙でも、投票に行かなかった人の主な理由に挙げられている。
変わって、或いは変えて欲しいなら、「ノー(NO)」と言わない限り必ず「イエス(YES)」と同じになることをあまり考えないらしい。
まさに今の日本は現与党にとって多くの従順なイエスマンを養成できているようだ。

民主主義の基本は黙ることではなく個々人の意見を明確にすることだ。
国民には多様な意見を持つ自由があり、民主主義を体現する重要なものが「選挙権」だということを現在の多くの日本人は忘れてしまった。

国民に与えられた「自由」の権利は、それに対して「責任」という義務を負うことで成り立つ。
当然に個々人の明確な意見のもとに、選挙によって国民のその権利を委ねられ当選した人は「責任」を持たなければならない。
日本の選挙では「誰でもいんじゃない?」と言われて、一部の人の都合でのみ選ばれているからか、誰も責任を取らない。さらに言えば責任を取らなくて良いように、上手く行かなかった時はウヤムヤにしてなかったコトにするのが政治の常識になってしまった。
政治家のみならず、その意をくんだお役人さんたちも同じなんだろう。

投票に行こうが行くまいが、結果はすべて自分が選んだことだという自覚を私たち国民は持っているだろうか。
だからこそ、気に入らなければ次の選挙で必ず現与党には「ノー(NO)」と言わなければならないはず。
「選挙」の大切さを日本では義務教育で真剣に教えない。

言葉だけの民主主義

「日本は民主主義の国だから」という理由をよく聞いた。
その挙げ句、今回の新型コロナ感染対策でも責任者を出さないように生温く過ごしてきた1年半だったとしか思えない。そして今もって、国民はそれを許している。

それもこれも、結局は国民がすべて許しているからでしかない。
私は選挙でどうしても行けなかったのは人生で1度だけ。
その割にこの人に当選して欲しいと考えて投票した人はほとんどいない。
××さんは絶対に嫌だから、その人を落選させるためには誰を当選させるかという理由がすべて。
いつの世も、今と変えたいと思うならその時の与党以外に投票すれば良い。そして投票率を上げる。
良くなるかどうかは別にして、必ず変わる。
それも、替えてみなければわからない。
新しく代わった政権与党は、前与党と同じことはすまいと努力することは想像できる。

政治家や経営者の古いタイプの人はよく言う。
・若い者には任せられない。
・経験もないくせに。
・素人は役に立たない。

私はこの数年確信していることがある。
政治は特に、20年後も現役でバリバリの人が中心になるべきだと。
自分が20年後にあって欲しい未来の姿に向かって政治をすべきだと。

上記の3点が本当かどうか、年寄りの都合の良い言い訳でないかどうか、改めてよーく考えてみよう。
日本国民が本当の意味で民主主義を獲得できる日が来ることを信じて。

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