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月日が経つのも

最近テレビでウエンツ瑛士をよく観るなと思っていたら、理由や目的は詳しく知らないがイギリスに留学していてしばらくぶりに日本に帰ってきたのだという。
芸能人は大変だなと思った。
鮮烈にデビューしたり一発かますと大々的に注目されるが、突然いなくなっても気づかれることは少なく最初からいなかったかのようになる。
だからウエンツ瑛士を観たときに久しぶりだなと感じたが何故久しぶりなのかわからなかった。

帰国したばかりでまだ住む家がなくホテル住まいだと言う彼は、留学中の日本のことはさっぱりわからず、MCが今流行っている漫才のくだりをやってみてもポカーンとした顔をしている。
これはよく言う浦島太郎状態ってやつだなと思った。


僕みたいな低所得者には留学なんて無縁かというとそうでもなく、家庭が貧しかったということもなく与えられるチャンスをものにする勇気がなかっただけで、姉はアメリカに6年間留学していた。
独身の僕に対して親に孫の顔を二人も見せるという功績を残した姉、今現在の姉弟は何だかいろいろギスギスしていて正月しか会うことがない。               でも、当時の僕は姉をお慕い申し上げていて、誰にも言えない悩みがあるのですな17の少年は、親でも友達でもないちょうど良い距離感の下ネタ以外何でも話せる姉が、アメリカに行くと言い居なくなってしまったことに大きなショックを受けた。


周りとの差に劣等感を感じずにいられずちょいちょいサボりがちだった冴えない高校生活中、待ち望む楽しみは姉の帰国だった。  アメリカの学校が休みに入るとアルバイトをするために姉は毎年一時帰国した。    今の関係からすると考えられないが、約一月の帰省を終えて彼女がアメリカに戻るとき僕は男子たるものひと目もはばからずわんわんと泣き両親さえもドン引かせた。

当時インターネットが普及する前というのもあり外国にいると日本のことを知らず、一緒にテレビを観ているとあれもこれも「知らない」と無感情に言う姉がなんだかとても格好良く見えて、スポーツも芸能も漫画もJ-POPも何でも詳しすぎる自分がどうしようもなくダサいと感じた。
浦島太郎に憧れるも、自分は姉のようにチャレンジできる人間ではないと高校生にして薄々感づいてしまっていたので、表情変えずに自分の国の出来事を「知らない」と言える日は僕には来ないと思っていた。



月日は流れ同級生たちは就職して悪戦苦闘の日々を送るなか、まだ大学生で、人より長く通っている分その年の学業での最低ノルマは低かった僕はバイトばかりしていた。
電車を乗り継いで大学に行くのは週に1,2回だけ、定期券範囲内にあるバイト先に行くために通学定期券を利用していた。
1日6時間、週4日働けば実家暮らしの学生にはそれなりの金になり、学生が持つにはどうなのかと、これでは数年前本で読んで憧れた貧乏旅行にならないのではという軍資金を貯め込むと長年務めたバイトをあっさり辞めて海外旅行に行った。

大学生の夏休みは長い。
上手くやりくりすれば2ヶ月は休めたのでその間ガッツリいろいろな国をまわった。
金があったから、やたらと物価が高い国ではさすがに節約したが、ほとんどの国で宿や食事に困ることはなかった。        我が旅のスタイルは、バカでかいリュックを背負ってはいるがバックパッカーと呼べるものでは到底なかった。でも、目指したスタイルとは違くてもごく一部の国を除いてほとんどの国は楽しく、日々刺激的で、くだらない自分の学生生活に少しは色をつけることができたかなと思った。


長い旅行から帰ったときの成田空港ほど寂しく虚しいものはない。
日本語の看板が現実に戻れと言ってくる。
車窓からの風景も緑が多いうちはまだいいが、ビルが増えてくるといよいよヤバイと泣きそうになる。
家に着いてもしばらく使い物にならずダラダラしていると「だから旅行なんて反対だったんだよ」と母に罵られ、気まずくて家を出てコンビニに入る。
日本のいいところはどこにでもコンビニがあることだなとその時本気で思った。
そして、そこで立ち読みした記事のことを今でもよく憶えている。

なんの雑誌だったかは忘れたがそれはあるお笑い芸人についての特集だった。
その芸人のギャグは「斬新」とか、「独創的」だとか、「中毒性がある」などと書かれていて、最近何かの拍子に大ブレイクして彼は今超人気者だというのを僕は知らなかった。
「中毒性がある」というその文字ではよく伝わらないギャグをもの凄く見たいと久々に好奇心が湧いてきて、何も買わずにコンビニを出ると、帰国してから現実逃避のため全く点けることがなかったテレビを点けてみた。

さすが大人気の芸人。
小一時間チャンネルをまわしまくっていたらすぐに出会うことができた。

そして、そのギャグに衝撃を受けた。
あの記事は大袈裟なんてことは全くない。
「こいつめちゃくちゃ面白ぇ」
帰国してからずっと頭の四隅に居続けるモヤモヤの存在を初めて忘れ、腹が痛くなるほど笑った。
僕はその時、高校時代に姉を見て憧れた浦島太郎状態に自分がなっていることに気付かず、テレビの中の彼の、彼のギャグの中毒者になってしまった。


そしてまた月日は流れ、大学は卒業できたが定職に就くことはなく、僕はまだまだ優雅で憂鬱な実家暮らしを続けていた。
バイト代のほんの一部を家に入れ、残りはほとんど遊びに使い、余ったら貯金。
バイトは深夜に終わるから終電ギリギリで帰って来て、駅前のレンタルビデオ店でアダルトビデオを借りるのが楽しみだった。
閉店近くまでどれにするか迷っていても口はきかないが顔なじみの店員は決して急かしたりしなかった。
家に着くと母が作ってラップをかけておいてくれた遅い夕飯を食べ、自室にビデオデッキがなかったから父か母がトイレに起きてこないかドキドキしながら、ど深夜リビングで借りてきたビデオを観た。

たまに友人から電話がくると大体は仕事を辞めたいという内容で、苦労して入社した彼が活き活きとしていないことを残酷に感じ、自身のことはほぼ考えない、そんな日々を過ごしていた。
そして貯金が貯まると母の反対を押し切りまた長い旅行に出た。


前回の長旅からしばらく時間が経っていた。
大好きな街は変わったような気もするし根や底の部分では何も変わっていないような気もした。

歩いていると道端に屯しているバイタクのオヤジや、客引きの兄ちゃんが僕を見て日本人だとわかるとこれでもかというドヤ顔で言ってくる。


「オッパッピー」

旅行者が面白がって吹き込むのだ。
それはもう古いんだと思いつつも無視するわけにいかず、よく知ってるねというように驚いたジェスチャーと顔をする。

ブームが去り日本で忘れ去られた頃、世界のどこかで時間差で、日本の芸人のギャグが普及していた。



今日も満員電車に揺られている。
現都知事が満員電車をゼロへとか何とか言っていたのは僕の気のせいか…。
揉みくちゃになりながら顔を上げると車内広告が目に入る。


あの時はあの時の幸せがあったと思うんですけど
今のほうが幸せかな


ピークを知る男、小島よしおが笑っている。




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