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がんばらない子供が許せないママへ

おはこんばんちは🍀叱らない4児の母そのママです〜。

先日こんなお悩みをいただきました。

がんばらない自分、がんばらない他人を許せません。
がんばることが当たり前すぎて「がんばらなくていいよ」というものの結局上っ面でしかない気がして子供にも言っていて違和感があります。

わかる。
がんばらなくていいよ、って言ってもずっとがんばらなくていいわけないんだよね。子供に関しても学校の間はまあいいとして、親としてはそのうちいつかは就職して、お金を稼いできてもらわないといけない。

がんばらなくていいときは、どこかで終わるんだもん。
それは上っ面に聞こえるよね。

まあさ、しかたないよね。
最近こういったゆるいことを言うことが流行っていますが、耳障りのいい言葉はウケるし、一瞬だけでも救われる人もいるでしょう。

「がんばらなくていいよ」を軽々しく言っている人は(少なからず上っ面に聞こえてしまっている限りは軽いのかな〜)誰がどうなろうと関係ないですから。

「がんばらなくていいよ」と宣言するには、並々ならぬ覚悟が必要だということは想像にも及ばないでしょうから。


「がんばらなくていいよ」そう言い切れる理由を分析

「がんばらなくていいよ」にそのママは賛成です。
がんばらなくていいと心底思っています。

なぜなら理由は2つあります。

①「がんばる」の指標は人それぞれ違う
②「がんばらなくていいよ」というのはな〜〜〜〜〜〜んにもがんばらなくていいといっているコトではない
〜おまけ〜
がんばらない他人を許せない理由

加えて、「がんばらない他人を許せない」。こちらについては別問題なのでおまけで最後に書いておきます。別途こちらは記事にしてみますね。

🍀

①「がんばる」の指標は人それぞれ違うについて。

あなたにとっての「がんばる」は、その人にとっての「フツー」かもしれないし「ムリ」かもしれないし、「無でできる」かもしれないし「ちょっとがんばればできる」かもしれない。
人によって、コトによってその指標は変わります。

たとえば、
次のオリンピック出場をめざそう!となったときに、あなたは「がんばって」目指しますか?そのママは「がんばりません」。だって「がんばって」もどうにもならないと言い切れるから。万が一はないのです。でも中には「がんばらなくても」「少しがんばっただけでも」オリンピックに出られる人はいるのです。(全くがんばらないことはないと思いますが😅)

たとえば、
子供が登校しぶりだったり、不登校になってしまったとき、あなたやまわりの人たちにとっては学校に行くことが「フツー」だとしても、その子供にとっては「がんばって」もどうにもならないものでしかなかったら。

なぜか私たちは、

  • 学校へ行く

  • 勉強をする

  • 仕事をする

  • 会社に行く

  • 自立する

  • 結婚する

  • 子供を育てる

コトは誰でも「フツー」にできるコトだと思ってしまっています。少なからず「がんばれば」どうにかなると思ってしまっているのです。

多様性、差別のない社会と言いながら、みんな同じ能力を有していると思ってしまっていて。一見、教育も機会も平等に与えられているふうで、実はお金持ち有利民主主義社会で。

‥‥

もしかすると、気づいているけど自分があわれに思えてしまうから、そんな不平等な社会だと、自分は弱者ではないとみんな認めたくないのかもしれない。

一見「フツー」に見えて「フツー」のコトが非常に困難な人がいることや、そもそも「フツー」ってなんだ?っていうことから考えていかないと、この「がんばらなくていいよ」問題のモヤモヤ、違和感は消えていかないのです。

中には明らかに手抜きしている人、「がんばってない」人もいるかもしれませんが‥。

🍀

②「がんばらなくていいよ」というのはな〜〜〜〜〜〜んにもがんばらなくていいといっているコトではない、について。

そもそも勘違いされていると思います。
「がんばらなくていいよ」の本質は苦手なコト、できないコト、持ち合わせてないコトは「がんばらなくていいよ」なんです。人生を、なんでもかんでもを「がんばらなくていいよ」と言っているわけではないのです。

おそらく、多くの方はそこを勘違いしています。

好きなコト、得意なコトは頼まなくても、鼓舞しなくても勝手にやります。寝食を忘れて、ちょっと休みなさいっていってしまいたくなるほど、夢中になって集中してやります。

その勝手に夢中になるなにかをがんばるためにもよけいなことは「がんばらなくていい」のです。

好きで無気力になる子供はいません。
いやでも周りが見えてしまいます。閉じこもっていてもSNSで自分と同じ歳の子たちの活躍やキラキラしている子たちを見ます。そこに強弱はあれどなんとも思わない子はいないのです。

本人が本当は1番がんばりたいと思っているのです。でもがんばれないものはがんばれないのです。がんばれるものに出会うまで親がどれだけ待ってやれるのか、単純に親の忍耐の問題だったりするのです😂。

生きていくためには絶対にがんばらないといけないのです。人が「フツー」にできることが「がんばっても」できない、そんな子たちは人よりももっとがんばらないといけないと自覚しています。

そこにあぐらをかいている子供は絶対にいません。

🍀

とにかく自立を目指す親

こういった背景、本当の意味の多様性、差別の理解、常識とは???そんなことが複雑に絡まっていることを理解したうえで、子供を信頼する気持ちがないと、子供がしんどいと訴えてきた時に心底「がんばらなくてもいいよ」と声をかけてあげることは不可能なのです。

「がんばらなくていいよ」と言ったコトでこの子がほんとに何にもしなくなったらどうしよう、自立しなかったらどうしよう、そんな気持ちが親を不安にさせます。

結局のところ、自立しなかったらどうしよう。これがすべて邪魔しているのです。

  • 不登校になること=通常のレールから降りた感

  • 勉強できなかったら=大手企業に入れない、公務員もむずかしい?安定しない感

  • 集団になじめない、コミュニケーションが難しい=会社入れない

仕事=自立ができない。
だからすこしでも矯正しておきたい。

🍀

これ、逆です。

「がんばらなくていいよ」と風呂敷を広げてあげるコトで、子供は安心できます。安心できるからこそ自分が夢中になれるものを見つけて、勝手に自立に向かいます。

ずっと探せないかもしれない、時間がかかるかもしれない、それでも子供を信じていけるかにかかってくると思います。

「がんばらなくてもいいよ」と心から言ってあげられるようになるには、自立しなくても(自立の定義が大事になってきますが、、、)良いという覚悟を持つこと、これが大前提です。

親であるあなたが先に子供を信じることです。

ただ、ここで親に信じてもらえてない子供がほとんどだったと思います。
だから今、がんばらない大人が多くなっているんだと思います。
「がんばらされた」子供は安定したら「がんばる」ことはやめます。だって楽しいことではないから。

🍀

おまけ
〜がんばらない他人が許せない理由〜

これは課題の分離ができていないことが理由です。

他人ががんばらないことはその人の問題であり、あなたの問題ではないのでそこに評価もなにもする必要がないのです。

たとえ、その人ががんばらないことであなたに不利益があったとしても、「がんばらないことを許せない」と思うのはお門違いになるのです。「がんばらないこと」に腹が立つことはしかたがないでしょう。その場合、自分のイライラをかいしょうすることを考えていけばいいのです。

直接指摘して改善してもらうのか、言うことでよりストレスになる相手であれば、仕事からはずす、自分が外れる、その人ががんばらなくても不利益を被らない対策をとっておく。
それ以上でもそれ以下でもありません。

他人はコントロールできません。
コントロールするコトができない問題に関心をさいても、問題解決には絶対に至らないことを認識すると良いかと思います。

またものすごく「許せない💢」と言う気持ちになるには、その人との今までの関係性、ご自身が今までたくさんの苦労、やりたくないことをがんばってこなしてきた、そう言った自負が関係していると思われます。

またこの「許せない」については別途記事にしようと思います。どうぞフォローしてお待ちくださいませ。

🍀

こちらも参考になるかもです。世の中のほとんどの人がまちがえている自己肯定感に関して書いた記事です。どうぞこちらも併せてお読みください。

以上「がんばらない子供が許せないママへ」でした。
ではまた🍀

🍀🍀🍀


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