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私の知っている東京では、ラブストーリーは突然起こらない

1991年に大ヒットした「東京ラブストーリー」。生まれる前に放送された月9ドラマですが、Amazonプライムにおすすめされて鑑賞しました。

メインキャストの 鈴木保奈美・織田裕二・有森也実・江口洋介は、私からすると超大物俳優陣。ドラマテーマ曲は、小田和正の「ラブストーリーは突然に」。なんとなくドラマも、曲も、目に、耳に…したことがある程度だったが、2日間で見終えてしまうほどの、引き込まれようだった。今とは全然違った東京を舞台にした「東京ラブストーリー」は、想像以上に面白かった。

91年のコミュニケーションツールは「電話」

まずいまと一番違ったのは、メインの恋愛ツールが「電話」であるということ。かなりびっくりしたのが、職場あてに私用電話をかけるシーン!それも「今晩時間ある?こないだの(告白の)返事をしたいの」(関口さとみ)、「あいつの気持ち考えろよ」(三上くん)といった がっつりプライベート用件。今じゃまず考えられないし、「いや、仕事しろよ」ってドラマ3話目ぐらいまで思ってた。いまは「関口ですけど」といった苗字単独で名乗った入電なんて考えられない…。
さらに加えて、登場人物みんな一人暮らし宅に「固定電話」があることにも驚いた。彼氏宅でたまたま母親からの電話をとってしまう(まず現代なら、他人の家で電話取らない)ことだってこのドラマでは起こってしまう。

すれちがう「待ち合わせ」

電話がメインのコミュニケーションツールだった当時では、待ち合わせへ遅れることだってなかなか伝えられない。ドラマでも「仕事で遅れてしまう」「行けなくなってしまった」という電話が行き違ったり、メモが相手に届かなかったりするだけで、事件となる。連絡のすれ違いは、そのまま相手に待ちぼうけを食らわせてしまう。
だからか、ドラマ待ち合わせのシーンは、平日であろうと「喫茶店」が多かった。カンチを一途に想うリカが、4時間も喫茶店、閉店後は雨の中で待っている姿は、胸が痛んだ。「東京ラブストーリー」には、何度も人物同士のすれ違いがあって、一層切なさが増した。

全ての出会いは奇跡だった

「電話」が要因の一つだろうか。東京ラブストーリーに出てくる人たちは、「恋愛」への熱量が高かった。大袈裟かもしれないが、自分が会いたい人に、その時間に会えることは「当たり前」ではなかった時代だからのように思う。だからか、ドラマの彼・彼女たちは「恋愛」自体を大切に考えていた。

いま誰もがスマホを持ち、当たり前にコミュニケーションツールとして使っている現代では、「だれとでも繋がれる、本気になればコンタクトをとれる」…ような気がしてしまう。恋愛にかかわらず、全ての人との出会いが奇跡であることは、いつの時代も変わらないはずなのに。東京ラブストーリーの画面の向こうで、すごく必死にまっすぐ生きているリカやカンチを観ていて、なんだか羨ましい気持ちになった。

ラブストーリーはシビアにはじまる

恋活・婚活アプリが存在し、自分の好みの条件で抽出した相手と、待ち合わせて出会う…ことが当たり前になりつつある現代。その恋愛のはじまり方は、かなりシビアだ。「年収」「身長」「出身大学」「趣味」…などで絞り、ネット上で会話をしてみて、会うか会わないか決める、会ったとしても初回デート中は「テスト期間」でその先に進展があるか、ないかは、互いの合格点に達しなければならない。とても効率的で、むしろすがすがしいが、心が躍ることがなくなってしまったように思う。

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現在は、自分の好みに近しい人に簡単に出会えるし、コミュニケーションの在り方としても、SNSを見れば、誰がどこにいて何をしているのか、大体予想がつく、すっごく便利な世の中だ。
その一方で、「出会い」の価値が90年代と比べて、下がったようにも思う。ネットや機械を使って、その気になれば誰とでも繋がれるからだ。それは事実で、現代の恩恵だ。ただ、それと引き換えに、「会いたい人への、必死な感情」「会えないすれ違いが生む、切なさ」などは薄れてしまって、心が揺れ動くことが少なくなった。少なくとも「東京ラブストーリー」の人物たちは、、もっと激しく心が揺れ動いていた。もっと必死に人と出会っていた。

私もカンチやリカ、さとみや三上君の同級生に入れてもらいたい。そんな風に思った「東京ラブストーリー」でした。(織田裕二と江口洋介の20代は、今見ても薄れぬかっこよさなので是非)

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