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愛を伝えたい


最近の悩みといえば、学校のWi-Fiの接続が悪いことだ。

ただでさえ少ないギガを1ヶ月間計算しながら使っているというのに、どうしてWi-Fiのある環境ですらギガを使わなければならないのだ。


今は学校の自分の席でnoteを書いているのだが、現在進行形で4Gなう。
まじでなんなんWi-Fiどこいったの。


外でYouTubeやインスタのショート動画を見ている人間が羨ましい。
こちとらTwitterですら極力ギガを使わない設定にして、1日0.2〜0.5ギガに収まるように徹底した管理のもとスマホを使用しているというのに。



絶対に、絶対にいつか違う会社と違うもっといいプランで契約してやるから。
わたしはいつもそう胸に誓う。


電車でも極力ギガを使いたくないので、メモ機能に文章を書いて遊ぶか、noteやTwitter(省ギガモード)をちびちび見るか、音楽を流したまま目を瞑るか、たいして頭に入りもしないのに単語帳や語句辞典を読むか、だいたいそんなことをして過ごす。


昔は本を読んでいたけれど、最近は最寄りで乗る頃には座席前の吊り革が埋まり、一つ進んだらもう満員、さらに一つ進めばギュンギュンといった具合で、とてもじゃないけど本は開けない。


今日の朝も満員電車だった。


いつも通りイヤホンで耳を塞いだ。
プレイリストはもちろん小山田壮平一色。

今日はandymori時代の曲。
“andyとrock”でまだ半分寝ていた脳みそを興奮状態まで向上させ、“遠くへ行きたい”で当たり前のように学校へ向かっている自分をそれでいいのかと疑い、訳がわからなくなって“投げkissをあげるよ”を聞いて現実逃避していると次第に“宇宙の果てはこの目の前に”が流れ出し、どうでもよくなって思考をやめ、黙って壮平さんに浸る。


もはや壮平さんの音楽は、わたしにとってお守りであり、夢であり、家であり、愛である。



要は好きなのだ。
わかってください。





愛してる。本当に愛してる。いつもありがとう。歌ってくれてありがとう。作ってくれてありがとう。好きです。


こんなふうに、わたしの感じる愛情をみんなにも言えたらいいのだが、こんなことは恥ずかしくてなかなか言えない。




だがしかし、不思議と壮平さんになら言える自信がある。なんの根拠もないけれど、目の前に彼がいたら間違いなく言える気がするのだ。


やはり偶像崇拝的に壮平さんの音楽を愛しているからだろうか。
間違いなく彼は存在するし、両親や友人と同じ人間なのだけれど、わたしの意識の中で限りなくリアルから遠い。
非現実的であればあるほどに、人はそれに対して正直になれるのだろうか。



壮平さんの音楽を正直な気持ちで愛するように、わたしのそばで近くで寄り添ってくれる人のことも正直に愛したい。



でも彼たちのようなリアルに対して素直になるには膨大な勇気と覚悟がいる。
だって、わたしが彼らをよく知る現実の人間として認識しているのと同時に、彼らもわたしをそう認識していると思うからだ。


照れてしまう。恥ずかしい。普段当たり前に近くにいる人には言わないからそんなこと。


相手とわたしはよく知り合っているのだから言葉はむしろ「ありがとう」とか「好きだよ」とか、シンプルでいいと思う。



壮平さんに伝えるよりもずっと簡単なはずだけれど、難しい。
気持ちを曝け出すのは難しい。


いつかちゃんと言おう。
壮平さんの音楽のように、真っ直ぐに正直に、いつもありがとうって言おう。
ただ、タイミングを待っているからもう少しだけあとで。


今は電車でnoteを書いているのだが、6月初日からぶっ飛ばしすぎた。
明日からまたギガを節約しなければ。




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