「実はそうじゃないかもよ?」と言われたときに僕が考えていること
いつも思う。
「主観的な体験」と「客観的な事実」が食い違うとき、主観的な体験のほうを単なるマチガイとみなしていいのだろうか……?
錯視の絵で説明する。錯視の絵は実際には動いていないのに動いて見える。実際は同じ長さなのに違う長さに見える。でも僕の脳は確実に絵が動いてると感じているし、長さが違うと認識している。その事実は間違いではないはずだ。いや、間違いでもいいけれど、存在しないことにするのはおかしいと思う。「その絵、動いてないよね」で終わらせてしまったら、錯視アートは発見されず