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2021年9月28日 Humanitude「老いと介護の画期的な書」

 人間は二度の誕生を経験する。一度目はヒト科の動物としての誕生であり、二度目は人間社会における誕生である。二度目の誕生はその保護者との関係のなかで言葉をかけられ、みつめられ、やさしく触れられるなかで行われる。この経験によって人はユマニチュードの一員に迎え入れる。ことばをかけられ、みつめられ、触れられる、その経験は情動的記憶となって人に安心感と安定をもたらす。

 おそらくこの経験の不足は人を不安に満ちた存在にしてしまい、不安から逃れるためにその人が脚本に捕らわれた存在になるように仕立て上げてしまう。保護者による愛を感じられなかった場合、子どもは従順ないい子としての脚本を内面化したり、犠牲的ふるまいの脚本を内面化したりして、なんとか親に受け入れられ、生き抜こうとする。それは悲惨なことでもある。そのような脚本に捕らわれた人生はその人の可能性を押しつぶし、自己実現の道を踏み外させる。不安に満ちた社会でその人は脚本から抜け出せなくなる。ただ、このような脚本を生きる人々は案外介護に向いていたりする。介護に必要な超人的な感情管理を難なく行ったり、犠牲的献身を実現したりする、その犠牲的精神や従順さへの強迫観念がそれを可能にする。しかしそれは決して褒められたやり方ではない。

 認知症の人に対して我々介護職はやはりその尊厳を尊重し、丁寧に接しなければならない。脅迫的従順さや犠牲的精神によってではなく、専門職の技術と知識でもって尊厳を守る対応をしなければならない。往々にして言ってもわからないからと、ことばをかけずにいきなり介助したりすれば、本書で説明されているように、介助される側はそれを悪意や攻撃などとして認識してしまうだろう。認知能力による理解によって我慢できることというのはたくさん存在する。その能力が低下している場合にはどうしても我慢の限界は低く設定される。その場合、情動的記憶を呼び覚ましつつ対応するしかない。言葉の意味が伝わらなくても、言葉をきちんと丁寧にかけることが重要となる。その姿勢が認知症の方の情動的記憶を呼び覚まし、安心や安定を生み出す。

 介護は人間存在の深層への探求なしにありえない。本書にでてくる「ユマニチュードの一員となる」という言葉の意味をかみしめなければならない。

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