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神戸という街は

 神戸という街は、南を海に、北を六甲山に阻まれた東西に細長い平地に多くの人々が密集して暮らしている。海側を東西に阪神電車が貫き、山側を東西に阪急電車が貫く。阪神と阪急の開発手法や思想の違いからなのか、緑豊かな六甲山と、工場や倉庫の立ち並ぶ海沿いという環境の違いからなのか、もっと歴史的ななにかなのかよく知らないが、とにかく阪神沿線には比較的所得水準の低い人々が住んでおり、阪急沿線には所得水準の高い人々が住んでいる。そして互いに、(すごく単純に戯画的に描くなら)阪神沿線の人々は「まあ、阪急沿線の人々はお高くとまって、変なプライドばかり持った変わった人が多い」などと内心思い、阪急沿線の人々は「どうも阪神沿線の人々は下品で能力も低く努力もできない人が多い」などと内心思っている。神戸市内は東西の交通は非常に便利であるが、南北の交通はそれほど便利ではない。西に東に阪急電車や阪神電車、その中間にはJRの電車が走り回っており、高速道路も幹線道路も東西にいくつも走っているが、南北となると、バスに揺られて移動するか、徒歩で移動するか、車で移動するにしても東西のような大きな道はない。歩くとすればそれなりに高低差があり、自転車等は南北の移動にはもっとも不向きである。
 阪急沿線の働く人々は阪急電車にのって(もしくはお抱えの運転手に運転させる車に乗って)大阪の中心部や神戸の中心部にある大企業に働きに行く。阪神沿線の働く人々は、地元のサービス業や介護の仕事などに就いている。
 阪急沿線の人々は休日には阪急に乗って、もしくは愛車の高級外車を繰り出して、大阪方面なら阪急百貨店に買い物に出かけ、神戸方面なら三宮の雑踏を、ハンケチで鼻を抑えて顔をしかめながら通り過ぎて、その先の旧居留地などのおしゃれなお店に向かうだろう。阪神沿線の人々は休日には、大阪なら阪神百貨店かもしくは阪神なんば線をつかって道頓堀などに繰り出すだろうし、神戸方面なら三宮の飲み屋街に繰り出し、とりおりすれ違う芦屋マダムなどを見ては顔をしかめて、「変にすまして、人間味がないなあ」などと思うだろう。
 

 集まる場所が必要だ。顔を合わせ、話を交わす。同じ趣味に打ち興じる。南北に引き裂かれた住民をつなぎ合わせる場所がこのような都市には特に必要とされている。
 私は介護の仕事をしている。デイサービスで働いた経験がある。利用者は近隣から集まるのだが、阪神沿線からも阪急沿線からもやってくる。阪急沿線の、立派な大企業に勤めていた老紳士やその奥様もやってくれば、阪神沿線の、40年間清掃の仕事をやってきたという人や、田舎の農家の生まれで、神戸にお嫁に来てからは、スーパーで一生懸命働いたというような人がやってくる。毎回を顔を合わせるうちに、一緒にレクや散歩をするうちに、互いに打ち解け、それまで両者を分け隔ててきた、北と南の格差が解消され、真に人間同士の付き合いになっていく。おしゃれな高級服を身にまとういいとこの奥様が、清掃作業40年女手ひとつで子供を育て上げた人をお姉ちゃん、お姉ちゃんと慕ったりする。
 集まる場所があって、繰り返し顔を合わせ、少しずつ交流することが、格差社会において、格差を乗り越え、社会関係資本を地域に蓄積していくために極めて重要だと私は思う。

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