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【4. 琵琶湖・竹生島神社(滋賀県長浜市) レイラインツア2023〜祈りの御来光道】

第4日目2023年3月17日(金) 
☆ルート長浜港ー竹生島神社ー長浜港〜大垣〜中津川〜南木曽〜阿寺温泉あてら荘 170km
☆宿泊地:阿寺温泉あてら荘
☆参加者:蕎麦宗・矢部周作・手塚博文・石井俊也


竹生島神社と琵琶湖クルーズ

 琵琶湖に浮かぶ無人島の一つ竹生島はレイライン上にあって、そのパワースポットが竹生島神社である。ここへ行くためには琵琶湖をクルーズする観光船に乗るしかなく、出発時間は8:50。
 なので、4日目の朝は少しだけゆっくりのスタート。しかしながら、気が気でないのは日程にある。でもまぁ、せっかくのんびりとコーヒーを飲む余裕ある朝だ。それを語るのは後回しにして、早速竹生島クルーズへと出かけるとしよう。と、思いきや時間を勘違いしていて、皆んなで長浜港へとダッシュ。忙しなく走ったのはご愛嬌。
 さてさて、あぁよかった間に合った。宿泊地の北ビワコホテルグラツィエはまた鼻の先。長浜港へは徒歩30秒。
 
 観光船に揺られること35分。どんよりとした湖上からの冷たい風に吹かれつつ、船尾のデッキへと立って、伊吹山の真上に上り切った朝陽を眺める。
 さっき出港した長浜港が小さくなるに連れ、昨日走った県道44号線は真横になる。反対側に視線を向けたなら、今津・高島そして比叡山もクリアに見渡せた。やがて港へと到着して下船。思った以上の舟客が我先にと一の鳥居を目指す。ここ竹生島は無人島で、観光を生業とする方々と神社寺院の関係者が滞在しているようだ。

 鳥居をくぐり登山をするかのような参道をクネクネと歩くと、懸崖造りの回廊が見えてきた。もう少し進めると本殿が現れ、その周囲には、龍神・白巳大神また弁財天が祀られた寺院まである。さしずめ神仏の幕の内弁当。下世話な民間信仰と観光スポットが入り混じったいかにも日本らしさを感じさせる場所だった。
 先にお札と御朱印を受け、参拝。竹生島神社の御神体は島そのもので、祭神は市杵島比売命いちきしまひめのみこと。なんとなく賑やかで、楽しげな雰囲気のある神域だった。ここでも、まだ続くレイラインツアーの道中の無事と、世の、皆の、仲間達の安寧と楽しい日々を祈った。

 せっかくなので、宝厳寺も立ち寄ることにしよう。けれど、足取りが軽いのは石井君ただ一人。ここまで500km以上の距離を走ってきた僕ら3人は、出来る限り歩かないで脚の筋肉を温存したい気分だけに、この長く急な階段を登るのは億劫おっくうだった。
 しかしながら登って正解。眺める景色は広々と、遥か大津の方まで琵琶湖が見渡せる。振り向いた脇にはビビッドピンクの桃の花。そしてその向こうに宝厳寺伽藍ほうげんじがらんの大屋根と青い空。さらに眺めているうちに、今日もまた湧き立つ龍雲がお出迎えしてくれた。
 この旅で初めての寺院への参拝。鼻腔に染み入ってくる線香の芳しさ。また神社とは微妙に異なる作法に戸惑いつつ、これぞ神仏習合!と体感した。

 さてと船着場への帰路だ。急で長〜い階段を降りるのは、さながら罰ゲームのようで大腿四頭筋と大臀筋にズシリと体重が掛かる。『温存、温存!』と呪文のように心の中で呟きながら降りきって、ようやく辿り着いた境内入り口の土産物屋へと立ち寄った。船の出航までの時間潰しに、4人で甘酒を飲んだ。これはこれは胃袋に染み渡って、それはそれは美味しかった。

船越しに竹生島神社が見える
色んな神が祀られる島
懸崖造り
本殿
宝厳寺と龍雲
階段は急だ

関ヶ原から大垣へ

 長浜港行きの出航は10:55で、まもなく乗船。船着場で記念撮影して乗り込むと30分ほどで長浜港へと戻ってきた。 
 さて、今日の日程を過酷にしたのは、この船便での竹生島神社への参拝が理由ワケ。連日の出発は8:00くらいなのが、今日だけは11:30。3時間半のビハインドをどんな風に取り戻しつつ170kmをこなして行けるのか。到着が遅れるほどに5日目の最難関区間に響く。
 それゆえ、時間短縮のために船内へコンビニ食を持ち込んで、食事を済ませてから北ビワコホテルグラツィエへと戻った。マシンチェックも荷物詰めも、すぐに出発出来るように参拝の乗船前に準備万端だ。

 さっそく、県道2号線から同44・37・243号線と繋いで国道365号線へと向かう。疲労の色濃い4日目の3人に比べ、合流の石井君は本当に楽しそう。人生初のツーリングをこういう形で迎えられているのは本当にラッキーだと思う。
 そんな彼の楽しげな様子と追い風に助けられながら、関ヶ原を目指す緩斜面を悠然と駆け抜ける。終日の追い風予報は、僕らにとって再び《神風》である。トレインに不慣れな石井君を3番手に置き、最後尾の手塚君がレクチャーしながら矢部君機関車へと連なっている。
 おぼつかない様子にも僕は心配していなかった。それはロードバイク初心者という不安材料を払拭するだけの身体能力とセンスを持っていることを、日頃《CLUB SOBASO》の里山整備活動でのMTB乗車で知っているからだ。
 
 今日は愛知県一宮付近までの50kmほどの予定。そこで彼は離脱することになっている。幸いにもこの日の風は強い西風。天下分け目の合戦場を過ぎ下り勾配に変わると、4両編成のトレインは50km/hオーバーの高速巡行で、予定より30分以上早く大垣へと到着した。

 『少し早いけど休憩しよう)

そう決めたのは、この日の午後にクルマサポートで合流する予定の大岳誠さんと連絡を取るためだ。沼津を経ち明日のコースを逆走しながら、権兵衛峠などを下見してくれるという。出会い頭に落ち合える場所を探るが、国道19号線までは見当がつかない。
 そこで大雑把に土岐IC付近のセブンイレブン合流と決め、互いの動きを探りながら進むことにした。

岐阜の市街地地獄

 気がかりは、やはり案の定。大垣市・岐阜市・各務原市と続く国道21号線はいわゆる中京圏の密集地帯。道が狭い上に渋滞がひどく、途中は全く進まなくなった。疾走感が命のロードバイクにとって、市街地は地獄だ。
 
 仕方なく路肩を抜けるのは、このままだと全く身動きがとれないから。しかし矢部君も躊躇している。元サイクルウェアメーカーの従業員としての法的遵守コンプライアンス意識の高さと、一流レーサーとしてのマナー意識は、多くのロードバイク乗りの模範者たる責任感だろう。
 実利を取る僕は全く臆せず路肩を抜ける。静岡県は自転車レーンが引かれて路肩すり抜け走行が一般化している。勿論すぐ停車できる速度には抑える。しかし、ドライバーの『車道を走る自転車は危険で邪魔』との認識が変わらない限り、相変わらずリスクは高い。
こればかりは時間がかかる。とはいえ道路環境整備は早急になんとかしたい課題。

 そうして僕らのスピードが激落した付近は、ちょうど石井君の離脱ポイントで、束の間の4両編成は連結を切り離し元に戻った。その彼の

『もっと走りたいですよ〜』

の言葉にうしろ髪ひかれ隊。名残惜しい気持ちは置いて先を急ごう。途中、もう一度休憩を挟んでようやく地獄からの脱出。木曽川の堤防沿いに速度を上げる僕らを、小牧城の天守が見送ってくれた。

サーベロ揃い踏み。

沼津ナンバーのサポートカー

美濃加茂市の辺りで、珍しく矢部君が、

『止まってもいいですか』

と声をあげた。古い道標みちしるべに萌えたようで、写真を撮っている。なるほど個々人の趣向はこういうところに現れるから面白い。いくら急く日程だとしても、遊び心は忘れたくないもの。
 そうして、和み気分でペダルを踏み直したそのままに国道21号線を行く。木曽川を渡り左手に折れバイパスに移ると、前を走る機関車のロッドに、なんだか違和感を覚えた。安定していた彼のペダリングが、どことなくぎこちない気がしたのだった。

『ちょっと前引くよ、後ろで休んで』

と言ったのは彼の疲労をおもんぱかったから。引き続けてもう4日目だ。
 おそらく勝負所となるのは明日5日目の260km区間となる。若い手塚君は早々に疲労が出ても超回復するだろうし、逆に最年長の自分はタイムラグを加えて『その日』に出てくる可能性がある。温存はそれゆえで、それでも封印を解いて先頭を引く事にした。せっかくのチーム旅。負担を分け合おう
 速度は矢部君より1〜2km/h抑えた。しかも相変わらずの追い風。なので脚は削れはしない。そのペースで大岳さんとの合流予定地へとトレインを牽引した。と、その時、沼津*わナンバーの白いトヨタヴィッツが僕らを追い抜いた。

 『宗さーん!』

『おー!大岳さんだ!!』

 信号待ちで話してこの先で待ち合わせ、荷物を預ける算段を組む。昨日の石井君や大岳さん、そして明日の早野君のように、区間ごとに元気で新鮮な仲間達が現れるのは、今回の旅に勇気を与えてくれる存在だったし、嬉しい計らいとなった。
 ここから先は国道19号線の山岳登り区間。サポートカーを得て身軽になった僕らは、再び矢部機関車に交代してスピードを上げた。

*わナンバー…レンタカー

美濃加茂市の古い道標
サポートカーの大岳さんと合流

中津川と国道19号線

 残る距離は70km。幾多のアップダウンをこなしながら標高600mまでの上る。ゴール地点の《阿寺温泉あてら荘》の夕食は、到着時間が読めない理由で予約していない。また近辺には食事処もない。
 そこで、比較的開けている中津川の市街地で先に夕飯を食べよう、となった。せっかくだから『ウナギが食べたい』とは僕の希望。しかし、その先の道路事情に明るい矢部君曰く

『国道19号線は道が狭くてクネクネなうえに、傍若無人なトラックが爆走します。しかも脇は崖。暗くなる前に到着した方がええかと思います。』

現在時刻は16:30。あと3時間はかかるとして19:30。真っ暗に日暮れて危険性は増す。加えて手塚君が調べた。

『夕方からは雨予報に変わりました。早く行く方が良いかもしれません』

『よし、そうとなれば急ごう』

決断は一致して再出発。強度を上げて走るために、ハムストリングのギアを一段階シフトする。少々心残りだったが、中山道の街道風情を味わう余裕はなく、バイパスの味気ない道路を追い込んだ。

 中津川へ入ると、そこはまた信号地獄。さらに通勤ラッシュの渋滞にも巻き込まれる。気持ちは焦るのに遅々として進まない。坂道が30km残ってるだ。予定より大幅に遅れてもう18:30。
 ロードサイドはとうに|黄昏『たそがれ》て、街灯はあれど見通しは悪い。ヘッド&リアライトを点灯したところで、心持ちはちっとも明るくない。どことなく僕らトレインには暗雲が立ち込めている。気を遣った大岳さんが明るく声を掛けてくれる。が、なかなか皆の気分は晴れない。手塚君の疲労はピークのようだ。
 後で読んだLINEには
『手塚の影がうすくないか?』と橋村吾郎氏の声。
『手塚が消えちゃう』と、先に新幹線で帰宅した石井君が応える。彼と手塚君とは中学時代からの同級のよしみ。その心配の声は僕らには届いておらず、ただひたすらに南木曽町を目指していた。

真っ暗な中津川

阿寺温泉あてら荘へ

 谷間に差し掛かると、心配していた雨がポツリポツリと落ちて来た。道は矢部君の言う通り険しい。そして、本当にトラックの運転が酷かった。なぜなら、ここを走るそれらは並行する名神高速道路の料金を避けるために迂回している輩。つまり、経費削減のために無理強いをされている気の毒なドライバー達なのだ。
 言うならば、配送料金無料のネット社会の皺寄せ。こんなところにも弊害は出る。とはいえ、そこを走る自転車の身としては生きた心地がしなかった。

 そうこうしているうちに雨は本降りとなった。少しキツくなった勾配に矢部君がペースを上げる。僕も手塚君も喰らいつく。心拍数は上がる。少しだけ道幅は広がり、距離もあと僅か。すると、なんだか楽しくなって来た。それは多分自分だけ?!
 僕のメンタルは強い。いつものことだけど、逆境になるとワクワクする。不安よりも、好奇心と冒険心が上回るのは、50年の人生で何度も経験して来た。まぁ、変な奴だから仕方ない。
 それとは逆に手塚君は明日の心配とプランニングを始めた。出発時間や天気を気にしている。これだから頼りに出来る。能天気な自分と対角オポジットな立ち位置は、冷静な判断を下す上で欠かせないものだ。

 木曽川を堰き止めるダムと赤い橋が見えて来て、ようやく緊張から解放された。やがて宿に到着、と思いきや、灯りに釣られて入った先は老人ホーム。出直して今度こそ阿寺荘。時刻は20:25。ずぶ濡れで皆が不機嫌なのを、大岳さんが慰めてくれる。
 明日の予定のミーティング・雨に濡れた自転車の整備・洗濯・風呂・買出し・食事…etc。やることは沢山ある。僕はグループLINEや心配している友人との連絡に終始しつつ、部屋に呼んだ大岳さんと侘しいコンビニ食で宴をした。
 この状況でポツネンとしたら気の毒。それでも第4日目の170km・獲得標高1600mをAV27.6km/hでなんとか無事に終えたことを分かち合った。

 さて、明日は最難関254kmの《富士山浅間大社》区間。予報は、終日の雨に加えてみぞれの可能性もある悪天候。さてどうなるのか。

『明日、大丈夫なんすか?』

と心配してくれた吾郎ちゃんと電話で話す。

『みんなナーバスになっているよ、当然だよ。でもね、まぁ、なんとかなるよ!。なんかね、俺はワクワクしてんだよ!』

 徹底的にポジティブに変換するのは真骨頂。そう話して就寝したのは24:00をだいぶ過ぎていた。

詫びしい夕飯
第④日目のGPSログデータ

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