見出し画像

2,僕の高校サッカー

走りで負けたらおしまい


自分はサッカーが下手と知った現実。

全てが通用しないんだと思ってたけど、
【走り】だけは出来た。

走りといっても色々種類があって。
・長い距離を走る能力
・短い距離を速く走る能力
・ダッシュを繰り返し走る能力
とかとか。

僕はそのうちの長い距離を走るのが得意だった。
逆に速く走るという能力が絶望的だった。

理想は全部のレベルを高くすることだったけど、
他の選手もそれぞれ得意な走りがあったと思う。

自分は走れるんだ!と知った入学当初。
そこから僕の高校サッカーは走りが命だった。

1年生の時は特に走るメニューが
多かったからすごくきつかった。

1セット行うだけでもきつい走りメニューを
多い日は3セットやる時もあったから
身体はみんなやられてた。

そんなきつい走りだったけど、その時間こそが自分にとって唯一のアピールタイムだった。

次、1位じゃなかったらおしまい。
負けたら終わる。自分の心の中ではそのことだけだった。

3年間でこの走りメニューを行った回数は自主練含めて、
はっきりとは覚えてないけど
おそらく100回以上??だと思う。

その中で1位じゃなかったのは最初の1回だけ。
同級生80人と一斉に走っても。
先輩と走っても。
ここだけは負けなかった。絶対に負けたくなかった。

本当に手を抜くことが無かったし、誰にも譲らなかった自負がある。

チームの中では規定タイム以内に入ればとりあえずOKみたいな雰囲気だったし、
周りからも
「タイム入るの簡単っしょ?」とか
「走れるやつはいいよな〜余裕でさ。」
とか良く言われた。

内心「そんな余裕ねえわ💢」って思ってた。

自分の中でそういう感覚が全く無かったし、
妥協した瞬間に上に上がれないって分かってたから。

というか先生達がタイムをずっと見てるから、
手を抜いた瞬間にバレる状況だったのも
大きかったのかも(笑)

タイムを更新すればするほど
「過去の先輩達は〇〇分で帰ってきたぞ〜」
とか言われるから余計全力を出さないといけなかった。
この言葉がまじでしんどかった。。。

自分の中では、
アピールできる絶好の時間。
でもきつくて逃げたい時間
という葛藤があった。

本当に苦しかった


でも誰よりも全力で乗り越えてきた
このメニューはすごく良い思い出。

自分なりにコツとかポイントとか見つけて
逃げずに取り組んだのは、
今では自信に変わってる気がする。


なんとしてもトップチームに

3年生になっていよいよ自分たちの代。

浦和東の公式ユニフォームを着るには、
まずトップチームに上がらないとといけない。

最初の時には、チームの真ん中くらいの
立ち位置だった気がする。

もう少し頑張んないとトップチームは
いけないかな〜ぐらいだった。。

もちろんサッカーは頑張るし、
走りもやっていた。

食事もタッパに米を突っ込んで休み時間に食っていた。
栄養学的に考えたら過剰摂取くらいだったけどそんなのは知るわけもなく。


坊主にしたら、目立つかも。。

頭が悪いやり方だったけど、
こんなこともしてピッチ外でもアピールしようとしていた。

後から聞いたら先生が
「あいつは坊主にして気合いが入っている」
と言っていたらしく、効果があったのかもしれない。(笑)


トップチームに入って


6月くらいかな。トップチームに入れた。

今まで頑張ってきて単純に良かった。

相変わらず下手だったけど走りとか、
ゴール前で頭から突っ込むプレーとか
自分のプレースタイルもなんとなく見えてきた。

セカンドチームだったけど
公式戦に少しずつ出場。
個人的にも点に絡むシーンが増えた。

この時はサッカーをしていて本当に楽しかった。

セカンドチームだったけど、
緊張感のあるリーグ戦。

勝ちを本気でとりに行く試合は最高だった。


最後まで大会メンバーになることは無かった


選手権。

ここが高校サッカー最後の大会。

全国大会は毎年、年末年始に全国放送される
一番注目される大会でもある。

最後の大会だし、他の大会とはまた異質のもの。

選ばれるメンバーは26人。
ここに入るために、今までやってきた。

客観的には分からないけど、
主観的に考えたら
自分は選ばれるか選ばれないかのちょうど間
くらいだったとおもう。

視聴覚室という場所で部員全員の中、
名前が呼ばれる。

26番目は確か2年生だったかな。

結局自分の名前が呼ばれることはなかった。

ああ。終わった。
悔しさというか虚無感の方が強かった気がする。

でも親の顔が出てきて。本当に申し訳なかった。

涙流しながら すみません。てずっと思ってた

公立高校とはいえ遠征費とか部費ってなってくるとすごい金額がかかるし、
毎日弁当も作ってくれてたし。

全部サポートしてくれた。

結果を出せなくて本当にごめんなさい



サッカー部を引退。プロサッカー選手は・・


結局チームは埼玉ベスト32で選手権を終えた。

もう10月も終わる。
いきなり進路選択に迫られた。
「プロサッカー選手になる」という思いで
この学校に入ってきた。

プロは諦めよう。

すごい大きな決断というよりは、
自分でもプロは難しいと感じていた。

サッカーは下手だし不器用な自分だったけど、
それでも「プロ目指しなよ!」って言ってくれた人もいた。

それを本気で言ってくれてたかは分かんないけど、その言葉は少し嬉しかった。


高校の部活動でメンバーにもなれなかったやつが
プロになれる可能性なんて自分でも分かってた。

仮にチャレンジしてもあまりにもライバルが多すぎる。

でもサッカーに関わりたい。選手がダメでも他の仕事ならって。
サッカー以外で逆に想像も出来なかった。


色々な先生と相談して、サッカーのトレーナーになるって決めた。
当時チームのトレーナーの人にも相談して、
専門学校に進学することになった。。

プロのサッカー選手にずっとなりたかった。
大歓声の中、ピッチの上でプレーする。
サッカー小僧なら誰でも想像したことが
あるんじゃないかなぁ。。

でもなれなかったのは仕方ない。

もっとこうしたほうが良かったかな。とか
この年齢の時にはこういったトレーニングをすれば良かったのかとか。

仕事柄、今になって勉強すればするほど後悔する ジレンマにハマっている。

選手は無理でもトレーナーとしてプロになる。




自分で言うのもなんだが専門学校での成績は抜群。
かなり勉強していたから。

字を読むのが嫌いなポンコツだったけど、
プロのトレーナーになるために。

プロのサッカー選手にずっとなりたかったけど
なれなかった。
だから次は絶対に叶えてやる。次は負けない!

この反骨心が自分のエネルギーに変わった。


高校3年間で学んだもの

続く・・・























この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?