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3.僕の高校サッカー


高校3年間で学んだものはあったのか

自分はサッカーが下手 
と現実を知った入学当初。

走り っていう自分にとってのちっちゃい希望。

3年間自分は良くやった!

って本当は思いたいけどもっと出来たんじゃないかって。

今更こんなことを考えても
意味がないのは知ってるけど、
それでもやっぱり後悔がある。

この3年間で自分が学んだものはあったのか。。


久々に親と話すと、
やっぱり高校時代の話題がでてくる。

親もこの時が一番大変だったんじゃないかな。

この会話には毎回恒例の質問がある。

「うらとん(浦和東の略)に行って正解だった?」


もちろん今回実家に帰っきた時にもされた。

しつこいくらいに思っちゃうけど、
親の中でもこの進路選択は間違ってなかったって言い聞かせたいんだと思う。


この3年間で自分が学んだもはあったのか。

言語化するのは難しいけど、
学んだもの・得たものは確かにあった。

うらとんに行って本当に良かった。

プロを目指す厳しさと競争率

小さい頃からの夢が年齢を重ねるにつれて
より現実的になり、

高校卒業の時には儚く破れた。

プロを目指すほとんどの人が叶えられないまま
終わっていく世界。

すごく残酷だし、努力だけで叶えられる
簡単なものでもないと思う。

プロになるには才能・努力・性格・運 
他にも様々な要素が必要なんだろう。。

そんな高すぎる壁に自分なりに挑戦出来たのは良かった。

もっと上手い人は全国に腐るほどいるんだろう。
世界を見たらもっともっともっといるはず。

自分がどれだけ平凡なのかを知れたし、
だからこそ何者かになりたいと強く思う。


人のつながり

人のつながりってすげー大事だなって
学んだのもこの時かも知れない。

もっと言うと卒業後。

お世話になったうらとんで
トレーナーを出来たのも、
ベストと思える専門学校に進学出来たのも、
今の仕事が出来ているのも、

すべては人のつながりから始まった。

振り返れば、小学生の時のコーチや
中学生の時の先生が 浦和東いんじゃないか
って言ってくれたのがきっかけだった。

そう考えたら、なんか全てがつながっていた気がして。
出会った人には感謝しかない。

家族含めて、人には恵まれすぎなくらいだった。


自分への期待

自分ならプロになれる って思っていたけど、
高校に入っていきなり出鼻をくじかれた。

それでも一番下のチームから、
トップチームにいったその過程は
自分自身誇れるものがある。

技術はなくてもそれ以外のところで。
自分の武器はなんなのか。

【走りでは負けない】っていうポリシーを貫いたこと。

魂をかけた自分のプレー。

この3年間でそれを体現できたんだから
この先で出来ないわけがない。

俺は出来る人間 って自分自身に今でも期待している。


出会い


人のつながり と重なる部分もあるけど
自分にとってはここが何よりも大きいのかも。

今でも同級生とはよく連絡をとる。

といっても一部の人たちだけど、
やっぱり久々に飯を食いに行ける関係でいるのは嬉しい。

インスタのストーリーとか見て、
みんな色んな方向に進んでるんだなぁって。

先生・スタッフとの出会いも大きかった。

狂ってるんじゃないかってくらい
サッカーに熱い先生もいた。
理不尽で意味不明なことを、真顔で本気で言ってくる。

学校に行って自主練をしようと思ったら、
「おい!今から走り行くぞ!」
とか言って隣の学校まで生徒と一緒に走っちゃう先生だった。

休みなんか本当にないんだろう。
平日は朝から夕方まで授業があって、夕方からは部活がある。
土日も部活でずっと外にいるから家族といる時間より断然生徒といる時間のほうが長いと思う。

部活を担当している先生は本当にすごい。

今でも学校に行けば、「最近どうなの?」って話してくれる先生ばかりだから
すごい挨拶にも行きやすい。


その他にも近くの埼玉スタジアムに行けば、
お世話になった運営スタッフの人に会えたり。

高校サッカーを通じて人の輪が広がったのは
自分にとっての財産だなと感じる。


感謝

全ての人に感謝。

これは高校の3年間のみならず、
今まで関わった全ての人に。

浦和東サッカー部の応援歌にも【感謝】
というものがある。

数ある応援歌の中でも、
特に大事な場面で歌われる曲。

卒業生はみんな覚えているんじゃないかな。。




学生の時なんて意識したことなんか無いけど、
人と出会ったり別れたり、色々経験したりすると感じるものなのかも知れない。

周囲の環境が良かっただけに思いも大きい。


親にはもっと特別な思いがある。

高校卒業の時に先生から卒業生へ
【親に手紙を書くように】
という指示があった。

その時、なんて書いたかはもう忘れちゃったけど、
今と思ってることは同じだったと思う。


仕事があるのに
3年間毎日弁当を作ってくれていた。毎日毎日。

朝起きたら、800グラムの米とおかずが
必ずある。
夜喧嘩しても。
「弁当いらねー!」って喧嘩で口走って言っちゃっても。
絶対に弁当はあった。

お弁当を作ってくれてありがとう。

サッカーをやらせてくれてありがとう。



本当にありがとう。


一生背負っていくコンプレックス

自分の中で強烈なコンプレックスが一つある。

それは プロサッカー選手になれなかった こと

このコンプレックスは多分なくならいんじゃないかな。

逆に今のキャリア目標があるのも
このコンプレックスがあるから。

サッカー選手として敗北した 
っていう怨念みたいなのが根強くあるから、
次は負けたくないという気持ちが強い。

もう惨めな気持ちになりたくない

プロサッカー選手 がんばれ

来年からプロサッカー選手になる同級生がいる。

松本ケンチザンガ

本当にすげー。

憧れの舞台に友達が挑戦するってめっちゃ応援したくなる。

浦和東高校からプロサッカー選手がでるのは6年ぶりらしい。

何度か大学の試合を見に行ったことがあるけど、高校とはまたレベルが違った。

プレーしてる姿がめちゃくちゃかっこいいなって思ったし、勝手に嬉しかった。

松ケンもそうだし、大学でサッカー続けてる人たちは
同級生の希望だから本当に頑張ってほしい。

自分も負けてられない。
いつか同じ舞台で戦えるように。


まとめ

拙い文章でしたが、
ここまで読んでいただきありがとうございます。

僕の高校サッカーで感じたことや出来事を3つの記事に分けて書いてみました。

高校を卒業して3年ちょっと経ちますが、
とても濃い3年間だったんだなと
改めて感じています。

文章の中でかっこつけてるなぁとか
自分でも思うところが多々ありますが、
本心で思ったことを書いてみました。

自分の思いを何かに残したい!
って思ったのがきっかけですが、
この記事がサッカーをしている人や友人に届けばいいなとも思っています。


最後に、

家族はじめ今まで出会ってくれた全ての人に感謝しています。

本当にありがとう。
皆さんの未来が素晴らしくなるように!


スキ・コメント待ってます。

それじゃまた!









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