原田敦生

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学連を頑張れる理由

小学生。上靴をゴミ箱に捨てられていた。 中学生。教室の端で1人でご飯を食べていた時期があった。 高校生。威厳のない副将だった。 大学生。メンバー外になり、部室で泣いていた。 でも、助けてくれたのはいつもサッカー仲間だった。 ずっとそばにいて僕を慰めてくれた。 1人の僕に居場所を与えてくれた。 いつも怒ってくれた主将がいた。 上のチームの同期が慰めてくれた。 俺は、どんな時も助けられてばかりだ。 情けない。自分が嫌だ。嫌いだ。 そんな自分を変えたかった。 大学に入り、自

    • 慎始敬終

      皆さんは、「慎始敬終」という言葉を知っていますか? 意味は、 「 物事を、最初から最後まで気を抜かず、手抜きもせずにやり通すこと。」 という意味です。 僕はこの言葉に高校3年生の時に出会いました。 顧問の先生が合宿の際にMTでサッカー通信を配りました。 そのタイトルが「慎始敬終」でした。 初めて聞いた言葉だったので調べると、 自分にピッタリだなと思いました。 その時から今まで自分の座右の銘にしています。 最後まで諦めないって本当に大事だと思います。 高校2年生の時の選

      • 威厳のない副主将

        さあ思い出シリーズ第3弾。 高校生の時の話! 大阪府立枚方高校に入学しました。 高校1年生の時はほとんど試合に絡めず、Bチームで地道に練習してきました。 僕の高校は朝練がないので入学してから朝練で自主練をし続けていました。 顧問の先生がしっかり見てくださり、10月に初めて公式戦に出させていただきました。当時はDFとして練習していたのですが、サイドハーフで出させてもらいました。そこで初出場初ゴールを決めました。その活躍が認められ、最後の公式戦のメンバーに入れてもらえました。1

        • 中体連大阪制覇と地区予選敗退を経験した3年間

          前回は小学生編見ていただきありがとうございます! 今回は中学生編です!  中学校は、ガンバ門真Jr.Yでサッカーをするか、地元の枚方市立第四中学校(以下、枚方四中)でするか迷っていた。 しかし、僕は枚方四中でサッカーすることを決めた。 理由はいくつかあるが、サッカーだけではなく人間的な部分での成長を見込めたからだと当時は思っていたからだと思う。(理由は本当にたくさんあり結構迷いました。) 枚方四中は部活動に力を入れており、顧問の先生にも恵まれていた。 当時の顧問の先生の山

        学連を頑張れる理由

          人生初の挫折。

          1998年12月21日。 大阪府守口市で誕生しました。 2歳まで守口に住んでいてそっから枚方に引っ越しました。 4歳の頃、兄の影響でサッカーを始め、18年間サッカー一筋でやってきたんですけど、思ったより色々あった18年間でした。 幼稚園から小学生まで8年間、枚方YMCAでサッカーをしていました。 小2の時に4年生の大会に飛び級で試合に出させてもらったり、小学校6年生の時には、YMCAのアジア大会(記念大会みたいなやつ)に大阪代表(選抜とかではなく行きたいと言ったらいけるや

          人生初の挫折。