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え?本当にその体癖?〜体癖の特徴を薄める色々〜

東京・赤羽のソシャフィア体癖院に、女性のお客様がお越しくださいました。

その方は、どう見ても一種か四種。
あるいは、一種と四種の複合体癖。

体の形としては、スッと背が高く、ほっそりとしていて、左右のゆがみがある。
言動としては、施術者である私ソシャフィアに対して非常に丁寧で、気品を感じさせる。

「よし、一種四種だな」
私はそう予測したのですが…

初回の体癖診断の前には必ず、カウンセリングシートをお書きいただきます。
症状やお体の状態は体癖を予測するのに打ってつけで、お体のどこが痛いか?どのような不調が出ているか?は、体癖がその症状を出させていることが多いのです。

「首の痛みと、胃の不調だな」
一種と四種に多い症状が書かれていることを予測し、お書きいただいたカウンセリングシートを受け取って見させていただくと…

「???」

明かに、一種や四種の症状ではない…
カウンセリングシートに書かれていた症状はすべて、八種の症状だったのです!

ジンマシン、神経痛、膝の痛み、喉の不調、膀胱炎、PMS(月経前症候群)…
これらは八種の体癖に由来する症状である場合が多く、複数書かれていれば、お体を診させていただいてもほぼほぼ八種という結果が出てくるのです。

「いやいやいやいや、どう見ても八種じゃないでしょ〜」

八種といえば、なんというか、こう…
もっと斜に構えているというか、不敵に笑うというか、どよ〜んとしているというか、妙な色気があるというか、感じ悪ぃというか(笑)

しかしながらその方からは、そういった雰囲気や振る舞いを一切感じない。
カウンセリングシートとその方のお顔や体つきを見比べながら、少々困惑していたのです。

でも、そういえばカウンセリングシートを書かれているときに、体を捻っていたような…

で、立位(床に立った状態)のままお背中を触らせていただくと…
やはり、八種っぽい。
腰のちょっと上あたりが、盛り上がっている。
下半身も右に捻れている。

「うん、八種混じりなんだろうな。一種四種・ふりかけ八種だろう」

いよいよ私の脳内で展開していた”この方は一種四種説”が崩壊し、「本当に八種が混じっているかどうか?」を様々な検査法で何度も何度も何度もお体から調べさせていただき、その結果は…

八種一種四種。
間違いなく、八種が最も色濃く出ているお体でした。

非常に意外に思いながら、その結果をお伝えすると…
「実は、私…」。

診断結果を伝えられたその方のお言葉は、体癖に関しての私の学びをさらに深い次元に連れて行ってくれたのです(後述)。

…こういった方は、割といらっしゃいます。
二種だと思ったら九種だったり、六種だと思ったら一種だったり、十種だと思ったら四種だったり。
予測と実際の体癖が大きく離れている方は、割と多い。

私の体癖診断は、非常にしつこい。
例えば一種なら、”一種だったら絶対にこうなっている”というポイントが10個ほどあり、そのポイントすべてをいくつかの検査法で検査していき、「確実に一種である」というところまで絞り込んでから、初めて「一種です」とお伝えするのです。
たった一つの方法や、相手を前にしたときの自分の体の反応や、見た目や言動や雰囲気だけで「何種です」と診断するのではなく、「絶対にそうだ」と否定できなくなるところまで、しつこくしつこくしつこく客観的な方法のみを用いて、「一番濃いのは何種、次に濃いのは何種、(三番目があれば)次の次は何種」という濃さの順番、また「高潮しているか?低潮しているか?高潮時や低潮時に体癖が変わるとするなら、何種になる可能性があるか?」まですべて、一度の診断で検査をします。

私以外の人が同じ方法で診断しても、まるっきり同じ結果が出ることも確認済みです。
もちろん、検査のための技術や知識は必要なのですが。

ですので、診断は間違いようがない。
私がいくら主観をもって診断したとしても、お受けいただくお客様にも検査を手伝ってもらわなければできないので、誤診のしようがない。

その診断結果と、診断をする前に見たり聞いたり感じたりした予測が違っていたら、それは「予測が間違っていた」ということに他ならないわけですね。
予測を外すことはよくありまして、現在は25%くらいは外します。
(これでも正解率は上がった方なのですw)

なぜ、予測が外れるのか?

相手が擬態しているから?
”体癖の見抜きポイント”がズレているから?
ちゃんと観察できていないから?
主観がそうさせているから?

それらもあるでしょう。
そういった”見間違えやすい体癖と体癖”については、以前にnoteを書きました。

ですがそれ以上に、”見抜かれる対象の方に、体癖の特徴を薄めている原因がある”から、予測が外れるのです。
予測する方に原因があるのではなく、予測される方の中に予測を外させる”何か”がある、ということですね。

そしてその原因は、一つではなくいくつもあるのです。
その中には、その方の”生き方”や”鬱散と集注”に関わる部分もあり、それらが何よりも重要なのです。

というわけで今回の『タイヘキストマガジン』は、”体癖の特徴を薄める色々”について。

体癖は非常に厄介で、特徴が濃ければ良いというものではないし、薄ければ良いということではないのです。
濃く出ている特徴を自分や人や世界のために発揮して幸せになれれば良いのですが、場面によっては薄まっていた方が都合が良いこともある。

都合がいいからって本来の自分を封じ込めれば後でしっぺ返しがくるし、「自分はこういう人間だ!」と体癖を丸出しにすれば社会性を失い信用を失うことにもなる。

体ということだけで見れば、体癖の特徴は薄い方が良いのです。
それは、ゆがみの少ない体、ということになります。
その方が様々な症状が出づらくなり、痛みや不調も出づらくなります。

「人間の体は常に毀れていて、常に治っている」と晴哉先生はおっしゃっており、体癖が薄い(体のゆがみが少ない)方が治るスピードも早いのです。

それでも視点を変えてみれば、体癖の特徴が濃く出ていてその痛みなり不調なりがあるゆえに「自分は今、低潮している」ということも分かり、無用なやらかしをしなくなる、という面もある。
痛みや不調、やらかしが私たちの”今”を教えてくれて、それらを乗り越えることで成長させてくれる面もありますよね。
そして、ゆがんでいるがために、人の心を打つ芸術を創造したりすることだって、あるのです。
体癖を調整すると、その能力が失われることもある。

人にはなぜ、体癖があるのか?
今回のnoteでは、その根源的な問いに真正面から向き合ってみました。

結論から言えば、体癖はやはり「幸せに生きる」ために、あるのです。
そしてそうするためには、”社会通念”や”過去”といった壁が高く立ちはだかっているのです。

薄まる原因① 擬態(環境)

「え?本当にその体癖?」と思わせる原因を挙げるのに、擬態について述べないわけにはいかないでしょう。
擬態はこの世に溢れているからです。

体癖から出る感受性から出る言動(分かりづらい日本語w)を意識的に抑えて、相手に受け入れやすいようにしたり、あるいは相手との信頼関係を築くなどの目的を達成したりするために、人は擬態しますね。

擬態は、その場の環境によってせざるを得ない時もあるでしょう。
そもそも擬態は、自然界では「環境に適応するために行うもの」。
擬態しなければ天敵に食べられてしまったり、それとは逆に、擬態しなければ食を得られなかったりもするから、自然界の生き物は擬態するのです。

人間だって、同じ。
社会がなければ生きていくことができないのですね。
そこに適応できなければ、自然界に生きる生物と同様、淘汰されてしまうことだって、ある。

一個人として、社会と関わらなくても生きていくことはできるでしょうが、社会がなかったとしたら流通やら市場やらも発達することがないので、缶コーヒーの一本だって手に入らない。
一人で生きているつもりでも、屋根のある家に住むためには自分が知らないところで様々な人が動き、社会が動いていますね。
人間にとって社会は、他の生物が生きる自然界と同様の環境だと言えるでしょう。

それに、現代では人が社会を作っているというよりは、社会が人を作っているのです。
社会そのものが意志を持っているかのように、適合できない人は社会から弾かれます。

「攻撃性を発散しちゃダメ」
「主体性を持たなきゃダメ」
「人のことを悪く言っちゃダメ」
「人を大切にしなきゃダメ」
「人の感情に配慮しなきゃダメ」
「規則正しく生活しなきゃダメ」
「生き生きと行動しなきゃダメ」
「自分の力でお金を稼げなきゃダメ」
「お金のことばっかり考えちゃダメ」
「みんなに合わせなきゃダメ」

そういった社会的通念が、体癖各種を擬態させます。

その場に適合するために、人は擬態する。
社会で生きていくために、人は擬態する。

その結果、体癖の特徴が薄くなる。
「え?本当にその体癖?」と思わせるのです。
誰もが体癖を丸出しにして生きていけるわけではありませんね。

擬態の問題点は、自分がそれをしていることに気づかなければ、自分の内側から溢れ出るエネルギーを発散しづらくなり…
それに関しては、非常に重要なことなので詳しく後述します。

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