社交不安症が勇気を出して話しかけた話

前期最後の研究室ミーティングが終わった時のことでした。

配属からおよそ半年が経過していたにも関わらず、私は依然として研究室に馴染めずにいました。

同研究室には8月卒業の留学生も所属していましたので、その記念としてメッセージカードを贈る企画が秘密裏に進行していました。

私も企画者のAさんから白紙のカードを渡され、メッセージを書くように頼まれていました。

今日がそのカードをAさんに提出する最後のチャンスです。

「あっ、あの、すみません…」

私は消え入るような声でAさんに話しかけました。

一瞬、ミーティングルームが静寂に包まれました。

全員の視線が私に集まっているかのようです。

普段無口な私がAさんに近寄る様子が異様に写ったのでしょう。

後悔しました。こんな注目を浴びるならやめておけばよかったのです。しかし後戻りはできませんでした。

メッセージカードを当留学生に見られるわけにはいきませんから「ちょっと、向こうで……」とまるで意味をなさないような言葉を発しました。

Aさんは何かを察したかのように席を立ち、隣の院生室へと向かいました。Aさんは企画のことをすっかり忘れているようでした。

私はAさんの背中を追いながら、いったい何を察したのだろうかと反射的に考えていました。

Aさんは修士2年の先輩でしたが、私は既に二度留年していたために、年齢は同じ24才でした。私とは正反対の性格で、人との交流を心から楽しむようなタイプでした。無愛想な私にも幾度か気を回してくれることもありました。

ですから、単に研究に関する質問があるのだと考えていてくれればいいのですが──。

Aさんは、私の手元にあるカードに気が付くと「あ、それのことか!」と驚き、笑い始めました。

緊張と緩和。私から話しかけられるというイレギュラーな事態にAさんも身を固くしていたのかもしれません。

私はメッセージカードを提出し、その場から立ち去ろうとしました。

すると、不審に思ったのか修士1年のBさんが様子を見に来ました。

「どうしたの?」

「Bさん、これだよ」Aさんはカードを見せました。

「あー、まだ書いてないや」

二人は打ち解けた様子で話しています。まだ二人の付き合いは私と同じく半年ほどのはずでした。

自分には二人のように気軽に会話することなんてできないな──と卑屈になっていると、Bさんから声をかけられました。

「このあと研究室の何人かで○×っていうお店で食事するんだけど、駿河さん(私)も行く?」

青天の霹靂でした。心の準備をする間もありません。

「いや、あの、えーーっと……」

返答に窮した私は、うなじを手で撫でながら答えにならない言葉でお茶を濁していました。

私が人付き合いの苦手なことを知っていて気を遣ってくれたのか「まあ、いきなりだったしね。都合が合わなくても仕方ないよね」とBさんは笑って続けました。

所在なくなった私は卑屈な笑いを浮かべ、赤ベコのように頭を上下させながら「じゃあ、すみません、ありがとうございました、よろしくお願いします、すみませんでした」とわけの分からぬことを口走りながら、逃げるようにその場をあとにしました。

またしても人の優しさを無下にしてしまいました。

私は運がいいのだと思います。同級生や知人から話しかけられたり遊びに誘われることが何度かありました。しかし、私はいつもその恩に応えることができませんでした。

行くも地獄、戻るも地獄。それなら戻ることを選ぶのが私の人生です。

恥ずかしい、恥ずかしい。

数歩進むうちにほんの少しできた脳の隙間に、ある疑念が浮かんできました。

研究室の一同は、私がAさんにラブレターでも渡すのではないかと想像していたのではないか?

明るい性格のAさんに優しくされたばかりに、卑屈で暗くて何を考えているのかさっぱりわからない私のような人物がストーカー的な思考に陥り、身の程知らずの告白を決行する──そんな事件の臭いのする〈美女と野獣〉を想像されたのではたまったものではありません。

さすがの私もそこまで落ちぶれてはいないという矜持があったのです。

もちろんこれはかなり極端な考えでした。しかし可能性を捨てきることもできませんでしたから、私は軽く絶望しました。

エレベーターは使えません。待っている余裕はありませんし、見知らぬ誰かと密室空間に閉じ込められるという状況を避けるために普段から極力使わないようにしていたのです。

人気のない階段を地団駄を踏むように降りながら、用もないのにスマホを取り出し、スケジュールを確認するふりをしました。

階段を一段誤り、腰を痛めました。

涙は、出ませんでした。

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