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#6 文化人類学との出会い〜そして見えてきた社会

文化人類学をご存知ですか? 

数年前に出会ったある一冊の本がきっかけで、すごく興味を持つことができました。
それは、松村圭一郎さんの著書「うしろめたさの人類学」と言う本です。

偶然、書店で見かけ手に取ってみると、すぐに理解が出来た訳でもないが
体が求める何かを感じ取り、その本を持ちレジへ向かった。
購入後、一度読んだだけではあまり理解できず、二、三度気になる箇所を読み返してみる。

そこで見えてきたのは、エチオピアでフィールドワークをされた事を元に社会のあり方、人との繋がり方を考察し、今の日本の現状を浮き彫りにしていく内容であった。

エピソードの中で取り分け共感したのは、エチオピアでは、taxiを乗るのも買い物するのも常に値段交渉などがあり、いやおう無しにコミュニケーションが必要となる点である。

著者も述べていたが、どうなんんだろう、日本と真逆だ

エチオピアの社会では、とにかくコミュケーションが必要な様だ。
道を歩けば、子供、尋ね人など色々な方からの会話がある、おそらく人に対して先入観があまりなく、しかも他人に好奇心を抱いていると考えられる。

そんな彼らは、私から見ると自分を解放し、他者との関わりを持ち、
その事が、生活の中で特別な事でなく、自然な行為と思っているのではなかろうか。

それに比べ、日本では、IT化が進み、どんどん人との関わりが減っている。
できれば、ちょっとした確認や会話さえ省きたいと思っている人も少なく無いのでは。

実生活でも交通を利用する際、ICカードでセンサーにタッチしどこにでも行けてしまう。
そして食事では、コンビニエンスストアやスーパーなどで買い物をすると、全てバッケージングされバーコードの付いた商品をレジまで持って行けば、あっという間に購入が済んでしまう。

気づけば、一日中誰とも会話なく過ごしてしまう日もあるのでは、なかろうか。

この対照的な日常に違和感を覚えた事が、私の感性のスイッチが入った。

その違和感を特徴的に取り上げて頂いた松浦さんに感謝したいと共に、このnoteの場でも、そのキーワードを私なりに掘り下げていきたいと考えている。

そのキーワードは、「公共」と言うキーワードである。
あまり身近に聞きなれないキーワードであるが、私はエチオピアと日本の違いが
その公共という場所に隠れていると思われる。

プライベートではない空間に人が集う。

そして関わりが生まれる場所。

その「公共」と言うキーワードにこだわり、次号以降で、その点を掘り下げて行きたい。

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