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学生が見た「2022年7月8日」<2>

 今の大学2年生(当時1年生)が経験した「2022年7月8日」です。

暇すぎた

 2022年7月8日にあった安倍元首相銃撃事件。いつも通りの日常。金曜2限の授業で作文を書き終え、スマホでSNSを通じて事件があったことに気づいた。銃が禁止されている今の日本で銃撃事件が起こるなんて思っていなかったし、驚きを隠せなかった。事件を知った後バイトへ向かった。偶然にもバイトが暇だったので、バイト先の事務所のテレビで社員の人たちとニュースを通じて安倍さんの安否がどうなったのかを見ていた。ヘリで搬送されているところも見ていたので、「助かってほしいなあ」と会話をしていたが、よく知っている首相が亡くなったことを聞いたときは悲しかった。安倍さんがどんな政策をしていたかは詳しく知らなかったが、かなり批判されていたのは知っていた。あれだけ長い任期だったので良い総理大臣だったなのかなと思った。
 2日後の衆院選の投票にはバイトだったので行けなかったので、選挙の様子はわからなかったが、ニュースでこれまでに演説中に襲撃された政治家の話をしていたのが印象に残っている。
 岸田さんが襲われた事件は未遂に終わった。しかし、このような事件が日本では起こらないなんてことはなく、これからも起こりうることなんだと強く印象に残った。(K.K.)

日本が揺らいだあの日

 私は安倍元首相が襲撃されたニュースを、2限が終わった後、廊下で次の授業を待っていた人たちの話し声が聞こえてきて初めて知った。はじめは、銃で安倍元首相が撃たれたらしいという言葉が聞こえてきたが、何のことかさっぱり分からなかった。急いでツイッターを開いて、状況を確認すると安倍元首相が撃たれた後の動画や、犯人が取り押さえられている動画がたくさん目に入ってきた。その動画を目にしても、安倍元首相が銃撃された事実を信じることができなかった。それは、日本で銃を持っている人がいる事実と、誰もが知っている安倍さんが銃撃されたわけがない、何かの嘘であってほしいと思ってしまったからだ。事件を知った時、安倍元首相はまだ生きていたので、きっと死ぬわけがないし助かるのだろうと思っていた。しかし、数時間後に訃報を知ってどう言葉に表したらいいのか、どこに気持ちを伝えたらいいのか分からない喪失感を味わった。
 事件から1ヶ月後の夏休み中に、母の実家がある山口県に行った。下関へ遊びに車で連れて行ってもらった時、道路にはたくさんの安倍元首相の過去に選挙時に使われていたと思われるポスターが貼ってあった。そのポスターが、事件が起こる前からあったものなのか、事件後に貼られたものなのかは分からなかったが、この銃撃事件が多くの人にとって、忘れられない忘れてはいけない、衝撃的でショッキングな事件なのだと実感した。(A.K.)

寝過ぎた

 安倍元首相が襲撃された日。私は大学が全休だったため昼過ぎまで寝ていました。そして目が覚め、携帯を見るとLINEやインスタグラムのDMが何件か溜まっており、何かあったのかと急いで見ると安倍元首相が襲撃されたという内容が書かれていました。なぜその友達や知り合いが私に連絡してきたのかというと、私は奈良県出身で高校の頃は毎日安倍元首相が襲撃された大和西大寺駅で乗り換えをして近鉄奈良駅まで向かっていたため、無事を確認する内容や、他の県から住んでいる友達からは奈良県は危ないといった内容が書かれていました。私自身高校3年間毎日のように利用していた大和西大寺駅で安倍元首相が襲撃された場所も何回も通っている道であり、私たちが高校生の時にあのような演説をしていたら私もその場で見ていただろうし、見ている場所によっては私も銃弾が当たってもおかしくないようなこともあり得るので、タイミング次第では他人事ではないと感じました。正直2日後の衆議院の投票日は何をしていたか全く覚えていません。しかし、このような令和の時代に日本で散弾銃を打った犯人が奈良県にいたと思うと安倍元首相の襲撃事件発生から約1~2週間、奈良県で生活することに少し恐怖を覚えました。このように自分の住んでいる地域や近隣の県で事件が起きると、私たちはとても意識を持ち恐怖を覚えることがあり、このようなことがもう起こらないようにしてほしいと感じました。(K.I.)

気づくのが遅すぎた

 安倍元首相が襲撃された日、私は日本語文章力養成Aの授業を受けていました。その日は作文を書く週で、制限時間よりも早く書き終わった私は、スマホを触っていました。LINEの返信をしようとLINEのトークを開くと、1番上にLINEニュースの見出しで、「安倍元首相撃たれる」と表示されていました。この授業には友達がいなかったので、1人でびっくりしていたのですが、同じく携帯を触っていた、たまたま隣に座っていた女の子に思わず「安倍さん撃たれたって見た?」と思わず話しかけてしまいました。
その授業が終わった後も、合流した友達たちとも家に帰り会った母とも、安倍さんの容態の話で持ちきりでした。元首相とは言え、ここまで話題になったり、国民に悲しまれるほど、安倍さんは愛されていたのだなと、いなくなってから気づいてしまいました。(M.M.)

守られる立場から守る立場へ

 大学1年生の7月8日。2限の講義を受けたあと、バイトの時間まで図書館で暇をつぶそうとしていた時だった。いつものようにTwitterを開くと「安倍さん」「ショック」の文字が流れてきた。目を疑った。SNSのトレンドは安倍元首相襲撃事件のことばかりだった。意識不明の重体という速報を見た瞬間、助かって欲しいと心から願った。すぐに両親へ連絡をした。母は「こんな事件が起こるなんて、日本とは思えないね」と、父は「安倍さんは抱えていた問題も多かったし恨みを買っていたのかな」と言っていた。
 不安な気持ちを抱えたまま、バイト先である小学校の学童保育へ向かった。「ニュース見た? 物騒だねぇ」と学童支援員の先生方に声をかけられる。ちょうど学童内で避難訓練をしたばかりだった。もし、銃を持った人が小学校に侵入したら私は子どもを守れるのだろうか。日本ではありえないと感じていたことが、実際に事件として起こってしまったのだ。SNSで安倍元首相に付いていたSPが非難されていく中で、私も「誰かを守る立場」であることに対して不安を感じた。
 バイトが終わり、所属しているサークルへと向かった。いつもは賑やかなサークルだか、この日は雰囲気が重かった。ざわざわとしている中で、「聞いた? 安倍さん撃たれたんだって」と先輩達が話している声が聞こえる。SNSで速報を確認すると「安倍晋三 死去」というニュースが流れてきた。
 事件直後は、日本はどうなってしまうのだろうかという不安な気持ちでいっぱいだった。しかし時間が経つにつれて、犯人が宗教団体への恨みで安倍元首相を襲撃したと知って言葉を失った。「モリカケ問題」や「桜を見る会」などの問題を抱えてはいたが、日本の最前線に立って国際的な面でも活躍してきた人だった。これらの問題は、生きて彼の口から国民に伝えて欲しかったと心から思う。日本のことを思い、支えてきた人がこのような最期になってしまったことが心苦しかった。安倍元首相を守ることが出来なかったSPはメディアでも多く非難された。この事件は安倍元首相だけでなく、加害者や宗教団体、警察関係者を含め多くの人の人生を変えただろう。私も大人になり、「守る立場」になった。このような事件が起きたとき、誰かのせいにするのではなく、誰かのためにできることを見つけていきたい。(R.S.)

まさかすぎた……

 あの日は平日だったので、私は大学にいた。2限は空きだった、友だちとのんびり早めのお昼休憩をしていた。そこで私はスマホでLINEニュースを開くと、緊急速報で安倍晋三襲撃と出ていて大きな衝撃を受けた。またそれは奈良で起こったと知りさらに大きな衝撃を受けた。休憩していた場所にいた周りの人もその話をしていてざわざわとしていた記憶がある。あまり現実味がなく実感のなかった私は、なんとなく死なないだろうと思っていた。お昼休憩が終わり、私はバイトがあったので、バイト先に向かった。その途中も状況があまり変わってなく治療が頑張って行われているのだろうと思っていて、その気持ちのまま夜遅くまで働いていた。家に帰ると母が「安倍晋三亡くなったって」と言っていたのを今でもよく覚えている。志村けんさんの亡くなった時と似た気持ちで、死なないと思っていた人が本当に死んだんだというなんとも言えない感覚になった。そう考えながら眠りにつきその日を終えた。(R.Y)

歴史は突然動く

 2022年7月8日金曜日、午後しか授業が無かったため、11時ごろに目を覚ました。金曜日は午前中から授業を受けている友達と学食で昼食をすました後、授業に向かうのが恒例の流れだった。その日もだらだらと準備をすまして大学に向かい、友達の授業が終わるのを待っていた。すると何となく見ていたTwitterで「安部元首相」がトレンド入りしているのを目にする。気になって調べてみると「安部元首相襲撃される」というニュースが流れてきた。衝撃だった。総理大臣経験者が襲撃されるなど、日本史でしか目にしたことが無い。Twitterやインターネットで情報収集する手が止まらなかった。
 するとほどなくして別の友人から「安部元首相が襲撃されたらしいな」という連絡があった。驚愕している自分の状況を伝えると、彼から「現場急行中」というメッセージが送られてきた。これにも驚愕した。確かに現場は大和西大寺駅前と大学からでも向かいやすい場所ではある。しかし、実際に現場に向かうという思考回路が私にはなかったため、彼の行動力を尊敬した。(後に、実際は二木先生に唆されたからだと言っていたが。)しかし言われてみると日本史でしか見たことのないような出来事が、行ける範囲の中で起こったのだから、現場に行く考えは往々にして理解できるなと思った。
 3限目の授業を受けていると、彼から現場の様子が動画や画像を交えながら事細かに送られてきた。そこには野次馬や報道陣でごった返す現場の様子が写っていた。正直彼のメッセージが面白く、授業どころではなかった。彼のメッセージには現場に行かなければ感じることのできないリアルな現場の状況が記されていた。
 その日の夜、世間は安倍元首相銃撃事件の話題で持ちきりだった。私が見ていたニュース番組も長時間にわたって事件の特集をしていた。しかしそこに映る映像や画像から友達のメッセージよりもリアリティを感じなかった。報道機関の方がより状況を整理し、その情報が伝わりやすい映像や画像を抽出しているはずにもかかわらず。
 この時私は、人々の中でメディアの存在が当たり前になり、メディアを通して得た情報には距離が生じてしまうことを強く感じた。テレビなどのメディアが人々にとって当たり前になり、同時にそこで報道されているニュースの存在も当たり前となる。つまり人々はメディアを通して得た情報は、どれだけ衝撃的な事柄だったとしても「いつものこと」と感じてしまうのではないかということだ。そしてメディアから得る情報が「いつものこと」になってしまうと慣れが生じ、現実感がなくなってしまう。私にとっては電車で40分ほどの場所で起こった今回の事件も、テレビで見ると遠い世界の話のように感じてしまった。結果的に友人から送られてきたプロに比べると拙い映像や文章が、私にとってはこの事件に関連する情報の中で、最も現実感のある情報だった。
 現実感のある情報を伝えることは難しい。状況を瞬時に細部まで捉え、その情報を素早く正確に伝える必要がある。この作業は何もメディアだけが必要なものではない。それ以外の仕事や普段の生活のコミュニケーションにおいても重要な能力だ。2022年7月8日、この能力の必要性を痛感する一日だった。(K.Y.)

安倍さんが襲撃された日

 2022年7月8日、安倍晋三さんが亡くなった時私は自宅で寝ていた。昼過ぎに起床しネットニュースで安倍さんが演説中に撃たれたことを知った。  TwitterなどSNSはそのニュースで持ち切りで様々な意見が飛び交っていた。
しかし様々なニュースや色々な意見を見ても私は総理大臣が撃たれるなんて歴史の中の話でしか聞いたことが無く、全く実感がなかった。
 夕方からいつも通りバイトに行くとバイトメンバーも安倍さんの話をしていて客席からもちらほらそんな話が聞こえてきて本当に亡くなったんだと感じた。
 それから数日間家族、友達などと安倍さんの話をすることが多かった。
 ネットでも総理大臣が殺されるなんて国の今後が心配だという声が沢山あがっていた。
 これからしっかり選挙に行こうと思った。(A.T)

日常のさなかに

 金曜日は一限がオーラルイングリッシュ。やたらとテンションの高い先生につられて、ついはしゃいでしまう授業だ。通学に一時間半ほどかかるため、一限がある日は六時頃に起床する。アラームを止めるためにベッドから降りてすぐ、机の上に置いてある筆箱が目に入った。黒猫の形をしたかわいらしい筆箱は自分のものではない。高校時代からの大切な親友に借りたのだ。前日、大学に行くのに筆記用具を忘れる失態を犯した私。快く貸してくれた彼女には感謝してもしきれない。すぐに返さないと困るかもしれないので、忘れないよう机の上に置いておいたのだ。すぐにリュックに詰め込んで、家を出る前にもちゃんと入っているか確認をした。
 黒猫を連れて電車に揺られる。体も瞼も、まだ重い。ぼんやりしたまま、一限と二限を過ごした。二限を一緒に受けていた友達には遅刻癖がある。その日は間に合ったのか、それともまた五分遅刻してきたのだろうか。ただ、二限が終わったあとに「安倍元首相が演説中に倒れた」「銃声のような音がした」というニュースを彼女と見て驚いたことはわずかに覚えている。
 世間が大騒ぎしていようと、自分の周囲はつつがなく「いつも通り」だった。電車に乗って帰る。昼寝をして、バイトに行く。小中学生にあたりさわりのない授業をする。また電車に乗って帰る。昼にニュースを見て驚いたことすら少し忘れていた。なんだかんだで、どうせ助かるだろうと油断していたのかもしれない。
 安倍元首相がそのまま亡くなったことを知ったのは、二十二時頃に帰宅してすぐだった。玄関まで急ぎ足で来た母から訃報を知らされた。政治について熱心に考えたこともなければ、真面目に参政しようとしたこともないようないい加減な大学生でも、衝撃で声が詰まるような事件だった。事の顛末も、動機も、難しいことはよく分からなかったが、人は思っていたよりずっと呆気なくいなくなってしまうんだと変な実感だけが残った。(M.Y.)

通知1つで変わること

 7月8日の11時45分頃。いつも通り教室で授業を受けながら少しボーッとしていた時、机の上に置いていたスマホに通知が入った。Twitterからの通知だった。内容は表示されないようにしていたので、誰かがいいねを押したのかなと何気ない気持ちでTwitterを開くと、そこには「安倍晋三が襲撃された」という文字。初めは全然ピンとこなかった。しかし、調べれば調べるほど安倍さんが襲撃されたときの動画や写真などの詳細が出てきた。しかも、場所は普段学校に来るときに乗っている電車の行き先にもなっている大和西大寺駅だ。知っている場所で、誰もが知っている有名な人が襲撃されたということをどんどん実感すると同時に、この話を誰かと共有したい気持ちに苛まれた。授業が終わってすぐに友人に「これ見た? やばない?」と話しかけた。自分1人では情報を消化しきることが出来なかったので、誰かと話しながら気持ちを整理したかった。その日の授業終わりはいつもよりもザワザワしていたのをよく覚えている。
 犯人の動機で宗教によって苦しめられている人がいることを知った。事件によって問題が取り上げられるようになったが、注目を集めるきっかけがこういった事件なのが悲しかった。もっと早くに宗教の理由で苦しんでいる人の問題を解決するために動いていたら、この事件は起こらなかったかもしれない。どこかで気づくこと、変えることが出来たはずなのに、変えることが出来ないまま犯行に及ぶまでに至ってしまったのだろうと思ったからだ。約1年経った今。話す機会は少なくなったが、ここまで当時の状況を思い出すことが出来るのは凄いことだ。安倍さんの影響力の凄さに改めて気づいた。今後このようなことが起こらないように、自分には何が出来るのかを考えたい。(N.Y.)

近すぎて

 7月8日、12時4分。「日本語文章力養成A」の授業中。作文を書き終え、時刻を確認しようとスマートフォンのロックを顔認証で解除した。目に飛び込んできたのは、時刻ではなくYahoo!ニュースの速報だった。「安倍元首相撃たれる」。目を疑った。授業中、ほめられたことではないとわかっているが、速報記事をひらいて目を通す。記事には「近鉄大和西大寺駅の北口ロータリーで演説中に銃撃された」と記されてあった。大和西大寺駅までなら、大学から30分余り。
 12時10分。早めに授業が終わった。二木先生に速報を伝えた後、自転車で近鉄河内小阪駅に向かった。大和西大寺行の区間準急に乗ったのは、12時37分のこと。石切駅で奈良線急行に乗り換え13時4分、大和西大寺駅に到着した。事件発生から約1時間30分が経過していた。
 現場には規制線が張られており、警察や報道陣のみならず大勢の見物人でごった返している。メディアのものと思われるヘリコプターが4機ほど、上空を旋回しており、警察車両は交通規制を行っていた。現場の状況を記録しようとスマートフォンのカメラで録画を開始した。
 安倍氏の演説が始まった当初、山上容疑者がいたとされる山晃住宅(不動産)の前には警官が数名配備されていた。13時30分ごろ、鑑識による現場検証がはじまった。その様子を各メディアが報道している。大勢の聴衆がいた南都銀行前には関西テレビ、サンワシティ前にはMBS毎日放送、読売、テレビ大阪、NHK。現場中継をしながら、事件発生時に現場に居合わせた人が見つかれば、報道陣が押し寄せる。まさにメディアスクラムといった状況だった。時間の経過とともに野次馬は減っていったが、報道陣とみられる人の数と警察車両は14時ごろまで増え続けた。
 事件発生から約3時間が経過した14時30分ごろ。現場に若干の落ち着きが見え始めたため、場所を変え、現場近くのそば屋に立ち寄った。
 そばを注文し、店主に話を聞く。
 「近所の工事の音で銃声は聞こえなかった。しかし、マイクを持った男性が『AED(自動体外式除細動器)を持って来て下さい!』と叫ぶのが聞こえ、外に出てみると辺りは騒然としていた。まさか安倍元首相が銃撃されたとは知らず、あわただしい様子に困惑していると新聞社から電話がかかってきた。現場の状況を聞かれ、はじめて事の詳細を知った」。
店主と話していると、隣の席でざるそばをすすっていた女性が事件当時の状況を教えてくれた。女性は事件発生時、安倍元首相の演説を聞いていたらしい。
 「娘が習い事にいくため、今日も駅まで見送りに。人だかりを見て安倍元首相に気がつき、電車の時間まで演説を聞いておこうとした矢先の銃撃だった。何が起こったのかわからなかった。銃声も聞いた時は車のタイヤがパンクしたのかと思った。安倍元首相が撃たれたと気がついたのは、犯人が取り押さえられ、誰かが発した『安倍さん大丈夫か』という声を聞いてからだった」。
 今やどこにいてもいろいろな情報が手に入る。地球の反対側で起こった事件が数分とたたないうちにスマートフォンの画面に表示される。ところが、身近なところで起こったことには気がつかない。渦中の人ほど、あまりに近すぎて事の重大さに気がつかないのかもしれない。
 事件の2日後には参院選があった。
 母校(小学校)の会議室が投票所だ。日曜の午前中、投票に来ているのは相変わらず高齢者ばかり。世界を震撼させるような事件があっても、投票所内の空気は市議会議員選挙のときとほとんど変わっていない。
 こうしている間にも、この国の「なにか」が変わり続けている。
 変わるべき方向性を決める選挙。その選挙に行かない国民。変えたくないのかもしれないが、それでも社会は変わる。誰かに変えられる。好きなように。
 それでも気がつかない。あまりに近すぎて。(R.H.)

身近すぎた

 金曜日の2限の最中だった。お母さんから、「安倍さん撃たれた! 西大寺で」とLINEが入った。そこでは私は安倍首相が大和西大寺駅で何者かに撃たれた事を知った。あまりにも突然な出来事で、すぐに状況を受け入れられなかった。会ったことは無かったが、よくテレビで見ていたのでびっくりした。また、私の通学の途中の駅兼バイトの最寄り駅である大和西大寺駅での出来事だったので驚いた。SNSで記事を見ても見慣れた場所の写真でいっぱいだった。その日はサークルに行っていて、帰りに大和西大寺駅で乗り換えだが現状がどんな感じなのか知りたくて大和西大寺駅で降りた。24時前だったのに報道陣が沢山いて驚いたのを覚えている。そこで初めて本当に安倍首相が殺されたんだと実感した。事件の次の日、バイトの為大和西大寺駅に行ったが、献花に来る人や報道陣で埋め尽くされていて通路がとても通りにくかった。それほど安倍首相の存在が大きかったんだと実感した。(I.M.)

一国民としての感想

 その日は確か金曜日だった。授業で提出するサクブンを考えていると、教室内がざわつき始めた。「安倍さん、撃たれたって」すぐに、こっそり携帯を開くと友達からの報告ラインが数件。ざわつきの正体はこれか。安倍さん?誰だ。あぁ、安倍晋三か。いつ。だれが。どこで、何のために? 次々と疑問が思い浮かぶ。 その時、新しく何かが起きそうで、変化を期待して、そわそわしてしまった自分がいた。更新される情報を見ながら電車で帰る。皆が携帯でニュースを見ていた。私を含め、多くの学生が普段は見ないのだろうなと思いながら更新される情報を探る。銃弾を受け心肺停止の重体と記載されているが、もう安倍さんは助からないのだろうと薄々勘づく。その日一緒に帰っていた川村さんが、「安倍さん助かったらいいなあ。」と言っていた。あぁ、この子は本当に優しい心を持っているのだな。ほんまやな、と頷きながら思った。
 家に帰ってテレビを付けると、安倍さんの事件について報道していた。安倍さんの奥さんの昭恵さんが奈良に到着したと報道が入る。昭恵さんの姿を見た時初めて、恐ろしい事が起こったのだとじわじわと実感した。被害者の親族の姿というのは、何とも言えない影響力を持っていると感じた。私はこの時初めて、安倍さん助かったらいいね、と母に話しかけた。
 翌日、死亡が報じられた。思わず悲しくなった。連日世界各国の政治家から追悼の意が報じられる。なんて多くの人々に慕われていたのだろう。そんな人を殺めてしまうなんて、とここで加害者に怒りを覚える。
 自分と関わりのない人に対して感情を抱くことや心を動かすことは難しい。自国の総理大臣という、私のような一国民に対しても近しい存在であるにも関わらず、メディアを通すとそれはより遠い存在に感じる。だからこそ、安倍さんが危険な状態にあったとしても好奇心が先に突っ走る私のような非国民が現れる。
 しかし、そんな遠い存在であっても、その死は私を初め多くの国民の心を動かし、感情を揺さぶった。安倍さんの人柄にもあるが、感情を揺さぶる原因を作ったのは皮肉にもまた、メディアを通してであった。(A.W.)

メディアが私に寄り添っている

 朝8時50分頃に学校に着き、授業を受けた後、ふとTwitterを見た時に衝撃が走った。奈良の大和西大寺で起こった安倍晋三元首相の銃撃事件についてのニュースがひっきりなしにリプライに流れ、数々の著名人が多種多様な感想、事件当時の映像や写真などの事件に関するものが多く話題になった。ヘリコプターでの中継、犯人の容姿や何をしていたか、中学高校の頃の写真などはすぐにテレビで報じられ、当時のメディアがどれほど重要視したものかが見て取れる程だった。家に帰ってから家族と事件の話をしたり、友達ともLINEでこのことについて喋ったりしていた。
 次の日のニュースで、安倍晋三元首相が亡くなったと報じられた。歴代の首相の中でもテレビの露出が多いために、若者の私でもよく知っている。そんな人が亡くなったとなれば世間ではその話題で持ち切りだろう。かくいう私もその1人だった。特に国葬を行うか否かはデモ活動が起こるほどの問題となり多くのテレビ局や新聞社で取り上げられていたことを覚えている。
何故か印象に残っている記憶で、お昼のローカル番組が観光スポットとして事件現場となった大和西大寺を紹介されていた。どうでもいいことを覚えている自分の記憶力にほとほと呆れている。(T.F.)

いつもと違った誕生日

 安部元首相がなくなったのは私の誕生日だ。当日金曜日、次の日が周りの友達も休みだったこともあり「みんなでオールでラウワンいこや!」という話になり盛り上がった。どのタイミングか忘れてしまったが、スマホを見ると安部元首相の訃報が速報で入っていた。最初に見たときはその後のイベントが楽しみすぎて「えー大変やな。結構近いやん」と完全に他人事のような考えをもっていたことを覚えている。その夜は、普通にラウワンを楽しんで、事の重大性に気づいたのは次の日だった。私たちの年代では政治に関心や理解を持てるようになった年になると、すでに安倍首相が誕生していて、日本の首相といえば安倍首相。といった認識が出来上がっていた。そんな方が、この令和の時代に銃に撃たれて亡くなったというのは話題性もあり、なかなかショッキングな事件ということもあり、前日の無関心な自分に嫌気がさしたのを覚えている。(Y.O.)