総社ジャーナル@note

「総社ジャーナル」は近畿大学総合社会学部の新聞制作実習生が手がけてオープンキャンパスで…

総社ジャーナル@note

「総社ジャーナル」は近畿大学総合社会学部の新聞制作実習生が手がけてオープンキャンパスで配布した情報紙です。学生が何に関心を持ち、どんな思いで過ごしているのかを多くの人に伝えようとweb版を創刊しました。元新聞記者の教員(二木一夫)が担当する現代新聞論ゼミに所属する学生が書きます。

マガジン

  • 私の推し2023-2024

    23年度後期の基礎講読(ゼミのようなもの)の受講生がそれぞれ気になる人に話を聞きました。

  • 創刊号

    • 3本

    web版「総社ジャーナル」がコロナ禍の中、この春スタートします。創刊号は、新聞制作実習の授業を受けている近畿大学総合社会学部社会・マスメディア系専攻2年生が取材した記事を掲載します。

  • 根ほり葉ほり

    関心を持った出来事を学生たちが細かくしつこく徹底的に調べます。「根掘り葉掘り聞く」は英語でいうと、<ask somebody about every detail of something>。ディテールを大事に、何もかも聞き出すという意味です。実はこの「根ほり葉ほり」という言葉、、二木が駆け出し記者時代の地域面にあったルポルタージュ記事のタイトルでした。暴力団抗争時の組長インタビューや風営法改正時の風俗店潜入取材など、体を張ったこともしましたが、<detail>の大切さを知りました。学生がどこまで食い込めるか、を見て下さい。

  • 私の現場

    ゼミ生たちが大切にしたい「現場」を歩きながら、考えたこと、思ったことをつづります。

  • 8B研究室から(仮)

    筆者は「総社ジャーナル」を主宰する近大の現代新聞論ゼミの教員です。毎日新聞で33年間記者を務め、論説委員として社説や1面コラム「余録」も執筆しました。筆が鈍らないよう、学生に負けないよう、コロナの日常を書いてみます。

最近の記事

「無駄な仕事はない」元CMプランナーの大学教授、最後の言葉

 広告最大手・電通のコピーライター、CMプランナーとして活躍した大学教員があす31日、定年退職する。近畿大学総合社会学部教授の山本良二さん。36年間携わった広告制作のやりがい、一転して若者を指導する立場になったおもしろさを聞いた。【2年・大和倖太郎/2024年3月30日記】 広告業界を志したきっかけ。「広告論」を受講したこと  大学3年生の時に受けた「広告論」という授業は、テレビ局に勤務していた方が広告やマーケティングを講義するというもの。その講師が「日本で唯一、世界一の

    • 卒業原稿「デジタル時代におけるコミュニティラジオの未来」(後編)

      https://note.com/sociojournal/n/nb30df50414e3 <前編の目次> はじめに 第1章 コミュニティラジオの現況  1-1 ラジオの分類  1-2 日本におけるラジオの歴史  1-3 コミュニティラジオとは  1-4 コミュニティラジオが抱える課題 第2章 インタビュー調査 コミュニティラジオにはどのような魅力があるのか。そして今、どのような課題に直面しているのか。第2章では3つのコミュニティラジオ局に行ったインタビュー調査からその現

      • 卒業原稿「デジタル時代におけるコミュニティラジオの未来」(前編)

         この春(2024年3月)卒業する現代新聞論ゼミ4年生の中島秀太君による卒業原稿です。現場に行き、人から話を聞いて仕上げるので、「卒業論文」ではなく、「卒業原稿」と呼んでいます。「はじめに」に執筆の動機や目的を書いていますが、災害時の情報拠点として期待されたコミュニティラジオがデジタル時代の中、苦境に陥っている現状と課題を当事者から聞き取りしたものです。前編、後編の2回にわけてお届けします。 (現代新聞論研究室・二木一夫) はじめに 大学に入学すると同時に新型コロナウイルス

        • 「近大に体操部を」創部に向け奮闘する理工学部生

           技の難しさと美しさで競うスポーツ、体操。日本はオリンピックや世界選手権でメダルを獲得する強豪国であり、世界的に有名な選手も多い。しかし、近畿大学には体操競技部がない。体操に興味があってもクラブがないなら仕方がないと諦める学生もいるだろう。私がその一人だ。でも今、体操部創設を目指してサークルをつくって活動する学生がいる。近畿大学理工学部物理学専攻の2年生、武井快地(たけい・かいち)さんだ。体操にかける思いを聞いた。【2年・坂東里美】 ――なぜ体操サークルを作ろうと?

        「無駄な仕事はない」元CMプランナーの大学教授、最後の言葉

        マガジン

        • 私の推し2023-2024
          8本
        • 創刊号
          3本
        • 根ほり葉ほり
          4本
        • 私の現場
          1本
        • 8B研究室から(仮)
          4本
        • シリーズ「二十歳の頃」
          15本

        記事

          「『これ、いいな』を形に」雑誌編集の面白み

           京阪神の情報誌を発行する出版社「京阪神エルマガジン社」(大阪市西区)メディア編集部の杣山碧弓(そまやま・たまゆ)さん=写真=は小さい頃から本が好きだった。学生時代、本をつくる仕事に就きたいと、アルバイト先の飲食店に取材に来た編集者に「働きたい」と声をかけ、念願の雑誌編集の道に。忙しくて雑誌を見るのも嫌になった時期もあったが、掲載した店の人や読者の喜ぶ顔を見るとつらさは吹き飛んだ。近畿大学総合社会学部の出身で、私の先輩にあたる杣山さんに編集の醍醐味を聞いた。 【2年・橋本龍之

          「『これ、いいな』を形に」雑誌編集の面白み

          「マスター」と親しまれる理容店のオーナー

           大阪メトロ御堂筋線北花田駅から歩いて5分の住宅街に理容店「santa」はある。その店のオーナーを務めるK・Iさん(56)は、お客さんや従業員に親しみを込めて「マスター」と呼ばれている。彼は本業だけでなく、子ども支援にも力を入れている。なぜボランティアにも励んでいるのか、聞いてみた。【2年・川村あやみ】 16歳で住み込み修業  愛媛県出身のマスター(Iさん)は、16歳の時に大阪府岸和田市で散髪屋を営む親戚の家で住み込み修業を始めた。勉強が得意ではなく、職業は理容師しか思い

          「マスター」と親しまれる理容店のオーナー

          「相談に向き合う」介護の現場から地方議員に

           垰田英伸(たおだ・ひでのぶ)さん(49)は老人ホームで働いた後、介護事業アドバイザーとして独立、2020年から大阪府和泉市議を務める。誰にインタビューをするかと悩んでいる時、幼なじみのお父さんであり市議である垰田さんはどうかと母に提案され、垰田さんは快諾してくれた。なぜ地方議会の道を選んだのか、議員活動で何を大事にしているのかを聞いた。 【2年・山下和花】 ――市議になる前は何の仕事を?  大学を卒業後、老人ホームに就職しました。8年ぐらいで辞めることになり、違う老人ホ

          「相談に向き合う」介護の現場から地方議員に

          「空を見るといいよ」~阪神大震災と能登半島地震~

           1995年1月に発生した阪神・淡路大震災から29年。「大阪もすごく揺れてね、こわかったよ」と毎年母に言われるが、生まれる前の出来事なので実感がわかなかった。だから、震災当時、兵庫県内の自治体に勤めていた50代男性のYさんに発生時の様子を聞いてみた。インタビュー原稿を書き上げた翌日の今年の元日、阪神と同じ震度7の地震が能登半島を襲った。大阪でも揺れは大きく、他人事ではなくなった。そして、1月17日、阪神大震災の追悼の集いに参加し、発生時刻に黙とうをした。この1カ月間考えたのは

          「空を見るといいよ」~阪神大震災と能登半島地震~

          「人に寄り添いたい」ブランドデザイナーに聞く

           「 ha |za | ma 」(ハザマ)。その世界観と強烈な存在感が人気のファッションブランドだ。「唯一無二」という言葉では表しきれない魅力がある。デザイナーの松井諒祐さんにブランドへの思いを聞いた。【2年・吉田真彩】 ――ブランドを立ち上げようと考えたきっかけになる出来事はありますか?  4年制の大学に通っていて、3年生になった時に「就活は自分に向いてないな」と思いました。会社という形に自分は合っていないと感じていたから。今は転職が一般的に知られていて、転職用のアプリ

          「人に寄り添いたい」ブランドデザイナーに聞く

          「喜怒哀楽伝える」新聞記者のやりがい

           毎日新聞社大阪本社の代表室次長を務める一色昭宏(いっしき・あきひろ)さん=写真=は、証券会社勤務を経て新聞記者になった異色の経歴を持つ。社会部記者時代、内戦で荒れ果てたアフリカ・シエラレオネの子供たちを取材したり、ゴミが散乱するマンションを見て管理のあり方を問うキャンペーンを始めたりした。大事にしているのは「現場」。そういう社会部記者のやりがいは何か。一色さんに聞いた。【2年・橋本龍之介】 一人で旅した学生時代  大阪から普通列車で稚内に行ったり、アメリカを長距離バスで

          「喜怒哀楽伝える」新聞記者のやりがい

          スマホをいじる男たち

           清少納言が今生きていれば、「にくきもの」の段で一刀両断するような、無神経な中年男を2人、正月早々見かけました。 息子に生返事  長岡京の天満宮(=写真)に初詣に出かけた元日のことです。行きは梅田発の阪急の特急電車で。途中駅で親子4人が乗り込みました。丸い眼鏡にちょびひげ男と妻、園児らしい男の子と女の子。4人掛けのシートが1席空いていて、そこに座ったのが、なんと眼鏡男。妻と子どもそっちのけで、スマホを横に傾け、操作に熱中し始めました。  妻と女の子は離れたところに空席を見

          スマホをいじる男たち

          「わくわく感が魅力」ガチャガチャ専門店に聞く

          縦にうずたかく積まれたマシーンと両替機が並ぶ、ガチャガチャコーナー。ここ数年、駅やショッピングモールでよく見かけるようになった。私が通学で使う泉北高速鉄道の終着駅・和泉中央駅(大阪府和泉市)にはガチャガチャ専門店「カプセルポップ」(写真)がある。改札を出てすぐ目の前にあるため、学校や職場帰りに立ち寄る利用者が多い。かくいう私自身もよく利用し、なじみがある。カプセルポップの店長を務める伊牟田佑香(いむた・ゆか)さんに話を聞いた。【2年・吉田真彩】 2022年元日にオープンした

          「わくわく感が魅力」ガチャガチャ専門店に聞く

          「二十歳の頃」№15 母の友人にきく

          インタビューしたのは、私の母の大学時代の友人で、私自身も幼い頃から知っている女性である。1975年生まれ。神戸大卒。シカゴ大学のビジネススクールに通い、MBA(経営学修士)を取得。JPモルガン証券東京支店に勤めた後、独立し、投資に関わるコンサル事業を行っている。(聞き手・大和倖太郎=2年) ――大学で何をしようと考えていましたか 高校の時から途上国開発に興味がありました。貧しく恵まれない国の状況がひどいことはなんとなく分かっていて、どのように是正していけるのだろうと思って

          「二十歳の頃」№15 母の友人にきく

          「二十歳の頃」№14 大叔父にきく

          私の大叔父は1952年生まれの71歳。近所に住んでいるので、幼い頃からお世話になっていました。穏やかな性格で、怒っているところやイライラしているところを見たことがありません。真面目で優しい人です。今でも私を駅まで迎えにきてくれます。奥さんも優しく、一緒にいると優しい気持ちになれます。真面目な性格ゆえ、私が大叔父の家に着き、座るなり、「僕が二十歳の時はね」としゃべり出し、インタビューが始まりました。(聞き手・M.M.=2年) ――20歳の時、何をしていましたか 僕は自衛隊の

          「二十歳の頃」№14 大叔父にきく

          「二十歳の頃」№13 母にきく

          私がインタビューしたのは母、松尾律である。1975年愛媛県松山市に生まれる。母が20歳の時は1995年。阪神大震災、地下鉄サリン事件が起き、景気低迷で就職難が続いた。無党派知事が誕生し、この「無党派」は流行語大賞に選ばれた。(聞き手・松尾彩羽=2年) ーー二十歳の頃、何してた? 松山から関西に出て、美術を学ぶ奈良の短大に通っていた。短大を卒業してそこの専攻科に進んだ。 ーー専攻科って? 短大の上に専攻科という絵を学ぶところがあってん。そこ卒業してから美術の先生になる教

          「二十歳の頃」№13 母にきく

          「二十歳の頃」№12 母にきく

          母にインタビューした。高卒で二十歳の時は会社勤めをしていた。メンタルは弱いけど、気の強い人だったようだ。(聞き手・渡辺彩=2年) ――二十歳の自分を一言で表すとしたら 少しだけ自分と向き合い始めた頃、かな。中身スッカスカやなって、やっと気づいてん。「それまではまじで流されて生きてたな、周りに」って思い始めたな。ちょうど仕事変えようとしてた時期やってん。でもさ、今みたいに転職サイトとかあったわけとちゃうし、親に聞けるような関係でもなかったから、まず何から始めればいいのかっ

          「二十歳の頃」№12 母にきく