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名前と生きづらさ(1)一人称の呼称と立場主義

言葉による立場主義の継承

日本は立場主義と言われます。自分の立場と相手の立場の相対関係が大事。その関係で言葉遣いを変えるのが日本。年齢による上下関係に厳格といわれる韓国も立場主義ですが、年齢以外の要素が多くて広範なのが日本です。

例えば一人称。
僕、俺、私、あたし、おいら、うち…
日本語では一人称の呼称が多いです。

私と僕の違いに性差があるならば、性別の横軸がある。
僕が俺よりへりくだる表現ならば、地位の縦軸がある。

この地位ってやつの定義がはっきりしないからとても厄介。マウントしたい人は年齢や役職で偉ぶったりします。逆に何者でもない人同士で、果てしなくへりくだり合戦したりすることもあり、いずれにせよ神経を使います。

この神経を使う探り合いにエネルギーをとても取られるのが日本語。
話の本質を共有することよりも大事なことが立場をわきまえること。
年長者を敬うことは大事。だけど広範な立場主義は辞めたいですね。

辞められない止まらない壁

広範な立場主義には「内」と「外」を分断する壁があって、「内」を更に「上」と「下」で分断する壁があります。すなわち「上」「下」「外」の3つのどこに、自分や他者が属するか区別する、それが日本の立場主義。

そうして上・下・外で区別する習慣が日本人に染み付いています。そして、この習慣が、日本人からエネルギーを奪って産業の生産性を低くしたり、社会の生きづらさになったり、いろんな問題を起こしています。

この壁を壊したい。壁を廃したフラットな社会を構築したい。
それにはどうしたらいいか?まずは自分の言葉遣いから変えてみる。

  • 基本的に年令を問わず出来る限り敬語で接する。

  • 年下だから敬語は使わない、という固定観念を捨てる。

  • 年上だから敬語、と凝り固まっている人にはカジュアルに話す。

立場主義の壁を無くしたい。まずは出来るところから始めます。前述した一人称の性差も言葉の流通を変えれば、新しい文化を作れないだろうか。

効き目は細やかだけど、言葉の力を信じてる。


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