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社会的認知の歪み(6)前頭前野

自分は脳科学も脳生理学も専門外ですが、なぜか20代前半の頃から脳に関する書物を定期的に読んだりして、常に「脳」に関心があります。そんな私がなんとなく信じていること、それは「脳を使うほど幸せになる」です。

脳は前から壊れる!?

いま読んでいる本のひとつがこちらです。(先に言います。オススメです)

著者の瀧靖之先生は、東北大学加齢医学研究所に所属する脳医学者です。書物の前書き(はじめに)によりますと、この研究所には5歳〜80歳超の脳のMRI画像が大量に蓄積されていますが、このような組織は世界有数で、日本では同研究所が唯一のようです。表紙では”16万人の脳画像を見てきた…”と謳っていますが、もちろん見るだけではなく「遺伝子情報」「認知力」「生活習慣」と照らし合わせて、「どのような体質の人が、どのような暮らしをすると、どのような病気になりやすいのか」が見えてきたとのこと。

既にこの時点で興味が湧きますが、読み進めてみるとこれが面白い。脳に関して私達は色々な理解をしていますが、それがひとつひとつ誤解であると解説されて、さらに50歳を超えた私ですら「まだまだ成長できる」と希望を得られるような本なのです。そこには科学的な忠告も含まれます。

例えば、脳は「後ろから発達し、前から壊れる」ということ。

どういうことかと言うと、生まれて間もない赤ちゃんは視覚も聴覚も発達していませんが、数年かけてその感覚を得ていくと、脳の後ろの方にある「後頭葉」や「側頭葉」が発達していくとのこと。次に、身体運動の感覚が発達して「頭頂葉」の「感覚野」や「運動野」が発達する。そして、人間の特徴である社会性を身につけると「前頭葉」の「前頭前野」が発達していくようです。これが発達の順序で、物理的に脳の後ろから発達していきます。

逆に前から壊れるとどうなるか。「前頭前野」の機能が衰えます。わかりやすく言うと認知機能の衰え。いわゆる”認知症”。感情のコントロールが困難になったり、未来の予測が困難になって怯えやすくなるのもそのせい。俗な言葉では”赤ちゃん返り”とか、心理学で”退行欲求”いう言葉を聞きますが、まさに脳自体が出生時の方向に”退行”しているとは驚きました。

日本人は前頭葉を使わない!?

この見識は別の記事でも拝見できました。(書物はまだ読んでいません)

中野信子さんも和田秀樹さんも難しいことを分かりやすく伝える有識者。その2人の共著の宣伝で着地する提灯記事ですが、本はまだ読んでいません。

こちらの記事でも「前頭葉から老化する」と触れています。
さらには日本人は前例踏襲型で”前頭葉を使わない”と!
権威を尊ぶ封建主義や、”〜してもらう”が当たり前のパターナリズムでは、前頭葉は使わず発達が遅れるのですね!せっかく人間らしい脳なのに…

日本人に臆病が多いのは「セロトニントランスポーター遺伝子のS型保持者が多いから」と思っていましたが、生活習慣で前頭前野の発達が遅れるように、もしや生活習慣でセロトニントランスポーター遺伝子のS型が活発になるのかな?調べてみよう。ショッキングですがとてもタメになりました。

きっとこちらの本も読むでしょう。私自身、先に紹介した瀧靖之先生の書物から得た学びと合わせて、生活習慣を改善していこうと思います。

道徳発達段階と前頭前野発達の関係

前号まで伝えてきた社会的認知ですが、これは前頭前野の働きだとわかりました。そして前頭前野の発達は、道徳的発達理論(コールバーグ)の発達段階と、社会的視点獲得(セルマン)の発達段階が関連しているようです。

道徳的判断力を高める道徳の授業の展開 ― 問題解決的な学習における発問の工夫を通して
(広島県三次市立十日市小学校 青山 裕美先生)

この表では発達につれてステージが1段階上がります(表の行は下降)。表には記されていませんが、ステージ1と2を前慣習的水準、ステージ3と4を慣習的水準、ステージ5と6を後慣習的水準と分類されます。

私は個人的にステージ4は社会人2年目まで、ステージ5が一般的な社会人、ステージ6が管理職や経営者に求められる段階で、基本的に社会人は自律的だと理解しています。逆に、前号で伝えた「上下関係で社会が成り立っている」という歪んだ認知はステージ1〜3の段階の他律的な状態。つまり認知が幼稚だと理解しています。

とはいえ、完全無欠にそのステージに留まることは(にんげんだもの)困難です。時々、感情が自分の道徳段階、他者視点のレベルを押し下げてしまうこともあります。だからこそ、大事なのは自分の感情を客観的に評価することが必要で、その評価にこの表はとても役立ちます。

カントは自著の実践理論批判で「道徳法則」をこう説いています。

「汝の意志の格率が常に同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ」

実践理論批判(カント)

かく‐りつ【格率/格律】
世間で広く認められている行為の基準。また、それを簡潔に表した言葉。格言金言処世訓
《〈ドイツ〉Maxime》カント哲学で、行為の普遍的な道徳法則に対して、主観的にのみ妥当する実践的原則(規則)。

出典:小学館 デジタル大辞泉

カントの言う格率は、まさに道徳発達段階における判断基準のこと。程度が低くても高くても、その人の行為を裏付ける主観的な法則。つまりカントは「いつでも、どこでも、誰にでも適用できうる原則を持ちなさい。それが道徳です」と説いているのです。それには時空間を広げて社会を見る。そう、前頭前野の出番です。

先に紹介した本を読んで、加齢によってシナプスの切れる量が増すけれど、いくつになってもシナプスを繋げられるようなので、いくつになっても年相応に脳は成長できると希望を得ることが出来ました。

未知を恐れず積極的に想像するよう生活習慣を変えて、前頭前野を成長できれば、認知症の発症を遅らせたり、孤独感や不幸感を減らしたりすることができそうです。さらには「社会的認知が歪んだ脳」も”更正”できるかもね。(脳の物理的な疾患や損傷で神経伝達が困難な方は、どうぞ無理なさらず)

高次元で社会を見る習慣をつけて幸せになりましょう。身体はあと数十年の命だけれど、精神は永遠の旅にでます。過去と未来を繋ぐ旅の始まりです。


<参考文献>

役割(視点)取得能力に関する研究のレビュー ―道徳性発達理論と多次元共感理論からの検討― 本間 優子 ・内山伊知郎(core.ac.uk) Niigata Regional Repository

道徳的判断力を高める道徳の授業の展開 ― 問題解決的な学習における発問の工夫を通して ― 広島県三次市立十日市小学校 青山 裕美

100年前に鉄道工事の発破作業で前頭葉を損傷したフィニアス・ゲージの話(社会的行動にも影響?―脳の損傷と心の不思議な関係@じんぶん堂)


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