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バンドがやりたい会社員

10月。夏の暑さがいつのまにかなくなり、朝晩の肌寒さを感じる頃合い。
僕は前回の記事「バンドがやりたい大学生③」を「続く」と書いて締めてから、季節がふたつほど通り過ぎそうなことに気づく。

今までの記事では学生という立場でどのようにバンド活動を進めてきたかについて書いてきた。楽しかった出来事を思い返してずいぶんと話が長くなった。なんとなく学生生活を消化しているうちに運良く就職できたけど、それ以降で何か記事にするほど楽しいことってあっただろうか...。そんなことを考えているうち、タイトルを書いた下書きを保存して以降全く筆が進まないまま時間が過ぎてしまった。

しかし今までの記事を読み返してみると僕の学生での取り組みは、まだまだバンドとしてはスタートライン付近じゃないかということに気づいた。これからは大学を卒業してからのことを思い返していきたい。

(という書き出しのまままたも筆が止まり、気づけば大晦日になっていた)

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2012年春、「Die Communications(ダイコミ)」のメンバーは、日本全国バラバラに散らばっていった。あつきは年下だから京都で学生を続けていたが、松岡は会社員として愛知の豊橋に赴任、コンくんは地元・秋田に戻り先生を目指すことが決まっていた。

それでも誰ももうバンドできないなとかそんなことを言い出すメンバーはいなかった。それを行動で示すかのごとく卒業後の5月連休中、いきなりコンくんは秋田からボンバルディア機に乗って京都まで練習しにやってきていた。

そのなかでなんとなく地に足がついていないまま会社員生活をスタートしていたのが僕だった。僕の就職した会社は入社して2ヶ月ほど大阪にある本社で研修をおこなったのちに赴任地が決まる流れだった。とはいえ本社が大阪の会社だし、なにより僕は京都を離れたくないから社名に「大阪」と入っている会社に就職した。なんだかんだで、当分実家暮らしで会社員をやりながらバンドをやれるだろうと思っていた。

しかしそんな思いも虚しく、入社研修が終わった5月末、僕は2週間後広島に行くことになっていた。

申し訳ないような気持ちでそれをバンドのグループLINEに報告したが、メンバーの誰も僕が広島に引っ越してしまうことについて特段の反応をすることがなかった。

それもそうか、すでに秋田に住んでる人からしたら京都と広島の距離感なんて犬の散歩コースくらいのものに思えただろう。

でも僕が広島に引っ越したことはバンドにとって悪いことではなかった。
我々が所属するFixing A Holeのオーナー同道さんが広島在住だったからである。

僕はそれが非常に心強い思いであったし、非常に居心地よく広島での生活をスタートさせることができた。


こうしてダイコミは北日本支部、中日本支部、西日本支部をかまえる形でスタートを切った。

早速ライブが決まった。2012年8月、Fixing A Holeがイギリスから招聘したProtectorsの来日ライブ名古屋編。対バンはProtectorsの他、Angry Nerd、egotrunk、そしてNavel。

学生時代に夢中で作品を聴き、ライブに足を運んでいた、そんなそうそうたるバンドばかりだった。

そんななかに混ぜてもらって下手なライブはできない!週末京都に集まって練習や!となるところだったが、ひとつ大きな問題が発生していた。

フロントマン松岡の休みが平日だった。

彼は営業マンとして豊橋に赴任して以来、日々自転車で訪問営業に駆けずり回っていた。契約がとれないものには平日の定休をとることにすら冷たい視線が向けられ、社屋から飛び降りることを要求されるのだ(という想像をしていた)。

僕もたしかに営業マンではあるのだけど、まるで住む世界が違うことに震えた。もちろん彼の会社には有給休暇という概念はなかった。そもそも彼は入社する会社が平日休みであることに、入社するまで気づいていなかったそうだ。

結局ライブが決まってから4人集まって練習ができるのはライブ前日だという結論になり、以後も僕たちは各地で個人練習にとりくみ、ライブ前日や当日に全体で練習をして仕上げる(仕上がるとは言っていない)というのが定番となった。

結局ライブは毎回勢いと気合いでまとめるような感じとなる。

このようなスタイルでやることにメンバー全員が納得できたのは、メンバー同士の仲が良いところも一因としてあったと思う。そしてそれをよしとしてくれるFixing A Hole同道さんの存在もとても大きく、前日のProtectors以外にも国内外のさまざまなバンドと共演する機会を与えてもらった。


ダイコミは今でもそうだが、ライブの本数が極端に少ない割に曲ができるスピードだけは早い。

前回の記事で触れたミニアルバム「My Risk, Our Returns」を2012年6月にリリースするのだけど、もうその頃には次の作品に向けて話を始めていたと思う。それがイギリスのバンドSouthpawとのスプリットEPだった。

しかし前述したようにメンバーが各地に点在していること、休みを合わせづらいことがあり、京都に集まって短期集中でレコーディングを敢行することになった。

それが8年前、2012年の大晦日だった。

年末で当然休みのスタジオハナマウイに無理を言ってスタジオを開けてもらい、またも自前の機材を持ち込み大晦日の昼ごろからレコーディングを始める。

なかなか全員で練習する機会をとれないこともあってか難航しつつレコーディングは進むが、ボーカルを録り終えるころにはもう年が明けてしまっていた。ひたすら松岡のシャウトを聴きながら迎える新年ももはや悪くない…そう感じながら少し油断した僕(MTR操作担当)は過ちを犯す。

バスドラムのトラックに、松岡の歌を上書きしていたのだ。

僕は半泣きになりながら、ヒザを叩いてリズムを取りながら、バスドラムのペダルを踏み続けて消してしまったバスドラムだけを録音し直した。
1年のスタートのこの時に、間違って消してしまったバスドラムだけを録音している愚か者は銀河中探しても僕だけだっただろう。

※指にケガをしている手負いの兵士が僕です

でもその数年後、Southpawと共演させてもらえたときに彼らがやっと一緒にやれたことを喜んでくれたことで、その苦しみも報われた気がした。

このような悲劇を教訓に、2014年にはちゃんとエンジニアにレコーディングしてもらって、11曲入りアルバム「Dialog In The Life」を完成させることができた。1年かかったけど、自分が参加したバンドの作品がレコードショップに並んでいる、しかもいわゆるフルアルバム。感動は今まで以上だった。お母さんにも自慢した。

ちなみにこの頃にはコンくんも先生になるめどがたったため愛知県に引っ越し、遠距離具合のインパクトは薄まったが、以前より活動しやすくなっていった。

※HeadsparksとのスプリットEP

※最新作のミニアルバム「The World Is Beautiful Complex」

活動しやすくなったと簡単に言っているが、その裏で松岡は土日にライブするために休んでも文句を言われないよう、毎日深夜まで死に物狂いで仕事にあたってくれていることを我々は忘れてはならない。

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一方、高校の友人4人組のPastwalkerは2012年2月の足利でのライブを最後に、メンバー同士で顔を合わせることもなく活動休止状態となっていた。

もともと1番やりたがりである自分の環境が変わっただけでなく、ベースの多々良が仙台に赴任したり、メンバー同士の休みもバラバラだったりと、ダイコミと同じような状況に陥ったのもある。でもせっかくいい曲ができて少しまわりに認知されてきたタイミングでメンバーの誰からも音沙汰がなくなってしまったことに、僕が勝手に拗ねてたのもあったと思う。それを感じるのがつらくて僕は一時期メンバー全員のツイッターのフォローを外した(のちに全員再度フォローしました。みんなごめんね)。

そんな状態が2年ほど続いて、僕はとあるイベントへの出演をメンバーに打診した。僕と妻の結婚パーティーだ。

メンバーなども含めて80人くらいの友達を呼ぶので、今までやってきたライブハウスよりもたくさんの人がいる場だ。アコースティックセットではあったけど、自己顕示欲承認欲求高杉晋作こと僕にとってはこれ以上ないチャンスだ。

リードギターの西川はどうしても仕事が休めず不参加だったが、涼ちゃんと多々良は協力してくれて2曲だけ演奏した。観ている人も温かい目で見守ってくれて、とても楽しかった(立て続けにダイコミも2曲やったけどさすがにオーディエンスの目がうつろでした)。

その場が楽しかったのも嬉しかったけど、それよりもやっぱりみんなバンドやりたいんじゃんと思えたことが1番嬉しかった。

僕たちは2014年7月に自主企画をおこなうことに決めた。
招聘したのは栃木足利のThe Camerons、長野のSPRINGWATER、大阪のNOFOOT、そして当時THE ANTSが活動休止となりソロ活動をしていたhide-a-king氏。場所は京都のリンキィディンクスタジオだった。

こんなバンドだけどライブを告知すると復活を喜んでくれる人がいたり、当日も遠くから観に来てくれる人がいたり、本当に嬉しかった。

この日に呼んだバンドはほとんど初対面(そもそも初対面でない人たちがほとんどいなかった)だったけど、快く受け入れてくれた。

※キャメロンズまたやってほしいな

ライブ後の打ち上げでは、この日長野から来てくれたパンクフリークのイデ氏を巻き込んでSPRINGWATERとNOFOOTとPastwalkerの3バンドでスプリットを出そうと言う話になった。イデ氏はこのためにCat Wreck Chordsというきわどい名前のレーベルを立ち上げそれを実現してくれた。

またそのライブの日にhide-a-king氏から「今度ディストロ(個人のCD屋さん的なやつ)を始めたいからCD取り扱わせてほしい」と言ってもらえたのも印象深い。のちに日本でも指折りのディストロとなる、「HOLIDAY! RECORDS」で1番最初に販売されたのが我々のデモCDである(諸説あるかもしれません)。

それに気をよくしたPastwalker(主に僕)は毎年なにかしらのライブイベントを開催した。

フロントマンの涼ちゃんはある程度休みの都合がつきやすい仕事に転職して、多少活動しやすいかたちにはなっていた。土日の休みが取れないリードギター西川と、仙台(現在は東京)在住の多々良もなんとか都合をつけて参加してくれた。

ライブイベントを企画するのについて、そもそも知り合いのバンドが少ないので、会ったことがないバンドにいきなり連絡するケースが多いのだけど、そんな怪しい誘いに乗ってくれたことでいろんなバンドと知り合うことができたことに感謝している。

毎年のライブが印象深いのだけど、特に2018年の自主企画はNUDGE'EM ALL、GUARDMAN、chelsea timesという大好きすぎるバンドを招聘することができて、この日ほどバンドを続けててよかったと思った日はなかった。

※ライブ後1年くらいたってから、フライヤーのナッヂのつづりを間違えていることに気づき少し悲しくなった

しかしこれくらいの時期からもともと多忙な西川と東京の多々良の仕事がより多忙になりバンド自体への参加が難しくなってきていた。
なんとかこの日のライブは4人でやれたが、ライブが終わるとすぐに帰っていくくらいの多忙具合だった。

そんな状況ではあったけど、Pastwalker(主に僕)には大きな目標があった。
それはフルアルバム作品をつくること。

前回の記事で、不本意なレコーディングに耐えて制作したデモCDについて話をしたが、自分たちが納得して楽しめる作品が欲しかった。

2019年の夏、僕はひとりでドラムのレコーディングを始めた。
相談の結果弦楽器は全て涼ちゃんが演奏することとなり、ひたすら2人でスタジオに籠ることになった。いろいろあったので中略になるが、1年半をかけてようやくアルバム「Reflections」を完成させることができた。

※聴いてみてください。


そんな形でアルバムは完成したが、前述のように今のPastwalkerはもともとのメンバーが活動に参加することが難しい状態になっている。でもPastwalkerでは参加できないメンバーから脱退の申告でもされない限り、それを突きつけることはしないだろう。もともとが友達ってとこから始まってるバンドだから。そんな参加できない2人の代打は今は友達のホマテロやワイ蔵くんがしてくれる体制になっている。

これは当然バンドごとに意向が違って、決まった4人でないとダメだから脱退、あるいは解散ってバンドも多いと思う。ダイコミなんて僕以外のメンバーはプレイスタイルがなかなか特殊だったりするので、そんなバンドの典型だろう。対してPastwalkerに関しては、言い方が悪いけどやれるメンバーでやれたらいいなくらいのスタンスで考えている。

仮に僕がバンドに参加できない状態になってもなんらかの方法で曲を発信してほしい。それくらい僕はPastwalkerの曲が好きだから、ソングライターのモチベーションが続く限りは、発信を絶やしてほしくないという思いがある(ダイコミの曲も当然好きだよ)。

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さて、就職してもうすぐ9年くらい経つのだけど、会社員バンドがずっと安定してバンド活動をしていくことの難しさをずーっと継続して感じている。

仕事が忙しくてそれどころじゃない状態になることもあるだろうし、僕に関しては言えばいきなり海外に飛ばされる可能性だってある。

でもやっぱりそれぞれ守らないといけないものがバンド以外にいろいろあって、そのなかでみんな仕事してる。それとここには書いてこなかったけど、バンド活動している間は、妻や子供は家で我慢して待ってくれている。そんな家族と過ごす時間だって大切だ。

そういう自分が置かれた環境のなかで、なんとか作った時間のなかでつくる演奏や作品が誰かの心を動かすことができると思うし、現に僕はほかのそのような人たちに心を動かされてきたと思う。

今年はバンドやそれ以外にもなにかと楽しみを制約せざるを得ない世の中になってしまった。ダイコミもPastwalkerも、楽しみにしていたライブは中止となり、今年はライブをやることが叶わなかった。まだ自分たちとしてはライブを再開できる感じではなく、当然予定も立てられないし来年もまだまだ安心してやれるようにはならないのではと考えてしまう。

そんななかでもスタジオで練習したり、曲を作ったり、レコーディングしたり、作品のデザインを考えたりしているとやっぱり楽しい。スタジオでメンバー同士バンドのことを話しているときには、普通の友達と喋ってるときには得られないワクワク感を感じる。

バンドを組んだ瞬間に夢が叶ってるっていう誰かの言葉がとても的を得ているなと思う。

今後も自分たちができるペースで活動していくと思うのでよろしくお願いします。散文にお付き合いいただきありがとうございました。

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