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自由律俳句とわたしと

少し前に「伊集院光とらじおと」という番組があった。平日の午前中を彩るAMラジオ番組だ。
あるとき、番組のコーナーでリスナーの自由律俳句を募集していたので、わたしは、何の気なしに応募した。数年前のことだった。

何の気なしにと書いたが、嘘である。やる気満々であった。
自分の考えた短くておいしい言葉が注目を浴びることほど気持ちいいことはない。Twitterをしている人なら分かってくれると思う。

練りに練ったと言うほどではないが、少し狙った自由律俳句を作って投稿した。なかなかな自信作だったが、結果は不採用だった。当然だろう。ラジオ番組には何千もの投稿が集まる。まあしょうがないかと思った。作の出来不出来より、運の要素も大きいだろう。

それから当該番組を聴いたり聞かなかったりしていた。
あるとき郵便受けに、ラジオ局からの封筒が届いていた。何かの懸賞に当たったのかなと思いながら開封すると、シールが数枚と便せんが入っていた。そのシールと便せんはその後の引っ越しでどこかにしまい込んで行方不明なのだが、かんたんにいうと貴方の自由律俳句が採用されましたよ、的なことが書いてあった。

いくつも投稿したし、何より放送当日のラジオを聞いていないのでどのように読まれたのか、何が読まれたのか分からない。
ある筋から、番組の録音をきいて、やっと、どの句が採用されたのかが分かった。

その番組の録音は、大分長い間、わたしの自意識を楽しく満たしてくれた。

それから数ヶ月か数年か。
あるとき仕事中にわたしの電話が鳴った。わたしは電話に関する勘が鋭い方で、鳴る前に分かったり、出るべきか無視するべきか分かったりする。
最近では「執筆中は出ないんです」と言い張って、極力どんな電話にも出す、後でコールバックするようにしているけれど、その時は、何かピンときた。

「もしもし……?」
「もしもし!TBSラジオプロデューサーの◎◎です」
出た。ほら、ビンゴ。
なんだろう、番組出演の依頼だったら嬉しいな、と一瞬考えた。零細とは言え、わたしも一応書籍を書いている著者である、可能性はゼロではない。しかし当然ながら、零細ライターに巨大メディアが注目するなどという奇跡はなかった。
違う種類の僥倖であった。

「自由律俳句のコーナーが本になることになりまして」
「ほん? ホントですか」(ダジャレではない)
「つきましては曽田照子さんが投稿された句の掲載許可を頂きたく」
「もちろんです。どんどん使ってください!」
「ありがとうございます、では……」
「あ、出版社はどこですか? 発売時期は?」
「小学館から、来年春です」
「わかりました!」

というわけで、本に載りましたよ。伊集院光さんのコメントもうれしいもので、なんというかね、ありがとうございます以外の言葉が見つかりません。

で、どんな句を書いたのか、ですが……
わたしが書いたとは言え、権利関係を考えると本の1pをそのまま撮影して掲載するのははばかられます。
ぜひ本書を手に取って確かめてください。16ページです。


(ここまで30分)

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