見出し画像

【20年の軌跡-Vol.05】20年前、学校教員を志した大学生はNPOに活路を見出す。目指す「これからの若者支援」とは #SDN20

育て上げネットの歩みを紹介する企画「20年の軌跡」。
5回目は、子ども・若者・保護者むけの支援事業を担当する執行役員の山本賢司。育て上げネットをご存知の方はもちろん、若者支援やNPOについて理解を深めてみたい方、将来を模索する若者もぜひご覧ください!

これまでの記事はこちら
育て上げネットにきた経緯や団体内で携わった事業について語ります。

山本 賢司(やまもと けんじ)
育て上げネット執行役員。1977年生まれ。2001年3月法政大学社会学部卒業。大学在学中に関わっていたNPOで「放課後の居場所」としての学習塾や、不登校経験のある子ども達の中間的就労の場づくりなどに取り組む。2004年から育て上げネットを手伝い始め、2005年に入職。各種支援事業(自主・公共)のマネージメントを担当した後、企画・広報、企業連携や他団体連携事業を担当するなどして、現在に至る。


【教員志望の人生を変えた恩師の言葉】

・大学時代の葛藤

――NPO歴20年以上と聞きました

大学5年目(笑)から、子どもの居場所を提供するNPOに関わらせてもらいました。

私塾からスタートした団体で、NPOとしては不登校の子ども達の支援をメインにしていましたが、僕は学校に通う子ども達の「放課後の居場所としての塾」の方で働きながら、NPOとしての活動にも関わらせていただく形でした。

――学生時代からNPOに関わっていたのですね

大学の恩師がそこの代表と縁があって。
僕はもともと教員志望でしたが、ふとした違和感から自分探しの沼にハマり、休学して一年農村留学させてもらったりしていたのを面白がってくれたのか、危なっかしくて放っておけないからと手を差し伸べていただいたのか…どっちでしょうね(笑)

――教員になることへの「違和感」というのは? 

僕は中高と学校過剰適応型でした。学校があまりにも楽しいから、ごく自然な流れで学校の先生になろうと思いました。

ところが大学の恩師に「あなたみたいな人間がそのまま教師になるなんて私はイヤだね」と言われまして(笑) 
その時は(この人なんなんだ!?)と思いましたが、今はすごく納得感があって、言ってもらって良かったなと思います。

大学時代

頭でっかちで世間知らずで学校や教育に疑いのカケラも持たないまま先生になるのは良くないと、そんな意味だったのでしょう。

実際、僕はそれまで教師になることを疑わなかったんです。
でも、この一言から「違うのかも?」と疑いはじめた途端に、どうしていいかわからなくなりました。それがある種の当事者経験といえば当事者経験なんですよね、自分なりの。

これからどうやって生きていこうかと、初めて真剣に考えました。
そこで、大学3年から4年にあがるときに一年休学して、農村留学を経験しました。 

農村留学時代の様子

――なぜ農村留学?

所属していたゼミは、フィールドワークが頻繁にありました。
合宿で出掛けた長野の農家の方の話がすごくおもしろくて、そういう方々の所に身をおいてみたら何かが見えるかも……という漠然とした期待を抱きました。

 ――農村で過ごしてどうでしたか?

 1年間住み込みさせていただき、農作業はもちろん、味噌づくりや薪割りなど、それまでやったことがないことを沢山させてもらいました。
だけど、もともと明確な目的があったわけでもなく、「そうしたら何か変わるかも」という勢いに任せた選択だったので、 自分の直感のおもむくままに“ちょっと変わったことをした”ということ自体が財産かなと。

寄り道を許してくれた親には、今でも…というか、自分も子育てをしている今だからこそ、「あのときはありがとう」と伝えるようにしています(笑)。

――大学生活がターニングポイントなのですね

僕はそのとき置かれた環境に適応しようとする性質があります。
中高までは学校という制度に適応したのでしょう。
結果的にいろんなことをバランス良くこなすことが強化されました。

そのことでチヤホヤもされるので、当時はそういう自分に対する自己肯定感を覚える無邪気さもあったと思います。
小・中・高と生徒会長やってますし。これってわりとイヤな奴ですよね(笑)

今となっては当時の無邪気な自分がちょっと恥ずかしい…

そんなこんなで高校までで世の中のことを知った気になって大学に入ったら、評価基準が全然違う人がそこにいました。特にゼミですね。

学部唯一の教育系ゼミということで僕と似た感じで、学校大好きな教師志望の人もいっぱいいたけど、「それって本当なの?」「どうして?」という感じで議論させていく。

ちゃんと考えて学校大好きと言ってるのか、考えないで学校大好き・教師になりたいと言っているのか、そういうのって違うよね、と。

熟考させられる雰囲気がそのゼミにはありました。
そういう刺激を受けながら農村留学を選択しました…と言えるとイイ話になりそうなんですが、正直そうとも言い切れず。

…というのも、僕は「そのコミュニティで評価を得ようとする性質」があるので、当時は自覚ありませんでしたが、農村留学するくらい振り切ったことをしたらウケると考えたのかもしれない…と思うからです。そう考えるとたいした信念からの行動ではないかもしれない(笑)

当時は当時で真剣でしたし、そのあたりの選択が今につながってくるわけですから、人生って面白いなとも思います。

・新卒でNPOへ

――学校の先生は選択肢から消えた?

表向きは教職をめざす素振りをしていましたけど、教員採用試験を受けてもいませんでした。ダメ学生だったので卒業年次まで必修を含めて単位めいっぱい履修していたこともありましたし、なにより、気持ち的に中途半端な感じで。

そんなタイミングで、恩師経由で知り合ったNPOに誘われました。そのNPOの代表のお子さんが学部違いの先輩でもあったんですよね。なので最初は気楽にアルバイトのつもりでしたが、進路も決まってなかったので、そのままアルバイトを続けさせていただきました。

このご縁がなければ「大卒だって無職になる」ですね(笑)

前職時代

水が合ったのでしょうね。結局5年続けました。

そこでは人に関わる仕事の基本を学ばせてもらいました。たくさん失敗して迷惑もかけましたが、好きなことを好きなようにさせてもらえる恵まれた環境だったと思います。

 ――モチベーションは続いたんですね

どこかで機会があれば教師になろうかなと思ってました。そのときに、不登校の子や地域の子どもたちと関わっていたことは財産になるだろうと思いました。  

――現在も学習支援に携わっていると聞いています

そうですね。支援員としてではないですが、グルッと一回りして戻ってきた感はありますね。育て上げネットで“若者支援”“就労支援”を一通りやった結果、また子ども期の支援にも関わるとは思いませんでした。

――教師にならなかった自分をどう振り返りますか?

こんなこと言うとインタビューにならないですが…

僕たぶん、子どもが好きではなく、そういう働きかけをしている自分が好きなんだと思います。もちろん、子どもたちの変化や成長、思いもかけない言葉にはすごく感動するんですよ。

けど、そういうことに関わることができた自分が好きだからこそ…みたいな。結構そういう「他人を通した自己承認」みたいな欲求もあるんじゃないかな。この欲求が変な方向に向くとなんかヤバい気はしますけど(笑)

 ――記憶に残っているエピソードはありますか?

今ならもっと良い関わりができたかもなぁ…という子はいます。

最近になって業界の先輩が「困った子は困っている子」という表現をされているのを聞いたのですが、当時、困ったなぁ…という意味で「個性的だなぁ…」と感じていた子ども達には、きっとこういう背景や特性があったからなのかもな…と、今なら想像できます。

あとは、サマーキャンプなどの総合学習は強烈に印象に残っています。

中学3年生がサマーキャンプの実行委員になるのですが、中3の夏休みに実行委員になるって相当大変なこと。サマーキャンプ中には自分達の総合学習もあるし、毎日作文も書くし、スタッフも意図して葛藤させるために「実行委員としてそれでいいのか」みたいにすごい問いかけるんですよ。「君たちはそれで楽しいと思うけど他の学年はどうなの?」とか。

最初の頃は「中3でこういうことにエネルギーを割いてる意味ワカラン…」と感じていたのですが、一緒に働いていた先輩に言われてなるほどと思ったのは、「人格的に成長すれば成績も伸びると俺は思ってる」という言葉でして。

「なんで中3の夏休みにガリガリ勉強させるのではなく、キャンプに全力投球させるんでしょうね?」というちょっとした会話から始まって。
「だって、これをやりきったやつらとそうじゃないやつら、このあと全然違うもん」と。実はその先輩もこの塾の出身者で、結構な難関校に行った人なんです。

曰く「勉強は自分でやるかやらないかがとても大きい。それにあたって、よしやるぞという、そこの成長がなかったら成績だって伸びない」と。

僕自身も思い当たるふしがあり、心に残っている言葉です。

【育て上げネットの屋台骨】

・テレビ番組をきっかけに接近

――育て上げネットに転職するきっかけは? 

「教員じゃないのかも」となってからずっと「働くって何だろう?」と考えていました。どう生きていったら良いのか?どう働いたらよいのか?とか。
卒論もそんな感じで青臭いことを書いたけど、結局よくわからなくて。

先生になるという進路はない。でもサラリーマンと呼ばれるものになるのはなんかイヤだったし、公務員もなんか違うし。結果、ご縁をいただきNPOに関わらせていただくようになりましたが、そのあとも自分の中で「働く」ことはテーマとしてあり続けました。

前職の代表も
「“働く”を考えるときに、大きく言えば会社員か公務員くらいしか選択肢がない。あとは自分で何かやるかになる。そうではなくて、もっと色んな生き方ができる社会にできたらいいのに」
みたいなことをずっと言ってました。

――多くの子ども支援団体が抱える課題だと思います

そうかもしれないですね。3~5年くらい経つと、小・中学生の頃から関わってきた子たちがアルバイトしてみたい…となるのですが、うまくいかない子は本当にうまくいかなくて。

そもそもバイトに受からない。受かっても続けられない。「働く」への移行で苦労することってあるのだなと思いました。

自分自身も違う形で「働く」に移行する苦労をしたので、他人事ではありませんでした。自分は偶然「塾の先生」みたいなことをさせてもらっているけど、本当にたまたまそうなっているだけだしな……みたいな。

当時、前職の代表や大学時代の恩師は、この「学ぶ」から「働く」への移行における課題を「School to Work」という言い方をしていて。

"to" の部分が難しくて手助けが必要な子の存在を認識するようになりました。

――「School to Work」、新しいキーワードですね

界隈では昔からある概念と言葉のようですが、僕自身がこの言葉を意識して、自分の課題として本格的に向き合わないと…と思い始めたのが2003年頃。何年か続けて余裕が出てきたこともあると思います。

NPOとしても不登校の子ども達が「学びながら働き、働きながら学ぶことができる中間就労の場づくり」を進めていて、僕は塾部門の仕事をしながら、その取り組みの事務局仕事の手伝いもしていて…というころ、東大の玄田有史先生が『ニート』を出版されました。

「きたきたこれこれ、まさにこれー!」と思いながら読んでおもしろいなーと感じました。そこが記憶に残ってる出会いですね。

 ――そういう出会いだったんですか

当時、育て上げネットは「ニート勉強会」というのをやっていて、僕も参加していたのですが、あるとき「立川で事業始めるんだけど一緒にやらない?」と声をかけてもらって、1ヶ月くらい並行して手伝いました。

前職の代表は「いいよ行ってきて」と言ってくれました。太っ腹でした。

もともとメインは塾部門の夕方からの仕事なので、朝から昼過ぎまで育て上げネット、そのあと塾の仕事、塾部門の仕事のあとにNPOとしての事務局の仕事…みたいな感じでやってたんですが、いま思えば、身体が無事だったのはどれも楽しかったからですね(笑)

もやもやと頭の中にずっと残っていた「School to Work」「働く」という課題。やってみて、これはいいなあと思いました。これが2004年です。

前職のNPOは新規事業の立ち上げも落ち着いたころ、区切りが良く、僕としても「働く」に注力してみたいなと思い、2005年に正式に入職しました。

なぜか創業メンバーだと思われることが多いのですが、2004年の法人化から1年後の入職なので、「創業メンバー」ではなく、あくまで「創業“期”メンバー」です。

――前のNPOに心残りは?

ないわけではないです。

前職の代表は「若いやつが非営利の世界で食っていけるように」と思ってくれて、高卒の初任給には届かないけど、やっていけなくはない給与をスタッフ全員に出してくれました。

25年前のNPOとしては、大胆な決断だったと思います。在職中はその代表の想いに応えられなかった申し訳なさみたいなものはあります。

ずっと「働く」ってどういうことかなと考えていて、この頃は「このままこのNPOで働くことがひとつの答えかもしれない」と思ってました。もう教員採用試験とかいいからこのままいけるところまでいってみよう、みたいな。

自慢ですが僕が辞めると聞いて泣いくれる生徒もいて、その子はホントに苦労した、でも思い入れのある生徒で、つられて僕も泣いちゃったりもしましたし。

・”ポリバレント”に、あちらこちらへ

――育て上げネットに転職してからはどんな仕事をされてたんですか?

入職当時

最初は若者向けの就労基礎訓練プログラム「ジョブトレ」の責任者をやらせてもらっていました。というか、当時はそれしか事業がありませんでしたね。

翌年、2006年に厚生労働省が「サポステ※」を始めて、育て上げネットも東京・立川と埼玉・川口の2カ所を受託することになり、その立ち上げにも関わりました。当時は全国20箇所くらいしかなくて、「埼玉よろしく」と言われて川口のサポステの所長をしていました。 

※地域若者サポートステーション(愛称:「サポステ」)。就労支援を行う厚生労働省委託の支援機関

 ――器用に立ち回っておられる印象です

そのへんは学校時代に鍛えられた財産かもしれないです。

1年後にサポステから戻ってきて、ジョブトレをやりながらいろんなことをさせてもらいました。法人としても行政からの委託事業に挑戦していた時期だったので、行政系の企画書を書きまくりました。

・若者支援団体が学習支援をする意味

 ――対象年齢を広げたのは理由がありますか?

法人としては「無業になる前にどうにかして会えないか」という問題意識は持っていました。ニートやひきこもり支援は対処療法的です。

自然と「予防」へと問題意識は移っていきます。その一つの形が主に高校生を対象にした金銭基礎教育プログラム「マネーコネクション®」ですね。

その後、2011年に僕とは違うスタッフが立川市の生活保護世帯の子どもを対象に「高松学習スペース」という事業を立ち上げました。学習スペースというのは一般の塾とは差別化することを意識してつけたものだそうで、これが現在の子ども・学習支援事業の原型です。

育て上げネットには早い段階から「マネーコネクション®」があって学校教育の現場には入っていたのですが、より深い形で「将来の自立に困りそうな子ども」とつながることができるようにしたいと考えて試行錯誤した結果だったと記憶しています。

――2023年現在、学習事業はどんなことを行なっているのでしょうか?

 子ども学習支援プロジェクトは3つ動いています。

・自主事業のまなびタス(小中高生対象)
・立川市から委託の学習支援(生活困窮世帯の中学生対象)
・東京都教育庁から委託の高校生支援


ですね。

委託事業は対象年齢などに制限があるので、利用条件にうまく当てはまらない子のためにも自主事業を持っています。例えば小学生年代だったり、私立高校の生徒だったりですね。

――自主事業は小学生も対象なんですね

多くはないですが利用いただいています。
いずれにしても、より早く出会っておく、ということが予防の観点で必要です。育て上げネットみたいな存在があることを想像すらしない方も結構いるんです。

サポステやジョブトレで出会う若者は、基本的に所属を失っていて、すでにブランク(履歴書の空白)ができています。できればブランクが無いうちに、あるいはブランクが短く済むうちに出会いたい。

このあたりが、「ぐるっと一回りして子ども支援に戻ってきた感覚」があるとはいえ、子ども期しか見えていなかった頃とは全く違うと思います。たぶんちゃんと進化/深化してます。しているはず(笑)

待ってるだけでは簡単に1、2年のブランクが生まれます。そのうち5年、10年と長期化してしまうことも……なので、そうなる前に、できるだけ早く出会えるつながりと受け皿をつくっていきたいです。

――やっていて難しさは感じますか? 

低年齢層、特に小学生は必要な関わり方が中高生とはまったく違うので難しいですね。

例えば教科学習をするときも、中学生の方が教えやすいです。
基礎の基礎から始まる小学生にわかるように伝えるのは全然違う筋肉を使う感じですし、まだまだ「何するかわからない」から目が離せない。

【これからの若者支援】

・目指す支援の理想

――支援に理想はありますか?

少し前から「ユースセンターのようなものが必要だ」とは考えていたんです。今はジョブトレやサポステのような、はっきりと「働く」に向かうサービスだけではニーズに応えられないと思っています。

「働く」の看板を掲げているから使ってくれる若者もいれば、逆もある。
実際、若者が抱える課題はどんどん複合化していて、支援に求められるゴールもシンプルに「働く」だけではなかったりします。

自治体の取り組みでいえば、2022年度から受託させていただいている大田区の若者サポートセンター(フラットおおた)みたいなものが時代のニーズを汲んでいるし、育て上げのやりたい事とも合致していると思う。実際に今まで会えなかったタイプの若者が集まってきていますし。

お金とか、しがらみを考えなければ、そういうユースセンター的な場が充実していくことが、子ども・若者にとってはいちばん良いのではないかと思っています。

勉強したい子はすればいいし、お腹がすいているなら食事もできて、家が居心地悪いならそこにいればいい。
学校にもちょっと……ってことなら1日中そこにいられる。

そこに行けば誰かが気にかけてくれて、少しずつ「働く」もそれ以外も含めて「次」につながっていくことができる。そんな居場所が理想ですね。

――長らく支援に携わってきた山本さんから見た子どもの変化は?

最近はあまり直接の支援には携わっていないことを前置きしたうえで…ですが、家庭環境を無視できない複雑なケースが増えてきたなと思います。

それは変化というか、昔からあったケースにやっと僕たちもつながることができるようになった…というだけなのだろうと思いますが…。

「無業」も複合的な理由があって陥るものだと昔から言われてますが、深刻さと複雑さが、近年は度を超えています。食べるものがない…という話や、家庭内暴力の話を年に何件もケース会議で聞く時代になるとは思いませんでした。

――リーチできるようになったことは良い変化なのでは?

良いことだと思います。でも、こちらの実力に伴わない状況でそういうケースとつながってしまうのは、本人たちにとっては不幸なことかもしれません。

「せっかく相談したのにたらい回しにあった…」というつらい言葉が支援界隈では聞かれることがあります。そうならないようにするには支援する側の知識や経験が必要です。

 ――変化の要因は何が考えられる?

全体としては時代だと思います。最近の公共政策も、より生活基盤そのものが危うい緊急性の高いところに注力していますよね。

マズローの欲求段階説にもあるように、「働く」や「学ぶ」は最低限の生活あってのこと。

コロナ禍でこの生活基盤の部分が急激に落ち込んでいったと思います。
育て上げが食糧配付のような生活支援領域もやるようになるとは思わなかったですが、子ども・若者が変わったわけではなく、社会が大きく変わったということだなと思います。

・「とりあえず」で行ける場所づくり

 ――今後の展望を聞かせてください 

既存のサービスには「困ってそうなので "とりあえず" つなぐ」ができる場所が少なくて、そういうのができたらいいなと思います。

就労支援は官民どちらも年々質も上がってるし対象が広がっている。

僕達の方が先にやっていましたけれど、ある公共の就職支援機関では、ひとり親が在宅でスキル形成ができるようにパソコンの貸し出しがあるトレーニングコースが実施していたりします。行政系の支援事業も時代に合わせて進化していますよね。

なので、その方の状況によっては「育て上げネットじゃなくてそっちに行った方がいいじゃん!」ということだってあります。

ただ、良いサービスがあっても、すぐ利用に至らない方もいるんですね。
使い始めるまでの準備期間が必要で、その段階さえ超えれば大丈夫だけど、そこがどうにもならないからこそ困っている方ですね。

――いきなり支援が始まらないんですね

関われるようになるまでが一番大変だと思います。
そうならないように…というひとつの取り組みとして、進路が決まらないまま高校を卒業してしまう子たちにサポステ登録してくださいとかのアナウンスをしています。

学校によってはサポステを進路先のひとつに数えてもらっています。
社会的に行方不明にさせないために、「とりあえず」のつながる先です。

育て上げネットは就労支援、学習支援、保護者支援など対象となる方の年齢や状況に応じた事業が展開されていますが、気になる子との接点ができたあと「とりあえずここ行ってみたら」という都合の良いつなぎ先が「夜のユースセンター」くらいしかないのが弱点だと思っていて。「とりあえず」でつながることができれば解決に近づくことも多いんじゃないかと思います。

また、そうやって生きづらさや困難を抱えている子ども・若者との出会いが増えると、次のつなぎ先がないときがあります。そういうときは自分たちでやると思うんです。NPOの役割として。

――無ければ作るのマインドが強い印象です

それが育て上げネットらしさだと思います。

この若者が次に進むにはこういうの必要なんだけどない。
外国にはあるけど日本にはない。
他県にはあるけど東京にはない。

そういういろんな「ない」がありますけど、今までもそうしてきたように、ひとりの若者が前に進むために必要なリソースや手法がないなら、ひとりのためにやってみるのが育て上げネットらしさだと思っています。

そして、育て上げネットとしてはこういうのをやりました、うまくいきました、だから他にやりませんか?政策に導入しませんか?と輪を拡げていく。

ある種ずっとそういうことをやっていますね。
意図する/しないにかかわらず、子ども・若者支援の起点であろうとしているというか。何かに困ってませんか、なんなら現時点で困り感がなくてもいいですよと。

予防であり対策。
人間、孤立が一番辛いです。

孤立無援になってしまうと、リーチが困難になり、とりあえずつながることそのものが難しくなってしまう。

――18年間育て上げネットですが、他に選択肢はなかった?

他にやってみたいこともありませんし、やるべきことは山盛りですし、ありがたいことに辞める理由もありませんでしたしね。

理事長(工藤)との相性はどうなんだろう。
たぶんタイプが違うのですが、少なくとも、それが自分には良いのだと思います。

僕自身はパイオニアタイプではないんです。
成長意欲もすごく低いので、必要にならないと頑張れません(笑)

でも理事長と一緒にいると、おもしろそうだな!と思いながら、いろいろなことにチャレンジできて、自然とストレッチがかかるようになる。そういうことでならこんな僕でも頑張れる。あくまで僕にとっては…ですが、それが良いなと。

もちろん、長くやっているので自分なりに「やりたい/やらねば」ということも出てきます。

例えば、いまの経営ボードの体制は定年などもあって、近い将来、必ず変化しないといけない。そのときを良い形で迎えて、また次の世代につなげられるように……とか考えながら人事制度のアップデートなどにも首を突っ込んでいます。

――これまでを振り返っていかがでしたか?

結果的に、職歴すべてNPOなんですよね。

なんならこのままNPO界隈だけで終わったら面白いかなと思ってます。
それでも子育てもできるよ、親の介護も自分の老後もなんとかなるよ…という感じで人生終わってみたい。

あ、でも、今なら学校の先生になってもおもしいかも…と思わなくもないですね。たぶんその方向には行かないし、行けないですが(笑)

とりあえず、利用者さんにも、自分の子どもにも、「変に“ちゃんと”しなくても大丈夫。色んな生き方があるよ」と僕は本心で言ってます。



今回はここまで!

読んでいただきありがとうございました。
次回は事務局長の仕事についてです。2月中に公開予定!


《いいね、フォローのお願い》
▼ログイン不要で「スキ」のリアクション
「スキ」ボタンはnoteへのログインがなくても推すことができます。この記事いいね!と思ったらポチっと押していただけたら嬉しいです。

▼会員登録でフォロー
noteに登録している方は、フォローという形でも応援いただけたら嬉しいです。「スキ」ボタン、フォロー、どちらもスタッフの励みになります。

《ご意見・ご感想等を募集!※匿名OK》
このnoteはみなさんと一緒に作り上げていきたいと思っています。
・活動内容や就労支援にまつわる疑問
(8050問題って何?、最近話題の****ってなに?など・・・)
・noteで取り上げてほしいこと
・理事長の工藤や支援スタッフに聞いてみたいこと
・育て上げへの声援などなど、どんな小さなことでも募集しています!
匿名のフォームから入力できるので、ぜひみなさまの声をお聞かせください!
※こちらはご意見・ご感想フォームのため、お悩みや困りごとはぜひ各種支援プログラムにお問い合わせください。
いただいた情報は、育て上げネットが行う企画のための参考とさせていただきます。

《最後に…ご支援のお願い》

ひとりでも多くの子ども・若者を支援するために応援してください。
育て上げネットは認定NPO法人です。ご寄付は税額控除の対象となります。
ご寄付についてはこちらから

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?