見出し画像

発達障害依存にならない親でいたい

我が子3人は年に2~3回発達障害の専門医がいる小児科へ通っています。
主に夏休み・冬休み・春休みの3回。
よほど体調不良や困ったことがない限りは3人一緒に行きます。
予約とるのに1か月以上は待ちます。
長男 中3、次男 中1、長女 小3
病院っていつまで通うんだろう。って思うことがあります。
我が子達は薬を処方してもらっているので薬をやめない限り、通院は必要ではあるのですが。

子どもが小さい頃は未知なことも多くて、困ることも多くて、発達について心配になることも多くあり、病院の先生の存在って絶対的だったし大きかったのですが、診断がつき、ある程度成長を遂げた今、ただそれを受け入れ柔軟に世の中を渡っていくしかないのではないかと思っています。

発達障害という名前により障害なんだ!ということが頭でっかちになっている。
個々に特性が違うので、もちろん一概には言えませんし、成人しても生きずらさを抱え悩む方もおられると思います。
ただ、大きい小さいの違いはあっても特性って、誰にでもありますよね。

長男が中3になった今、高校は特別支援学級がない一般の高校にしか行けない。検査の結果からも障害手帳はとれない、つまり特別支援学校には行けない。

これから先は普通の人と同じように、ただ生きていく。
障害だからって言ってられないような気もします。
発達障害だから何なんだ?って思うことがあるのです。

こども達よりも私が親が
我が子は発達障害です!」っていうことで、どこかで
大変だと思ってほしい
特別扱いしてほしい
配慮してほしい
って思っているんじゃないのかなって。
エゴでしかないんじゃないかって。
ただの構ってちゃんなのではないか?って。
自分を改めて見つめなおすことがあります。

~してほしい
と相手に理解や配慮を求めるばかりではダメなんじゃないかって
思ってしまう私がいます。

生きずらいって思うことは誰にでもあると思うんです。
私はずっと生きずらいです。
子どもが3人共に発達障害なんだから自分がそうであってもおかしくないよな?と思ったり。でも診断なくても生きていけてます。
だから、なんでもかんでも壁にぶつかる度に発達障害のせいにするのは違うのではないかなって。

そんなことを子供達から学んだ気がします。

子供達は発達障害だとわかっていても決して自ら口にだすことはしません。皆と同じようにできなくても
いじめられても
壁にぶつかっても
それは、
発達障害だからだ とは言わない。
発達障害だからと諦めることもない。
ただ、できない自分に対して出来るようにしていくことに力を注いでいる。

本人たちからすれば意外と大したことではないんじゃないかって感じます。大騒ぎしても発達障害に執着しても意味ないのかな。
ただ受け入れ、もっと楽しいこと夢中になれることに注力していけば発達障害であることも忘れちゃうんじゃないかなって。

これは、あくまでも私個人の考え方であり
正しいor間違いではありません。
もちろん理解が必要な時もあると思います。
でも発達障害ってことを忘れて生活してみることもいいのかなって思いました。


今日もお読みいただきありがとうございました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?