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第7回|留守番の練習

行動分析学を取り入れた「犬との暮らし方」にまつわる連載。犬と生きていくこととは、犬を飼うとはいかなることか。保護犬はると行動分析学者ボクの生活から、そのヒントをお届けします。*マガジンページはこちら

◎第7回◎
犬と人間の暮らしには犬のお留守番の時間がつきもの。シェルターでの大人しさはどこへやら、ボクのうちではそわそわ吠えるようになったはる。ボクはどのように、留守番をマスターさせるのか…?

 ようやくボクのうちにやって来たはるは、シェルターで保護されていたときとは打って変わって、がんがん吠える犬に変貌していた。うちに誰か来ると吠える。フードを用意していると吠える。おやつをあげようとして袋から出すのに手間取ると吠える。パソコンに向かって仕事をしていてかまってあげないと吠える。
 何より困ったのは、ボクが玄関から出るとすぐに吠えだすことだった。4月から授業が始まる。そうなれば毎日のように、はるは一人で留守番することになる。それまでにはなんとか落ち着いてもらわないとならない。

 当時まだ一般的ではなかったwebカメラをパソコンに取り付け、部屋の様子を録画しながら、スマホからもリアルタイムで室内を観察できるようにした。さっそく玄関を出てスマホを見てみると、はるは吠えながらサークルの中を興奮して跳び回り、高さ50cmほどの柵を乗り越えようとしている。と思ったら、飛び越えてしまった。焦ったボクはすぐに部屋に戻った。幸い、はるに怪我はなかったが、これでは危険すぎる。

 百均で購入しておいたラック用ワイヤーネットを、サークルの柵の上に結束バンドでつなげて固定した。ワイヤーネット、結束バンド、そしてガムテープが、犬と暮らすのに全方向で役立つ三種の神器であることを、この頃からボクは学んでいくことになる。

 留守番の練習を開始した。

 まず録画した動画を再生してじっくり観察した。ボクが居間から出て視界から消えると、寝転がっていたはるは起き上がってそわそわしだす。周りを見回し、鼻をきゅんきゅんと鳴らし始める。吠えるまえぶれだ。ボクがトイレや洗面所、風呂に行っているときにも、吠えるまでには至らないが、この前兆行動をしていたことがわかった。玄関を出ると、扉が閉まる音でわかるのだろうか、これが吠えに変わる。

 吠えたときにボクがすぐ戻れば、吠えを増やしてしまう。「戻ってきて」と言われて戻ったら、戻ってきて欲しいときに「戻ってきて」と言うようになるのと同じ。行動分析学では「強化」という法則だ。だから、できる限り吠え出す前、まだ前兆行動が出ている段階で対応する。それでも吠え始めてしまったときにはスマホで様子を伺いながら、吠えが少しでも収まった瞬間に急いで玄関のドアを開けて部屋に戻ることにした。

 動画を注意して観察すると、はるはボクが外出するときの兆候をすでに見つけているようで、その兆候をきっかけにそわそわしているようだった。きっかけは仕事に持っていくザックを担ぐことと、いつも同じところに置いてある家の鍵を手に取ること。鍵の方はじゃらじゃらするから、寝ていてもその音で気づくようである。

 そこで、はるがこれらの兆候に気づいても不安にならないようにする練習を開始した。最初はボクが鍵を手にとって居間を出て、すぐに戻る。ザックを担いで寝室に行き、数秒で戻る。それまで寝転がっていたはるが、首を上げるか、立ち上がるくらい、まだ前兆行動さえしていないうちに居間に戻り、鍵やザックを元の場所へ戻す。これを何回も繰り返す。繰り返しているうちに、はるは寝転がったままになった。もう鍵の音やザックでは微動だにしない。

 次に、居間から出て居間に戻るまでの時間を少しずつ長くしていった。数秒から十数秒、十数秒から30秒、30秒から45秒、1分というように。スマホではるの様子を観察しながら、寝そべっている間に、あるいは起き上がっても、まだ前兆行動が始まる前に居間に戻る。
 ここまでは1日でできるようになった。ボクがトイレや風呂に行っている間は元々吠えてはいなかったので小さな進歩だが、はるがそわそわすらしなくなったことにボクは歓喜した。

 次の日は、ザックと鍵を持ち、玄関の扉を開けて外に出て扉を閉め、すぐに扉を開けて居間まで戻った。はるは起き上がってはいたが、そわそわする間もなく、こちらを見ていた。しばらく時間をおいて、またこれを繰り返す。そのうち、はるは横たわって寝てしまった。玄関の扉を閉めてもそのままだ。そこで玄関の外にいる待機時間を伸ばしていくことにした。最初は10秒。2-3回続けてそわそわしなければ20秒。また2-3回続けてそわそわしなければ30秒というように。そわそわし始めて吠えの前兆行動がでてきたら中断し、1時間くらい仕事をして、はるが落ち着いてから、待機時間をワンステップ前に戻して練習を再開した。

 その後数日かけて待機時間を30分まで伸ばし、さらにその後数日かけて待機時間を1時間まで伸ばした。近所の人から不審者通報されると困るので、待機時間が長くなってきたら、その間、ボクは近くの公園を散歩したり、ジョギングしたりして過ごした。

 1時間まで伸ばした後は、待機時間を徐々に伸ばす作戦は終了として、買い物やテニスのレッスンにでかけるなど、短ければ1時間くらい、長くても3時間くらいの留守番をする機会を、毎日一回はもうけて本番に近い練習を続けた。

 帰宅してから録画しておいた動画を観ると、はるはずっと寝ていた。時々、何かの物音に気づいて首を上げたり、起き上がったりしているが、寝る体勢や位置を変えると、また眠りに入っていた。はるがとても愛おしくなり、抱きしめたくなった。ハリウッド映画には親が "I'm so proud of you!" といって子を抱きしめるシーンがよくでてくるが、子を持つ親はまさにこんな気持ちなんだろう。帰宅するのが楽しみで、帰路はついつい急ぎ足になっていた。

 週に何回か、留守番中、はるが吠えの前兆行動を示すことがあった。火曜の午前中にそうなることが多く、原因はすぐにわかった。マンションに清掃業者が入って、玄関の外を大型の業務用クリーナーで掃除している音が聞こえていたのだ。時々、掃除機のさきっぽがドアにぶつかる音もする。そこで、外出時には音楽をかけたままにすることにした。ボクのうちでは普段からBGMとしてジャズを流しているのだが、留守のときもそのままにしておくことにした。ボクが在宅中の環境と留守中の環境をできるだけ同じにするのと、少しくらいの物音ならかき消せるように。

 1時間以上の留守番に慣れてきた頃に、もう一つ手順を追加した。それまでは、はるが落ち着いているときに家を出発するように練習していた。横たわっているときや丸まっているときで、寝てしまっているときもあった。だが、いざ本番となれば、出勤前は忙しく、はるがそういう状態になるのを待つわけにもいかない。目が覚めていて、ボクの方をみているとき、もしかしたらボクと遊びたがっているときにも家を出ないとならなくなる。そうなると、そわそわを飛び越していきなり吠えの前兆行動や吠えがでてしまうかもしれない。

 そこで、長めの外出をするときには出発時に歯磨き用のガムを与えることにした。ガムといっても柔らかく、空洞が多い、くしゃくしゃしたタイプのやつで、喉につまらせる心配がなく、はるが好んで食べるものをいくつか試した中から選んだ。食べ始めてから食べ終わるまで10秒近くかかる。この間に家を出てしまえば、そわそわしたり、前兆行動をする間はなくなる。うまくいけば、ボクがいなくなる事態が少なくとも出発するその瞬間だけは、はるにとって楽しいことになるかもしれない。


 「行ってくるね」と言いながら、はるにガムを見せる。はるは尻尾を振って寄ってきてボクの前でお座りする。ハイタッチをしてガムを渡す。はるがガムをくわえたら、ボクは全速力で玄関に行き、外に出て鍵をかける。スマホで様子をうかがうと、はるはまだガムを噛んでいる。ガムを噛み終えると、玄関の方向をしばらく見ていたが、振り返ってクッションの上に移動し、丸まって寝てしまった。成功だ。この練習を続けるうちに、ボクがザックにPCなどを入れて担ぐと、はるは足元にやってきて伏せして待つようになった。ボクの外出がガムをもらえるきっかけに変わったのだ。

 はるがきてから3週間くらいで留守番の練習は完了し、新学期に向けた準備が整った。

to be continued…

★プロフィール
島宗理(しまむね・さとる)[文]
法政大学文学部教授。専門は行動分析学。趣味は卓球。生まれはなぜか埼玉。Twitter: @simamune

たにあいこ [絵]
あってもなくても困らないものを作ったり、絵を描いたりしています。大阪生まれ、京都在住。instagram: taniaiko.doodle