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第6回|はるが来た

行動分析学を取り入れた「犬との暮らし方」にまつわる連載。犬と生きていくこととは、犬を飼うとはいかなることか。保護犬はると行動分析学者ボクの生活から、そのヒントをお届けします。*マガジンページはこちら

◎第6回◎
「はる」がついにやって来て、一人と一匹が気持ちよく暮らすための試行錯誤の毎日がスタート。手始めは寝床問題から。犬対人間の「眠り」をめぐる攻防やいかに。

 てんちゃんは次の日から「はる」になった。ボクは結婚していないし、子どももいない。だから想像でしかないのだけれど、犬の受け入れ準備をしていた2か月間は、まるで出産を待つ初親のような気持ちで、名づけ辞典をめくったりネットで赤ちゃんの名前ランキングを眺めては、ノートに候補を書き出してた。

 那須塩原へ向かう車の中、まだ2月中旬だったがその日は陽射しが暖かで、「もうすぐ春だな」とぼんやり思った。BGMでキャンディーズの「春一番」が流れていたからかもしれない。名前は「はる」にしよう。そのときにそう決めた。

 大学はちょうど春休みで授業はなく、新学期が始まるまでに、はるとの生活を安定させようと考えていた。排泄、散歩、食事、なによりひとりで留守番できるように練習しておかなければならない。やることは沢山あったが、待ちに待った「はる」がようやく来てくれて、ボクの気持ちは前向きだった。

 はるも同じ気持ちだったのだろうか。朝日が昇るのも待ちきれず、寝ているボクの顔をなめ、寝室の中を歩き回り、掛け布団を噛んで引っ張り始めた。時計をみると、まだ5時前。ボクの起床時刻は7時である。こんなに早く起きては睡眠不足になってしまう。

 掛け布団にくるまり、必死に耐える。何を隠そう、ここは予習済みなのだ。散歩に行きたがる犬が早起きし、それに応じて飼い主が早起きすると、犬はどんどん早起きするようになる。だからなにもしてはいけない。寝たふりをするのが初手である。顔をなめても、布団を噛んで引っ張っても飼い主が反応しなければ、いずれ犬はこうした行動をしなくなる。行動分析学の専門用語では「消去」という法則を使った対応だ。

 はるはいよいよ布団を強く引っ張る。掛け布団カバーが破れそうだ。破れて羽毛が飛び出してきたら厄介だ。それでもボクは布団の中で体を丸くして布団カバーの端を強く持って離さないように抑える。声もたてない。ここは我慢比べだ。

 5分くらいすると、はるは布団を引っ張るのをやめた。一時的休戦だ。寝室の中を歩き回ってにおいをかいでいるような音が聴こえてくる。そのうち、また布団を引っ張り始めた。これも予想通り。「まるで実験と同じだ」とボクは布団の中でそう思った。行動は消去しようとしても、すぐには減らない。むしろいったん増えたり、強くなったりする。そして増減を何回も繰り返しながら、やがて減っていく。

 初日はそんな攻防が1時間近く続いた。最終的にはるはあきらめて寝てしまい、ボクも二度寝した。起きたのは8時過ぎだった。掛け布団カバーはあちこちがほつれていた。幸い、羽毛布団は破れていなかったが、次の日も同じバトルが予想される。クローゼットから古い掛け布団カバーを出してきて三重にかぶせた。

 早朝の戦いは10日近く続いたと思うが、最後の方はよく覚えていない。気がつくと、はるはボクが起きるまで寝ているようになったし、そのうち、ボクが起きた後も寝ていることの方が多くなっていた。

 犬と一緒の布団で寝るかどうか。犬を飼うときによく話題になる問題の一つだが、ボクは寝室は一緒で寝床は別にしようと考えていた。寝る時間になったらサークルから出して一緒に寝室へ移動し、朝起きたら居間へ戻ってサークルに入ってもらうことになる。

 そこでベッドの横に長座布団を置いて、そこをはるの寝床にしようと準備していた。ところが初夜、はるはひょいっとベッドに飛び乗ってしまった。抱き上げて長座布団の上に降ろしても、また飛び乗ってしまう。これはよくない。はるにとってはボクに遊んでもらっているような状況である。「犬にさわらないでくださいね」という山本先生の声が聴こえてくる。思案したが、疲れていたこともあって、初日はそのまま寝てしまったのだった。

 次の日、ボクはホームセンターでコンクリートブロックを4つ買ってきた。ベッドの脚の下に1つずつブロックを置いてベッドを高くして、はるが飛び乗ろうとしても飛び乗れないようにするためだ。こうすれば、はるに触ることなく、ベッドへの飛び乗りを減らせるはずだ。勝利の予感しかない。

 2日めの夜。寝室に連れて行くと、はるは何事もなかったかのようにすいっとベッドに飛び乗り、布団の上に横になってこっちを見る。犬が人に勝利した瞬間である。

 負けてはいられない。3日め、ボクは再びホームセンターへ行き、コンクリートブロックを8つ買ってきた。これでブロック3つぶん、ベッドは36cmも高くなる。もともとのベッドの高さが38cmなので、合計74cm。子どもの頃は2段ベッドの上段に寝ていたボクでさえ躊躇ちゅうちょするくらいの高さになった。

 3日めの夜。オチはもう予想できてしまうかもしれない。そう、はるは軽々とベッドに飛び乗り、ボクは「嘘でしょう」言いながら白旗を上げ、ブロックをベランダに片付けたのだった。

 今ではベッドから布団に変えて、はるはその横の寝床で寝ている。これをどうやって実現したのかは、またいずれ。

to be continued…

★プロフィール
島宗理(しまむね・さとる)[文]
法政大学文学部教授。専門は行動分析学。趣味は卓球。生まれはなぜか埼玉。Twitter: @simamune

たにあいこ [絵]
あってもなくても困らないものを作ったり、絵を描いたりしています。大阪生まれ、京都在住。instagram: taniaiko.doodle