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星の味 ☆6 “次元の旅人”|徳井いつこ

 友人は、子どものころ、竜を見たことがあるという。
 山形の城下町。よく晴れた日の午後、川原の橋近くで芋煮会が開かれていた。8歳の友人は、大人や子どもたちからはずれ、ひとりぶらぶらと川のほうへ歩いていった。
 背の高いススキやチガヤをかき分けて行くと、川辺に出る。小石を拾ったり川面を眺めたりしているうち、霧が流れはじめた。あっという間に、あたりいちめん見覚えのない真っ白な世界になっていた。
 ふと見ると、水面近い霧のなかにおおきな何かがうごめいている。友人の目はぴたりと貼りついたまま、離れなくなった。
 川の流れとともに、ゆっくりうねりながら動いてゆく……。それは、巨大な竜だった!
 このままここにいたら、連れていかれる! 
 はじかれたように走りだした。息をつくのも忘れ、ありったけの力で川原を走った。
 あの、生きもの、あの、竜を……ノブちゃんに見せなくちゃ……。
 一番信頼できる若い大人のノブちゃんを急きたて急きたて、手を引っ張って、川に戻ってみると、霧はあとかたもなく消え失せ、抜けるような青空が広がっていた。
 「どうしたの?」
 ノブちゃんの声が落ちてきて、友人はうなだれた。
 「何でもなーい」
 あそこにいたのは、生きて動いている竜だった。霧が、水が、竜に見えた、というのとは違う、と友人は言う。どんな疑念をさし挟む余地もない。
 その話に耳を傾けながら、私は、これまで出合った奇妙な雲のことを考えていた。

 どうしても、竜にしか見えない雲、というのがある。
 ハワイの火山、アリゾナの洞窟、オーストラリアの海、八ヶ岳の頂上……さまざまな場所で、圧倒的な生命力、臨在感で湧きだし、立ち上がり、迫ってきた。
 スマホを取りだす、カメラを取りに走る。レンズをのぞき込んだ瞬間、愕然がくぜんとする。そこにあるのは、輪郭を失い、ばらばらに崩れ、散らばった抜け殻だ。
 数秒、数十秒をはさんで、見ていたもの、体験そのものがそっくり失われている。
 何が、どうして、こうなるのか? 
 もしかしたら、と思う。私が記録しようとするその対象は、この「同意現実」に属していないのかもしれない。外的世界の客観的な事物ではない、いわば内界と外界のり合わさった、べつの次元で生起しているのかもしれない。
 カメラを取りに走る、人を呼びに行く、といった行動は、慣れ親しんだ次元の延長線上にある。
 一方、何かを見る、体験する、と言うとき、じつはそれは一つの次元ではない、多層的な次元で起こっている可能性がある……。
 われわれはみな、次元の旅人ではないか?
 友人の話を聞きながら、ふとそんなことを考えていた。

 宮沢賢治が残した作品群のなかに、それほど知られていないが、「竜と詩人」という短い物語がある。
 この物語の美しさは、竜が棲まう洞窟、若い詩人の印象であると同時に、それ以上のものだ。
 詩とは何か?
 詩人は何をしているのか?
 という問いが、他でもない竜と詩人の対話から鮮やかに浮かびあがってくるのだ。

 若い詩人スールダッタは、の競いの会で最高の賞を得る。高名な詩人アルタはスールダッタの詩をいたく褒め、自らの座に座らせて自身は去る。降り注ぐ称賛と栄誉に陶酔の夜を過ごした若者は、帰り道、森の中で人々のささやくひそひそ話を聞いてしまう。

(わかもののスールダッタは洞に封ぜられているチャーナタ老竜の歌をぬすみ聞いてそれを今日歌のくらべにうたい古い詩人のアルタを東の国に去らせた)

 足が震えて思うように歩けなくなったスールダッタは、草原で悶々とした末、洞窟に竜を訪ねる。

(敬うべき老いた竜チャーナタよ。朝日の力をかりてわたしはおまえに許しを乞(こ)いに来た。)

 スールダッタは詩賦の競いの会と噂について語り、言葉を次ぐ。

([…]考へて見るとわたしはここにおまえの居るのを知らないでこの洞穴のま上のみさきに毎日座り考へ歌いつかれては眠った。そしてあのうたはある雲くらい風の日のひるまのまどろみのなかで聞いたような気がする。そこで老いたる竜のチャーナタよ。わたくしはあしたから灰をかぶって街の広場に座りおまえとみんなにわびようと思う。あのうつくしい歌を歌った尊ぶべきわが師の竜よ。おまえはわたしを許すだらうか。)

 竜は、古い詩人アルタがスールダッタの詩をどのように誉めたのかを尋ね、こう語る。

(尊敬すべき詩人アルタにさいわいあれ、
 スールダッタよ、あのうたこそはわたしのうたでひとしくおまえのうたである。いったいわたしはこの洞に居てうたったのであるか考えたのであるか。おまえはこの洞の上にいてそれを聞いたのであるか考えたのであるか。おおスールダッタ。
 そのときわたしは雲であり風であった。そしておまえも雲であり風であった。詩人アルタがもしそのときに瞑想めいそうすればおそらく同じいうたをうたったであろう。けれどもスールダッタよ。アルタのことばとおまえの語はひとしくなくおまえの語とわたしの語はひとしくない韻も恐らくそうである。このゆえにこそあの歌こそはおまえのうたでまたわれわれの雲と風とを御する分のその精神のうたである。)
(おお竜よ。そんならわたしは許されたのか。)
たれが許して誰が許されるのであろう。われらがひとしく風でまた雲で水であるというのに。[…])

 そうして竜は、詩人への贈りものに、小さな赤い珠を一つ吐いた。そのなかで幾億の火が燃えていた。

 この物語は、詩の生成の、いわば後日たんである。
 詩人が意図せぬまま竜の歌を共有し、雲や風やあらゆるものになっていた、その核心部分は終わっている。
 じっさい詩の生成を、現在進行形で語るのはむずかしいだろう。それはつねに振り返るかたちでしか表現され得ないだろう。
 詩はひとつの出会いであり、そこには時間がない。あらゆる神秘的、超越的体験と同じように。
 この「竜と詩人」というお話は、宮沢賢治の膨大な詩、物語がどのように生まれてきたかを明かしている。
 老竜チャーナタが語った、内側と外側にまたがる、自己と世界が融解し合うような次元を、私たちもまた、ときに旅しているのではないだろうか。


星の味|ブックリスト☆6
●『ポラーノの広場』宮沢賢治、新潮文庫
●『宮沢賢治コレクション2 注文の多い料理店』宮沢賢治、筑摩書房

星の味|登場した人☆6
●宮沢賢治

1896年、岩手県花巻生まれ。富商の長男。盛岡高等農林学校卒。中学時代からの山野跋渉が、文学の礎となった。1921年から5年間、花巻農学校教諭。教え子との交流を通じ岩手県農民の現実を知り、羅須地人協会を設立、農業技術指導、農民の生活向上をめざし粉骨砕身するが、理想かなわぬまま過労で発病。東北砕石工場技師となるも、肺結核が悪化。最後は病床で作品の創作や改稿を行った。生前刊行されたのは、詩集『春と修羅』、童話集『注文の多い料理店』のみ。37歳で逝去。


〈文〉
徳井いつこ Itsuko Tokui
神戸市出身。同志社大学文学部卒業。編集者をへて執筆活動に入る。アメリカ、イギリスに7年暮らす。手仕事や暮らしの美、異なる文化の人々の物語など、エッセイ、紀行文の分野で活躍。自然を愛し、旅することを喜びとする。著書に『スピリットの器――プエブロ・インディアンの大地から』(地湧社)、『ミステリーストーン』(筑摩書房)、『インディアンの夢のあと――北米大陸に神話と遺跡を訪ねて』(平凡社新書)、『アメリカのおいしい食卓』(平凡社)、『この世あそび』(平凡社)がある。
【X (Twitter)】 @tea_itsuko

〈画〉
オバタクミ Kumi Obata
神奈川県出身/東京都在住。2000年より銅版画を始める。 東京を中心に個展を開催。アメリカ、デンマーク、イラン他、海外展覧会にも参加。2017年スペインにて個展を開催。カタルーニャ国立図書館に作品収蔵。
・2006年~2010年 ボローニャ国際絵本原画展入選(イタリア)
・2013、2014、2017、2019、2023年 CWAJ現代版画展入選
・2016年 カダケス国際ミニプリント展 グランプリ受賞(スペイン)
【オバタクミの銅版画】 http://kumiobata.com/
【X (Twitter)】@kumiobata
【Instagram】@kumio_works