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(小説)眼鏡橋を渡る時③

 警備員の視線が気になった。
 去年始まった下水道工事は延々続いていて、集落内の道は日中、車両通行止めとなるため、警備員が立っている。
 すぐ目の前にあったバス停は遠くなり、今は徒歩十分ほどかかる。バスに乗ろうとすると、警備員の前を通ってバス停に向かわなければならない。警備員はよく見かける住人の顔を覚えているのかいないのか、会釈を返すときもあれば、不審の目を向けてくることもある。
 何人かいる警備員の顔をいつの間にかわたしは覚えてしまったけれど、向こうは行き交う人のすべてを把握してしているわけではないのだろう。だから彼らの視線をそれほど気にする必要はない。
 三十代ぐらいの若い警備員もいるが、中高年の方が多い。彼らは一様に日本人とは思えないほどに真っ黒に日焼けし、雨の日でも炎天下でも、辛抱強く淡々とその場所に立ち続けている。
 暑いだろうな、雨の日は辛いだろうな、人や車が通らない間は何を考えて時間をやり過ごすのだろう? とにかく大変な仕事に違いない。彼らを見かけると、わたしはいつも同じことを思う。
 バス停に三分立っているだけで、汗が鳩尾を伝うのがわかった。今日も信じられないほどの暑さになるのだろう。
 この夏の暑さは強烈すぎて、まだ八月初めだというのに、既に十分すぎるぐらいに夏を味わわされたような気分になっている。もうこれ以上こんなに暑い夏はたくさん。うんざりだ。これから一カ月以上も猛烈な暑さが続くと思うと、気が遠くなる。
 そのバス停から乗ったのは、わたしだけだった。わたしは冷房の利いたバスの中で「今年の夏は暑い、暑い」と文句を言っていればいいが、どんなに暑かろうが、どれほど気が遠くなろうが、工事が終わらない限り、警備員たちは立ち続けなければならない。思わずわたしの口からため息がもれた。けれどそれは自分に対してなのか、警備員へのものなのか、よくわからない。
 今日は、わたし一人でバスに乗った。母はついてこない。正確には、朝、両親と言い争いになり、わたしは腹を立てたあげく、家を飛び出した。といっても中学生の家出ではないのだから、わたしにはある算段と目的があった。表面上は飛び出した形だが、これ幸いと、一日息抜きをしようと咄嗟に思いついた。老親と顔を突き合わせて暮らす日常には、適度に強烈なガス抜きが必要不可欠となる。
 以前新聞で目にして以来気になっていた、ある人の個展を見に行くことにした。中学のときの社会の教師で、今はもう八十歳を過ぎている。個展の案内を新聞で見たとき、すぐにあの教師だとわかったけれど、絵を描いていることや、それ以上に被爆体験があることは全く知らなかった。それ故、担任してもらったわけでもないのに、その先生の個展を見てみたいとわたしは思った。
 バスが川の辺りにさしかかったとき、わたしは条件反射のようにガードレールに沿って視線を泳がせた。あーさんが立っているかもしれない。もう一度あーさんの姿を見てみたい、と思っている自分がいた。
 誰もいない。そもそもそれほど広い道ではないので、ガードレール沿いに立つのは危ない。用もないのに、そんな所で川面を眺める人間などいない。
 まだ午前中なのに、夏の日差しは既に十分強く、川面はきらめくというよりぎらついている。向こう岸に白鷺が一羽すっくと佇んでいる。少し灰色がかった鷺は川に入り、魚を狙っているのか川面を見つめている。この辺りではよく目にするありふれた光景だ。
 あーさんは何を見て、何を考えていたのだろう? 炎天下、目的もなくただ川面を見つめているなんて、あーさんらしいと思った。あーさんについて詳しいことは知らず、普段は意識に上ることもないのに、なぜかそう感じた。同時に、そんなあーさんを無視し続けた十代の自分の姿が浮かび上がり、痛みを伴うその記憶が胸を刺すような感覚が走る。
 ここを通る度に、この感覚を味わうことになるのだろうか。
 駅前でバスを降りると、わたしは商店街の方へ歩いていった。個展は初めて行くギャラリーであり、この町にそんなギャラリーがあることさえわたしは知らなかったけれど、その場所の見当はついた。駅から歩いて五分もかからないだろう。
 営業しているのかどうかよくわからない喫茶店の向かいに、そのギャラリーはあった。五分歩いただけなのに汗びっしょりになり、予想に反してギャラリー内の冷房の利きがよくないので、しばらくは全身不快なまま絵を見て回らなければならなかった。
 間口が狭く、細長い造りのギャラリー内には、五、六人の来訪者がいた。表はガラス張りだったので、先生らしき男性が二人の女性来訪者に説明しているのが、入る前から窺えた。
 本来なら、教え子だと名乗るべきなのだろうが、わたしはそうするつもりはなかった。先生が二人の女性につきっきりで、熱心かつ丁寧に説明しているのを横目に、ただの傍観者を決め込むつもりだった。
 受付の女性に促され、わたしは仕方なく住所と名前を書いたけれど、多分先生はわたしの名前を見ても、今の顔を見ても、誰だかわからないだろう。百パーセントに近い確率で、わたしのことを思い出せないだろう。長い教師生活の千人以上の教え子の中で、担任したわけでも、社会が得意だったわけでもなく、地味で目立たないわたしのことが、記憶に残っているとは思えない。
 二人の女性とは少し距離を置き、わたしは壁に掛けられた絵を見ていった。こちらに背を向けている先生の説明に耳を傾けつつ、絵を眺め、手書きの説明を読んだ。そうしながら、説明を聞いている振りをしつつ、先生の方にちらちらと目をやった。
 頭はほとんど禿げ上がり、服装もありきたりの老人のものだったが、その立ち姿とギャラリー内に響き渡る声だけで、先生が実年齢より遥かに若い体力を維持していることが感じられた。先生より五歳以上若い父の方が、外見はしょぼくれて見えるし、体力も衰えている。
 被爆体験を抱え、八十歳を過ぎてもお元気そうな先生の姿を見ることができて、わたしは素直に嬉しかった。
 壁には、原爆投下後、救援で広島に入った若き先生が見た惨状を描いた絵が掛けられ、壁に沿って並べられた長テーブルには、自費出版した絵本や自分史の本が置かれていた。すべての絵に手書きの説明が付けられている。
 自分史の自筆原稿のページを捲りながら、わたしは思った。
 わたしは、先生が軍隊に志願したことも、被爆体験があることも全く知らなかった。中学の三年間で、そんな話を聞いたことは一度もない。先生は、どうしてそのことを語らなかったのだろう?
 今、少し離れた所に立つ先生の後ろ姿をちらちら何度も眺めても、先生の自分史を先へ先へといくら読み進めても、その答えはわからない。自分で勝手に想像するしかない。
 当時はまだそういうことを大っぴらに話せるような環境、時代ではなかったのか。先生自身も気持ちの整理や準備が十分にできていなかったのかもしれないし、生徒や周囲への影響、自分の立場の変動等いろいろ考えると、踏み切れなかったのかもしれない。
 それもすべてわたしの憶測にすぎないし、今ここで先生にそれを聞いたとしてもこちらが頷けるような答えは返ってこないような気がする。
 壁の絵は途中から写真に変わる。定年退職後、先生は平和を求める活動を始める。様々な集会に出席した写真や、国連本部に行ったときの写真もある。
 どれが本当の先生の姿なのだろう? 絵と写真の両方を見ていると、どれもが先生の本当の姿なのだと思えてくる。
 わたしにとっては、それを語らなかった先生の記憶がすべてだけれど、もう四半世紀近く平和活動をしている先生にとっては、今の自分の姿が当たり前のものとなっているのだろう。
 昔の友人と交流の少ないわたしは、たまにそういう友人に会うと、「変わってないね」と言われることが多い。そう言われる度に違和感が拭えず、不愉快だったけれど、それは案外的外れではないかもしれない。
 過去の、その時々の自分の姿を、本人はよく覚えていないか、正確に把握していないのではないか? 自分の姿、意識、思いは、常に過去から今の自分、新しい自分へと塗り替えられていくもので、本人にとっては当然ながら今の自分の方が比重が大きい。
 けれどその人のその後や今を知らない他者にとっては、過去のある瞬間のその人のイメージが強烈に印象に残る。過去に関しては、むしろ他者の方に真実があるのかもしれない。
 わたしは、先生の過去にいちゃもんをつける気はさらさらない。誰だって自分の過去に干渉などされたくないだろう。今の自分を生き生きと生きている先生を見られて、良かったと思っている。
 それに、今日は気分転換のつもりで来ただけで、今日一日を気分よく
楽しく過ごせればそれでいい。
 先生の熱を帯びた説明が止むことはない。わたしは全ての展示品を見終わり、知人から贈られたのだろう胡蝶蘭やアレンジメントの花に視線を移した。
 ギャラリー内を見回すと、新たな訪問者が何人か増えていた。けれど、見知った顔はいない。猛暑日続きのこの時期に、一体どれぐらいの同級生がここに足を運ぶのだろう? 
 先生の長い歓待を受けている二人の女性は、わたしより年上で、どことなく上品に見える。こんなに暑くてもきちんとしたワンピースに白いボレロを合わせ、ヒールのある靴を履いている。もう一人はレースの縁取りの日傘を手にしている。
 先生の歓待が終わるのを待つつもりはない。わたしはギャラリーを出た。先生は一度もわたしに視線を向けることはなかった。
 駅へ向かって歩き始めると、急に喉の渇きを感じた。わたしは立ち止まり、バックからペットボトルのお茶を取り出して飲んだ。ふと視線を下へやると、着古した黒のポロシャツの裾に付いている糸屑が気になり、もう片方の手でそれを払った。
                             (続く)

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