そひか

ウチのTLが。。。

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ウチのTLには女児だった頃の岩倉文也が居た

これは本当のことです。(ここに本当のことが書かれたときに現れる光の写真が貼られる) 突然ですが、皆さんは岩倉文也という存在をご存じでしょうか。知っていたり知らなかったりするかもしれませんが、知っていたり知らなかったりしましょう。 今回はこの岩倉文也という存在の話を しません*。 ウチのTLの話をします。 【Def. 「ウチのTL」とは、筆者が想像し得る世界の全てのことである】 数年前のことです。ウチのTLには、女児高生(原文ママ)を名乗るあるアカウントがありました

    • 数は”もの”というより”操作”である

      突然だが、以下の等式を読者はどう理解するだろうか。 (-1)×(-1)=1 マイナス×マイナス=プラス 二年ほど前、とあるVTuberの配信を見ていた。彼女はこの式について納得していない、と主張していた。容易に想像される通り、直後のコメント欄はたいそう賑わった。あの手この手のたとえ話をする人、「そういう約束だ」と定義に訴えかける人、あるいは「そう憶えているだけだ」と諦観する人。みなさんならどう説明するか? 結局彼女は「理解はしたが、納得はしない」という状態で配信を終えた

      • 自己管理ツール「パイモン」を導入してみた

        にゃーん(挨拶)、全宇宙の総意ことそひかです。そして 「オイラだぞ!」  こちらがパイモンになります。 今回は私がこの自己管理ツール「パイモン」を導入するに至った経緯、および実感できた効果について解説しようと思います。 誰?パイモンとは、miHoYoが送るオープンワールドRPG「原神」に登場する白い妖精です。ゲーム内では「最高の仲間!」と定義されており、いつも主人公の側にいて、共に旅を歩みます。プ〇キュアにおけるお供マスコットを想像していただければ結構です。 彼女は

        • VTuberとサシで話してきた

          クリスマスイブ、東京ビッグサイトにて。「にじさんじフェス2023」の内部企画、ライバーと一対一で会話する「視聴覚室」を体験してきた。 お相手はアンジュ・カトリーナさん。現在YouTubeの登録者数83万人の女性VTuberである。 彼女は電話先で男性と間違えられるような低めの声をしており、私はそんな彼女の声と話し方に惹かれて三年ほどメンバーシップ登録をしている: この度、おそらく人生で最も倍率の高い抽選に当たり、私は彼女と一対一で話す機会を得た。時間は90秒、価格は69

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        • 暗黒欲求シリーズ
          3本

        記事

          私の大部分は夢の中に居るらしい

          カウンセリングに行った。月一の定期健診のようなもので、一年のブランク込みで三年ほど続いているものだ。そこでは、毎日ほぼ誰とも喋らず研究室と家を往復するだけの生活を送っている私に自動的に溜まっていく認知の歪みを常識の側に押し戻すために、カウンセラーとの対話が行われている。 その日はいつもと違う金曜日だった。月曜日の予約をすっぽかしたためである。 いつも通りその月の自分の病状を話すところから始めた。同じく月一で通っている精神科にてデュロキセチンを二倍に増量したことを伝えた。そ

          私の大部分は夢の中に居るらしい

          ものがある、と信じ込むのを辞めてみた

          ものが存在するというのは真理ではなく信念である。そう思うことが増えた。これは私が非実在論者になったということなのだろうか。構築主義者になったということなのだろうか。分からない。私はあまり哲学に詳しくないから。[1] ただ、原因は分かっている。私が鬱病になったからだ。鬱病になると「生きる意味が分からない」とか「自分には価値がない」とか言い出す。 今の私には、それはとても羨ましく感じる。なぜなら、彼らはまだ「意味」とか「価値」は在るもの、自分とは独立に存在するものとして無意識

          ものがある、と信じ込むのを辞めてみた

          食い終わった皿を舐めろ

          世の中にはマナーというものがある。マナーは時代や地域や文化によって異なる。私には信念がある。マナーは私たちのためにある。だから、マナーは、生活と社会のために最適化されるべきだと。 私はこの記事で、食事を終わったたら皿を丁寧に舐め回すことがマナーであることを主張する。 生活において重要なこと 筆者が六年半の一人暮らしを通して感じた、(食)生活において重要なことをいくつか挙げる。おそらく世の中の主フたちにとっては当たり前のことだろう。 まず、生ごみは極力減らすべきである。

          食い終わった皿を舐めろ

          反出生主義的実践として男性性から降りる

           この記事では、反出生主義を実践するにあたり男性性から降りることが有効な手段であることについて述べる。 諸注意 男性性から降りることを薦める記事はごまんとある。だが、降りた先で男性がどう生きるかを論じる記事は少ない。そして当記事もこの放任的な立場を継承する。分かり切ったことだが、他人に何かしらの生き方を奨励する者が他人の人生の責任を取ることは無い。  結論から言うと、無害になった人間は社会から興味を持たれない[1]ため、男性性から降りた男性に待ち受けているのは無である。これ

          反出生主義的実践として男性性から降りる

          東下り、或いは逆に生存するというユーモア

          東京に行くことになった。主な目的は5月7日と8日に開かれる(それぞれ別のジャンルの)同人誌即売会への参加だ。特に7日行われるイベントでは新刊を出す予定で、これにはいくつかの困難と事件がつきまとったのだが、まあ話を急ぎすぎないようにしよう。 5月1日のことだ(今は5月2日で、私は東京の実家の周りを散歩しながらこれを書いている)。私は16時に出町柳のジビエ料理店で一人のフォロワーと待ち合わせした。彼女は午前から京都観光を楽しんでいた様子で(電話でアポを取って小さな神社の巫女さん

          東下り、或いは逆に生存するというユーモア

          遺書

          ここ数週間、死を想わない日は無い。そんな中何か書けるものがあるとすれば、遺書しかない。これは必然であって、自動的なことである。 別に自殺の算段が立ったわけではない。いつどこで死んでやろうと決めたわけでもない。ただ自分の手元にはちょうどいい長さに結ばれた綿ロープがあり、どこかの橋の欄干と自分の首に両端をひっかけて飛び降りればいつでも死ねるという状況にあるだけだ。 毎日、そんな想像をする。RPGの画面のような視界には、様々な選択肢が羅列されており、その中には必ず「死」が入って

          どうして音楽の歌詞には「君」が居るのか

          一体君というのは誰なんだ。俺はそんな奴知らない。世界には「俺」しか居なかったはずではなかったのか。 私は自殺に関する曲が好きだ。神聖かまってちゃんの「るるちゃんの自発配信」、カンザキイオリの「あの夏が飽和する」、中島美嘉の「僕が死のうと思ったのは」などである。 自殺というのはこの世で最も「自己的」な行為である。絶対的な決定権は自分にあり、誰にも干渉されることのない最も自由な行動である。故にこの神聖な行為が他者によって遮断されることを私は快く思わない。 中島美嘉の「僕が死

          どうして音楽の歌詞には「君」が居るのか

          「人を敵と味方に分ける」という快楽【暗黒欲求シリーズその3】

          当「暗黒欲求シリーズ」は、人々が日常生活において無自覚に追い求め無自覚に発散している、見えない欲求――暗黒欲求――について論じる。暗黒欲求という観点は個人的なものから社会全般に至るまで様々なスケールの問題を俯瞰することを可能にし、日常生活を阻害する不要な怒りや恐怖、無用な苦悩や抑うつを退けるヒントを与えてくれる。暗黒欲求は自覚が一般に困難であるが、ひとたび自覚すれば人々は全て暗黒欲求という仕組みの深さに基づいていることになり、巷に蔓延る不毛な争いが全て暗黒オナニーであることを

          「人を敵と味方に分ける」という快楽【暗黒欲求シリーズその3】

          過剰適応の患者はヨルシカ「思想犯」のPVに注意したほうがいい

          過剰適応と仮面この記事の背景として、筆者が過剰適応から鬱になったという事実がある。 花は置かれた場所で咲きます。同じように、人は置かれた環境に適応しようとします。環境に上手く適応できているのが健全な状態です。ただ、環境に適応しきれないことも当然あり、これが不適応です。一方、環境に自らを適応させすぎることもあり、これが過剰適応です。 過剰適応の人間は、自分を環境に無理やり合わせるべく、無意識に自分の仮面というのを作ってしまっている。仮面を被った自分を演じることでその場を乗り

          過剰適応の患者はヨルシカ「思想犯」のPVに注意したほうがいい

          「人の行動を制約する」という快楽【暗黒欲求シリーズその2】

          当「暗黒欲求シリーズ」は、人々が日常生活において無自覚に追い求め無自覚に発散している、見えない欲求――暗黒欲求――について論じる。暗黒欲求という観点は個人的なものから社会全般に至るまで様々なスケールの問題を俯瞰することを可能にし、日常生活を阻害する不要な怒りや恐怖、無用な苦悩や抑うつを退けるヒントを与えてくれる。暗黒欲求は自覚が一般に困難であるが、ひとたび自覚すれば人々は全て暗黒欲求という仕組みの深さに基づいていることになり、巷に蔓延る不毛な争いが全て暗黒オナニーであることを

          「人の行動を制約する」という快楽【暗黒欲求シリーズその2】

          「私だけが知っている」という快楽【暗黒欲求シリーズその1】

          当「暗黒欲求シリーズ」は、人々が日常生活において無自覚に追い求め無自覚に発散している、見えない欲求――暗黒欲求――について論じる。暗黒欲求という観点は個人的なものから社会全般に至るまで様々なスケールの問題を俯瞰することを可能にし、日常生活を阻害する不要な怒りや恐怖、無用な苦悩や抑うつを退けるヒントを与えてくれる。暗黒欲求は自覚が一般に困難であるが、ひとたび自覚すれば人々は全て暗黒欲求という仕組みの深さに基づいていることになり、巷に蔓延る不毛な争いが全て暗黒オナニーであることを

          「私だけが知っている」という快楽【暗黒欲求シリーズその1】

          感性が人間の本体である

          にゃーん(挨拶)。そひかです。 突然ですが、みなさんの感性は生きているでしょうか。 花を見て美しいと思う。歌声を聞いて奇麗だと思う。ご飯を食べて美味しいと思う。普段我々は自分の感性を通して世界を認識しています。 愛しいという気持ちを言葉に出す。作品が好きだという気持ちをファンアートにする。面白いと思う物語を小説にする。我々が世界に対し何かを表現するとき、その源になっているのも我々の感性です。 人に会ったら挨拶をする。話しかけられたら返事をする。親切にされたら感謝する。

          感性が人間の本体である